セブンブリッジ

 空が明るくなり始めた頃、丘陵きゅうりょうを行く三つの影があった。

 先頭を歩くのはバルコーだ。厚手の長ズボンに薄手のシャツ、ポケットの多いチョッキを身に付け、腰に剣を差し、背には大きな荷籠にかごを背負っている。

 その後ろに、白のローブに身を包んだミヨリ、黒の外套を纏うヤクモが続く。昨日の疲労を残しているミヨリは、歩き始めて早々手に持つ杖を突き、息を切らしていた。

「大丈夫か? ミヨリさん」

「は、はい! 大丈夫です、師匠!」

 バルコーが稽古をつけるようになってから、ミヨリは彼のことを師匠と呼んでいた。呼ばれ始めて早二十日、未だにむず痒さを感じながら、バルコーはもう一人の同行者に声をかける。

「ヤクモさんは平気か?」

「うむ、平気じゃ平、へいっ、へっ、へっくし!」

 盛大なくしゃみをするヤクモ。春も中頃といった時節だが、早朝の涼しさはヤクモにとってこたえるらしい。

「運動、してるのに、ヤクモは、寒いんですか?」

「縄張りを巡回していた頃は、毎日もっと長い距離を移動していたのじゃ。この程度、我にとっては運動と呼ばぬ。初めの内こそ人の体に慣れなかった故、余計な体力を使っていたがの」

「そう、ですか……」

 息を荒くするミヨリを心配しながら先に進むバルコー。その足がピタッと止まる。

「む? どうしたのじゃ? あるじ殿」

「分かるか? この匂い。目的地が近づいてきたぞ」

「匂い、ですか? ……言われてみると、今まで嗅いだことのない香りが……」

「ふむ、確かにのう。一体何があるというのじゃ?」

「答えはすぐそこだ」

 バルコーは先んじて丘の上へと辿り着く。遅れること少し、二人は同時に丘へと登って――

「う、わ……」

「なんと……」

 朝日が覗く広大な海原を前に、言葉を失った。二人の様子を見たバルコーは、行き先を告げなかったことは正しかったと知る。

「あれ、湖? でも、あんなに大きいなんて……!」 

「いや、まさかあれは、あれが、海なのか!?」

「海!?」

「正解。といっても、今世では俺も初めて見るけど」

 にやにやするバルコーは、人差し指を海へ向ける。

「あれこそが、世界の七割を覆う、莫大な水をたたえる大自然の器、海だ」

 そして彼は腕を伸ばしたまま動かし、遠く見える、海に浮かぶようにして建つ都市を指した。

「そしてあそこが、俺たちの目的地。七つの海を渡る船団が集う船乗りの聖地、港湾都市、セブンブリッジだ!」




「わ、つ、冷たい!」

「む、本当にしょっぱいのう」

 海沿いを歩くことにしたバルコーは、海に初めて触れる二人の様子に目を細める。ミヨリは自分の手を濡らした波の様子を興味深く観察し、ヤクモは海水の味を確かめた後、砂を手に取った。

「不思議、ですね。行ったり来たり。どうしてこんな動きをするのでしょう?」

「なんと細かい砂じゃ。海にはこんなものまであるのか」

 海への関心は尽きないようで、自然と二人の足は遅くなる。最後尾のバルコーは周囲を警戒しつつ、二人に合わせてゆっくりと足跡を残していった。

「やっぱり私、旅に出て良かったです。こんなすごい景色、村に留まったままでは見られませんでしたから」

「そうじゃのう。我もミヨリと共にこの絶景を見ることができて良かった」

「ヤクモ……」

「それに一緒にれば……」

 ヤクモはおもむろに上半身を倒すと、手を海につける。

「ヤクモ? きゃっ!」

「こうして、からかうこともできるしのう」

 ヤクモに水をかけられたミヨリは、笑みを浮かべて応戦した。

「もうっ。やりましたね! オニマル、キュウビ、出番ですよ!」

 ギャウッ

 コンッ

 ミヨリの成長に伴い、一回り大きくなった式神が現れる。

「なっ、三対一は卑怯じゃろう!?」

「奇襲を仕掛けてきた相手に、正々堂々とは戦いません!」

「くっ、いいじゃろう。まとめてかかってくるが良い!」

 そして始まる水合戦。ゲーム内では決してみられない光景にバルコーは尊さすら覚えた。

「くしゅん!」

「へくしょ!」

 やがて水合戦は、双方のくしゃみを以て終結する。

「二人とも、大丈夫か?」

「す、すみません……。はしゃぎすぎました……」

「うう、体温が……へぶしゅ!」

 鼻水を垂らすヤクモ。陽光があるとはいえ、海風は濡れた体を容赦なく冷やしてくる。バルコーは懐から出したチリ紙をヤクモに渡し。二人の上着を預かると、それぞれに回復魔法をかける。

