酒場の騒ぎ

 大通りから外れた位置にあるその酒場は、明らかに観光客向けではなかった。

 酒場へと続く土が剥き出しの道を、ここに来るまでに購入したポンチョを着たバルコーは、フードで顔を隠しながら進んでいく。消えかかった街灯が照らす道は薄暗く、まだ華やかな大通りに慣れた目では、余計に深く闇を意識させた。

(こんなところ、ハザクラとシエルがよく通る気になったな)

 割れた酒瓶から漂うアルコールの臭い、膝を抱えて座り込む男の体臭、露出の多い服を纏う女の煙草臭い息と香水の香り。それらを抜けた先にある、退廃を煮詰めたような空気を嗅いだバルコーは、顔をしかめた。

 まだ広い道の脇から伸びる狭い路地裏から無数の視線を感じながら、足早に酒場へと向かう。ひそひそとした話し声、遠くから聞こえる野犬の遠吠えを耳にしつつ店の前へと辿り着く。

(『BAR : In Brain』……間違いないな)

 誘蛾灯のように派手な光を発する看板は、その一部が崩れたままになっていた。バルコーは息を吐くと、少々歪んだ分厚い木の扉を引く。扉越しに聞こえていた酔っ払いの笑い声が大きくなり、

「ん?」

「おお?」

 入店と同時に、ピタリと止んだ。カランカラン、という鈴の音が、静まり返った空間に反響する。

 比較的線の細い若い男。海外のものと思われる見慣れない服装。緊張の滲み出た表情。

 それらを見た酔っ払いたちは、入店者が観光客であること、少なくとも自分たちとは住む世界が違う人間であることを確信した。ある者は邪悪な笑みを浮かべ、ある者は舌打ちする。

 店内の注目を一身に受けたバルコーは、心臓の音を聞きながらカウンターへと向かう。目が合う男たちは、皆ニヤニヤとした笑みを貼り付けていた。

「ご注文は?」

 中年の男、バーテンダーは無愛想にそう尋ねる。

「あ、じゃあ水を一杯」

 直後、声を抑えていた酔っ払いたちが哄笑した。バルコーは肩を跳ねさせると、周囲を窺う。男は無言でグラスに水を注いだ。

「ほらよ」

「ありがとうございます」

 代金を払おうと財布を出すバルコーに、男はカウンターの下から取り出した料金表を見せる。

「え、高くないですか?」

 そこに書かれた値段を見てバルコーは目を丸くする。普通の店の十倍以上の金額だ。他の飲み物も軒並み高額である。

「あんだ? 払えねぇってか?」

「い、いや、払えますけど……」

「ならさっさとカネ出しな」

 凄まれたバルコーは渋々金を出す。男は金を鷲掴みにすると懐に入れ、バルコーに背を向けた。

「あの」

「あ?」

「ここにいる皆さんも、同じ金額を払っているんですか?」

「俺を疑ってんのか?」

「そういうわけではないですけど、参考までに」

「ふん。ああそうだよ。いいから席に着きな」

「あ、最後に一つ。エルドって名前、聞いたことありませんか?」

「ねえよ」

「そうですか。ありがとうございました」

 バルコーは頭を下げると、グラスを手に空いている席に向かう。

「っと」

 その途中、転ばそうとした酔っ払いの足を避ける。相手を見ると、面白くなさそうに舌打ちをする。

「わ」

 あまり気にせず席につこうと前に向き直るバルコー。しかしそこに突然立ち上がった巨漢がふらつきながらぶつかってきた。

「おい小僧! 何しやがる」

 男は酒臭い息を吐きながらバルコーを睨んだ。その手に持つ大きなグラスは傾き、僅かに残っていた酒が男のズボンを濡らす。

「おめぇがぶつかってきたせいで、酒を零しちまったじゃねぇか。ズボンも洗わなくちゃいけねぇ。まとめて弁償しろ!」

「いや、ぶつかってきたのはそっちで――」

「はあ? しらばっくれようってか? みんなも見てたよな?」

 男が周りに話を振ると、同意の声が返ってくる。

「今のでこっちが責められるのは、納得いかないんですが」

「ほーう? 意地でも払わねぇってんだな? おいお前ら」

 男が声をかけると、周囲の何人かが立ち上がる。ほとんどが自分より体の大きい男たちにバルコーが圧倒されていると、後ろから羽交はがめにされた。

「何をするつもりですか?」

「なぁに、常識知らずの坊ちゃんに、俺たちの常識を教えてやるだけだ、よっ!」

 男がバルコーの腹に拳を突き刺す。くぐもった声がバルコーの口から洩れた。

 巨漢に続き、立ち上がった男たちも次々にバルコーへと暴行を加える。それを見た他の客たちも歓声を上げ、野次を飛ばした。

「おっほほ! たんまり持ってやがるじゃねぇか!」

「返せ――」

 財布を抜き取られたバルコーは止めようとするも、言い終わる前に顔に拳が飛んでくる。

「あー、ちょっと喉乾いたな。水水っと」

「それは俺の――」

 胸に蹴りが入る。口笛が響く。笑い声が大きくなる。

 荒くれ者のリンチは、最高潮に達しようとしていた。

「ぎゃあっ!」

「ぎゃはは……へ?」

「ぐ……ぅえ」

 その中心で突如、三人の男が倒れる。

 一人は左足を抱いて転がり、一人は尻もちをついて自分の右肩を眺め、一人は腹を押さえて酒を吐いた。

 予想外の出来事に騒ぎ声が止み、苦痛の呻きが上がる中、バルコーは静かに言った。

「金と水を返せ」

「このやろっ!」

 巨漢がバルコーに殴り掛かる。バルコーはその拳を顔面で受けると、相手の脇腹に掌底を打った。

「がっ……!」

 男の体が崩れる。バルコーは低くなった相手の額に手を当てると、腕を伸ばした。

「おあ!」

 勢いよく押された巨体が後ろに飛び、加勢しようとする他の男二人を巻き込んで倒れる。側面や後方から襲い掛かってくる男たちもまた、バルコーに攻撃をした者から反撃を受けて沈んでいく。

