それぞれの行動指針

「じゃ、じゃあここには魔物が――」

「いやホント、ここに来るまで魔物が少なくて助かったよな」

 バルコーは明るく言いながら、口の前で人差し指を立てた。ミヨリは慌てて口を塞ぐ。ヤクモはさりげなく立ち上がって窓に近づくと、空気を入れ替える振りをして二階の窓を開け、外の様子を窺った。

 遠くに見える海は闇に染まり、初めて見た時とは全く異なる一面を見せていた。朝は心地良かった波の音も、今や威嚇しているように聞こえ、ヤクモはすぐに窓を閉めてしまう。

(街に入る前に話しておくべきだったかな? でも入る前から警戒してたら怪しまれるしな。先に盗賊の話をするべきだったか)

 比較的値段の高い宿屋の一室、照明用の魔法石が設置された部屋は人工的な光で満たされていた。そこでこの街の事情を語っていたバルコーもまた念のため、椅子から立つと足音を殺して入り口に向かう。そして近くに人の気配がないことを確認すると元の位置に戻った。

「ご、ごめんなさい……。声を上げてしまって……」

「いや、仕方ないさ。初めて訪れた場所に魔物が潜んでいるだなんて言われちゃ、驚いて当然だよな」

 初めて見る海、そして大都市は、ミヨリに強い興味を抱かせた。しかし盗賊の存在によって未知への恐怖が強まり、それが魔物の存在によって決定的になったのだろう。

 そう判断したバルコーは、初老の男が言っていた盗賊が悪い相手ではないということを説明する。ミヨリはまた驚きの表情を浮かべるも、今度は声は出ず、体の強張こわばりも幾分か和らいだ。

 バルコーはミヨリの様子を窺いながら話の焦点を戻していき、何事もなく語り終えたところで水筒に口をつけた。聞き終えたヤクモは、ため息混じりに言葉を吐く。

「ということはなんじゃ? そのガーメッツとかいう商人は、カネのために魔物と手を組んでいると」

「そういうことだ」

「度しがたいのう。元々裕福じゃというに、そこまでして更なるカネが欲しいのか」

 セブンブリッジの商人の一人ガーメッツは、所有する小島を密かに魔物の巣窟とし、そこで数を増やした魔物に別の商人の船を襲わせていた。そして採算の取れなくなった漁場や海運路を占有し、巨万の富を築いていたのだ。

 更に彼は魔物を街へと手引きし、屋敷に匿っていた。人に化けた魔物は生活に苦しむ元船乗りなどを言葉巧みに誘い、裏で労働力として連れ出しているのだ。

「ひどい……。自分の欲望のために、周りの人を犠牲にするなんて……!」

「……してあるじ殿、我々は何をしたら良いのじゃ?」

 ヤクモの問いにバルコーは頷き、本題に移った。

「ヤクモさんとミヨリさんは、この街で用心棒をしてほしい」

「よ、用心棒、ですか?」

「ああ。それで困ってる船乗りを助けてあげてほしいんだ。海の魔物も減らせるし、シナリオ通りに行けば後々、船乗りたちがガーメッツの屋敷に乗り込んで魔物と戦うことになる。そこに混じってもらいたい」

「魔物を倒して、マーカスとやらに間接的に助力せよということか。承知したのじゃ」

「ん……まあそんなところだ」

「用心棒……。私なんかが、なれるでしょうか?」

「大丈夫だよ。今のミヨリさんは、そこいらの魔物なんかよりよっぽど強いし」

 今日に至るまで、ミヨリは毎日バルコーと組手をしていた。自分より遥かに高いレベルのバルコーに挑み続けたミヨリのレベルは、村にいた頃とは比べ物にならないくらい高まっており、勘が鋭い魔物は戦闘を避けるほどにまで成長していた。

 しかし本人にその自覚はないようで、バルコーの言葉にも上手く言葉を返せないでいる。その肩をヤクモが抱いた。

「なに、我が共にるのじゃ。そう気を揉むな」

「う、うん。よろしくね、ヤクモ」

「うむ! 大船に乗った気でおるのじゃな! 海だけに!」

 がっはっは、今日は冴えておるのう、と満悦するヤクモ。それを置いて、バルコーはミヨリに微笑みを向ける。

「まあ無理に戦わなくてもいいけど、ミヨリさんにはヤクモさんと船乗りの仲を取り持ってほしいんだ。お金絡みのことも、ミヨリさんならそれなりに理解できるだろうし」

「む、あるじ殿、我とてカネの計算くらいできるぞ」

「127足す35。三秒以内」

「なぬっ!? ええと、152じゃ!」

「162だよ」

「ということだ」

 勿論バルコーが期待しているのはこんな単純な問いに答えられることではないが、ヤクモを納得させるには十分だった。一人で答え合わせをしているヤクモから離れたバルコーは、ミヨリの傍で屈んで耳打ちする。

「あの様子じゃ、金銭感覚についてもよく分かってないだろ? タダで請け負う、なんてことになったら船乗りたちに怪しまれるし、他の用心棒たちにも目をつけられる。何人かの船乗りや用心棒たちと話をして、ミヨリさんの思う丁度いい値段を見つけてくれ」

「で、でも、私も商売のことは、あまり……」

「ごめん。だけど俺たちの中で一番まともな金銭感覚を持ってるのがミヨリさんなんだ。お願い、この通り!」

 手を合わせて頭を下げるバルコー。ミヨリは両手を振ってそれを止めようとする。

「し、師匠、頭を上げてください! わ、分かりました。船乗りさんたちとの交渉、精一杯、頑張ります!」

「ありがとう。ミヨリさんなら、きっと上手くやれるはずだ。もし危なくなったら、杖で反撃してもいいから」

「あ、あはは……。そうならないよう、気をつけますね」

「何をこそこそと話しておる。ミヨリには我がついておるのじゃ。何があろうと、心配することなどない」

 答え合わせを終えたらしいヤクモが話に交ざる。ミヨリはヤクモの顔を見て、僅かに安堵の笑みを浮かべた。

(この二人なら、大丈夫かな)