 バルコーに向かう者がいなくなるまでに時間はかからなかった。倒れる男たちの中心に立つバルコーは、その内の一人の首を掴むと、無理矢理立たせる。

「財布、返せ」

「か、返す、返すから!」

 男は震える手で財布を差し出した。受け取ったバルコーは手を離し、中を改める。

「足りないようだが?」

「そ、それは……」

 男の視線を追った先に、少し離れたテーブルを囲って座る四人の男たちがいた。バルコーが近づくと、そのうちの一人が、ひっ、と声を上げる。

「お、俺たちが持ってるって証拠は――」

「ここでは」

 一番ガタイのいい男の言葉を最後まで聞かず、バルコーは赤い顔を鷲掴みにした。

「こういうとき、暴力で解決するのが常識なんだろう?」

「や、やめてくれ!」

「悪かったよ!」

 他の男二人が慌てて金を差し出す。丁度差額であることを確認したバルコーは、拘束を解いて金を財布に入れた。

「さて後は……」

 踵を返し、今度は倒れている別の男の首を持ち上げるバルコー。

「水、返せ」

「う、うう……」

「おい」

「ひっ! は、はいっ!」

 首を絞められた男はガクガクと頭を動かし、解放されると同時にバーテンダーの元へとふらつきながら駆けていく。

「み、水! 水を!」

「あ、ああ。だが……」

 バーテンダーは男の出した金を見て汗を流す。

「早くしろ! こんだけありゃ余裕で足りるだろ!」

「全然足りてないぞ」

 男の後ろから覗き込んだバルコーは、確認をとるようにバーテンダーへと目を向ける。男は体を震わせると、勢いよく首を横に振った。

「そ、そんなことありません! 水の一杯くらい、こんくらいの値段で――」

「お、おい……」

「へえ」

 バルコーは男の肩を優しく叩くと、バーテンダーを睨みつける。

「するとお前は嘘をついたってことか」

「い、いや、それは……」

 ドン!

 カウンターテーブルに拳が落ち、空気が震える。

「……申し訳ありません。代金は全て返却するので、どうか……」

「ふん。ま、金はくれてやるよ」

「えっ」

「その代わり、俺とあいつらが店で暴れた件は水に流してくれ。いいよな?」

「は、はい、勿論です」

「よし」

 仕返しを終えたバルコーは、反撃した相手に『ヒール』をかけて傷を癒していく。その様子に、他の客たちがどよめいた。

「魔法だ……」

「人が使ってるところ、初めて見た……」

「何者なんだ? あいつ……」

 入店時と同様、いや、それ以上の注目を集めるバルコーは、涼しい顔で淡々と回復魔法を唱えていく。

(やっちまったぁ……)

 しかしその内心では、身の振り方を誤ったことに後悔を抱いていた。

(『バルコー』でいた頃の名残もあって、降りかかる火の粉には容赦なくなっちゃうんだよなぁ。これなら多少不自然でも、最初からごろつきに扮した方がまだ悪目立ちしなかったかもな。しかしまさかここまで過激な歓迎を受けるとは……)

 なんてことを思っている間に治療は終わる。痛みが治まった男たちは、訝し気にバルコーを見た。

「……なんでわざわざ、俺たちを治した」

 巨漢の問いに、バルコーは肩を竦める。

「何人も床に転がったままじゃ、酒場の空気が悪くなるだろ。それに今日の怪我が原因で祭りに参加できなくなったら悪いしな」

「祭り、だと?」

「ああ。まだ詳細は話せないがな。ま、その時までのお楽しみってやつだ」

「……あんたは一体、何が目的でここに来た?」

「目的は人探しだ。ただその相手は慎重でな、乱闘騒ぎが起きたとなれば店に入ってこなくなるかもしれない。そういう意味でも、お前たちをそのままにはしておけなかったんだ」

「………………」

 男が黙るのを確認してから、バルコーは手を叩いた。

「てなわけで、俺は暫くこの店にいさせてもらう。俺のことは気にせず、酒でも飲んでいてくれ」

 それだけ言うとバルコーは、カウンターで水を受け取り、空いている席へと向かった。男たちは複雑な表情を浮かべていたが、やがて思い思いに動き出し、ある者は倒れたテーブルを元に戻し、またある者は店から出て行く。

 それから少しして、客らはそれぞれのテーブルで話を再開した。醒めた酔いを取り戻そうとしているのか、酒の注文も相次ぐ。バーテンダーは途端に忙しくなった。

(元通りではないけど、ある程度元の雰囲気に戻ったかな)

 時折こちらに向けられる視線を感じつつ、バルコーは水を口に含む。

(見た感じ、魔物に化けた奴はいないようだし、魔法の使い手が現れたってことも酔っ払いの噂程度に収まるだろう。うん、そうであってくれ)

 後は目当ての人物が現れれば。そう願った直後、バルコーは外から何かが近づいてくるのを感じた。

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