 そう判断したバルコーはおもむろに立ち上がると、脇に置いた荷籠からいくつか道具を取り出す。

「師匠?」

「出かけるのかの?」

「ああ。俺は俺でやることがあるからな。二人とは暫くお別れだ」

「ええっ!?」

「ふむ……詳細は聞かなくてもよいのか?」

「あまり聞かせたくはないかな。……混乱させても悪いし」

 バルコーはこの街の事情については語ったが、マーカスたちがどう問題を解決するかまでは教えていない。ヤクモはそのことについて特に何も言わず、ここでも、そうか、とだけ返した。

「あ、あの、どのくらいお別れするんですか?」

「そうだな……ざっと一ヶ月くらいだ」

「そ、そんなに……!」

「お金は置いておくから、いざという時はそれで食いつないでくれ。それと、状況が変化しないって思ったら、ここから離れてくれて構わない」

あるじ殿、その冗談は笑えぬぞ」

 ヤクモの視線が刃物のように鋭くなる。それを受けたバルコーは苦笑いを浮かべた。

「ごめん、気を悪くさせちゃったな。いざという時は自分の身を守ってくれって言いたかったんだ。大丈夫。俺のレベルは知ってるだろ? こんなところで死ぬことはないさ」

「……信じるぞ」

「うん」

(ごめん)

 いくらレベルが高くても、マーカスたちにバレたら消滅する危険性があるバルコーは、絶対を保証できない。引け目を笑顔で隠したバルコーは、嘘を看破されない内に背を向ける。

「……あの、師匠」

 その背中に、ミヨリが立ち上がって声をかけた。バルコーは足を止め、振り返らずに応える。

「何だ?」

 顔を見せないバルコーに、ミヨリは何かを言いかけてから口を結び、相手に見えない笑みを浮かべて言葉を送った。

「……私、待ってます。師匠の帰りを」

「……ありがとう」

 短く答え、バルコーは部屋を後にする。

 扉の閉まる音が響いた後、室内は静かになった。潮騒しおさいを遠くに聞きながら、ミヨリは椅子に腰を下ろす。

「師匠は私たちを、ううん、私を巻き込みたくなかったのかな?」

「それもあるじゃろうな。あるじ殿と同様、ミヨリもマーカスたちに顔が知られておる。鉢合わせにでもなれば何が起こるか分からぬから、遠ざけたのじゃろう」

「やっぱり、そうだよね……」

 分かっていたけど認めたくなかった。そんな同意の言葉の続きはミヨリの口から出てこない。寂しい、悲しい、不安だ。そのどれもが合っているようで間違っているような、曖昧な感情を持て余していた。

「心配か?」

「……そう、ですね。心配です」

 心配という言葉の型に押し込めると、なんとなく捉えたように思える。全てでなくとも、型にはまった部分だけ形にしようと、ミヨリは口を動かした。

「師匠はとても強いです。私と、オニマルとキュウビと、ヤクモの四人で戦っても、敵いっこありません。だけどそんな師匠でも、あの強制力という力に対してはどうしようもないって、だから……」

 師匠が戻ってこないんじゃないか。そう口にしたら本当にそうなってしまいそうで、ミヨリは閉口した。

「そうじゃのう。して、どうする?」

「どう、って……?」

あるじ殿のことが心配ということは分かった。それで、お主は何が望みじゃ? そのために何ができる?」

「………………」

 ヤクモの問いに、ミヨリはすぐに答えられない。

(今ならまだ追いつけるかもしれない。でも追いついた後、何を話せばいいの? 行かないで、なんて勝手なこと、言えるわけないし……)

「……ヤクモは、行かないの?」

あるじ殿にめいを授けられたのでな。我に与えられた仕事も、絶対というわけではあるまいが、必要なことなのじゃろうて。なれば我は、契約主の意思に従うまでよ」

「師匠が……危ない目にうかもしれなくても?」

「危険はあるじ殿も重々承知しておろう。それを踏まえて尚独りで行くと決めたのなら、我が口出しすることはない」

「………………」

(ヤクモの言い分も理解できる。でも……!)

「そろそろ追えなくなるぞ」

 ヤクモが窓の外を見る。比較的広い通りを、観光客に扮して歩くバルコーの進みは遅いが、見えなくなるのは時間の問題だ。

「……そうだっ!」


◇ ◇ ◇


 夜、マーカスはベッドの上で仲間から投げかけられた言葉を思い返していた。

「これでは私が隊長を務めた方が幾分か良さそうだな」

「私も……どちらかと言えばハザクラさんの方が向いているように思います。勿論、今すぐに代えたいというわけではありませんが……」

 それは仲間なりの檄だったのかもしれない。しかしマーカスは額面通りに受け取ってしまい、苦悩していた。

(俺だって、自分が頼りないとは思ってるさ。だけど、どうしろってんだよ!)

 今まではなあなあでもそれなりに成果が出せていた。しかしシナリオが始まった途端、世界は突然牙をむき始めた。その辺をうろつく魔物にすら苦労する始末で、戦闘経験すらろくに積めない。勿論ハザクラやシエルと一緒であれば魔物にも勝てるのだが、自分の鍛錬に協力してほしいと頼むのは自尊心が許さなかった。

 そして彼は今夜も、よく眠れないまま明日を迎えようとしていた。

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