「これで体力はある程度戻ったはずだ。だけど濡れた体はどうしようもないから、走って温まろう」

「はい、師匠!」

「う、うむ、へ、っくし!」

 白いローブの下、ミヨリは皮のブーツに藍色の半ズボン、少しサイズの大きい白のシャツを着ていた。動きやすさを重視したその恰好は、旅に向いた衣服を持ってなかったミヨリに村の人がプレゼントしてくれたものである。

 その服もそれなりに濡れており、何もしなければまた体力を奪われてしまうだろう。少しでも早くローブを乾かして着せようと、バルコーは濡れたローブを右手に持つ。

 黒い外套を外したヤクモの格好は、契約した時のままであった。即ち、袖のない黒の肌着とホットパンツのみという、褐色の肌が眩しい姿だ。羞恥に耐えたバルコーの問いにより下着も着用していることが知られているが、この世界の住人にとって刺激が強いことに変わりはない。しかしヤクモは気持ち悪いという理由でそれ以上衣服を重ねることを拒んだのである。

 外套は譲歩の結果着用を許された唯一の重ね着だ。セブンブリッジにて余計な注目を集めないためにも、一刻も早い乾燥が求められていた。バルコーは濡れた外套を左手に持つ。

「よし、それじゃあ行くぞ!」

 二人が了承したのを受けたバルコーは、両手を大きく広げて走り出す。向かい風で上着を乾かそうという試みだ。風の抵抗を大きく受ける走り方でありながら、バルコーはすぐに二人を追い抜くと、どんどん距離を離していく。

「は、早っ」

「ぬう、走るのはまだ不得手じゃ」

 疲労が残るミヨリと、走る経験の浅いヤクモは、その背が遠ざかっていくのを止められない。二人の気配が離れていくのを感じたバルコーは、入り口についたら一度引き返そうかと考え、

「おい止まれ!」

「貴様何者だ?」

 セブンブリッジの入口、ホシティ大橋の前で、まだ幼く見える少年と、顔に皺が刻まれた白髪混じりの男に止められた。二人に気づいたバルコーは、両手を広げた状態で急停止する。警戒した少年は手に持った槍の先を向けようとして、初老の男に頭を叩かれた。

「え? た、旅人ですが……」

「いてて……旅人だと?」

「ならその手に持っている物は何だ?」

「あーっと、これはですね」

 どう説明しようかと悩んでいる間に、少年がバルコーを追う少女たちに気づく。

「はぁ、はぁ、速い……」

「うう、また風が、へ、へっぶしゅ!」

「お前、追い剥ぎか!?」

「か弱い女性の衣服を盗むなど、外道め!」

 槍を向けられたバルコーは両手を上げて弁明した。

「いやいやいや、そういうわけでは。二人は知り合いなんですよ、ほら」

 背を向けたバルコーがローブを左腕に掛けて右手を振ると、走る二人が反応する。

「あ、師匠、待って、くれています?」

「みたいじゃのう。早く追い付いて、上着を、っくしょん!」

「待って……上着を……だと!?」

「貴様ぁ! やはり!」

「いや都合良すぎないか耳!?」

 その後、取り押さえの一歩手前でミヨリとヤクモが合流したことにより、バルコーへの誤解はどうにか解けた。

「ま、紛らわしいことすんなよな、ったく」

「傍から見たら、かなり怪しまれる行動だったぞ」

「いやあはは、仰るとおりで」

「ご、ごめんなさい……。羽目を外しすぎたせいで……」

「ミヨリが謝ることなどなかろう。誰かが悪いというなら、それは要らぬ勘違いをしたこやつらじゃ」

 しかし粗方乾いた外套を羽織ったヤクモの発言に、緩みかけた空気が再び緊張する。

「なっ! か、勘違いじゃないかもしれないだろ!」

「なんじゃ? 貴様はここを通ろうとする者全てに疑いの眼差しを向けると言うのか?」

「だ、だって、服持ってたし……」

「確かに珍妙な姿ではあったがな……くく」

 バルコーの後ろ姿を思い出したヤクモが手で笑みを隠す。その動きに伴って外套が広がり、少年は目を逸らした。

「しかしの、盗人であればわざわざ人がいる方には逃げぬじゃろう? 盗みをするにしても、こんな朝方より余程しやすい時間があるというものじゃ。疑うだけならまだしも、槍を向けるのはやり過ぎではないか? のう?」

 一瞬凄んでから、む、今上手いことを言ったのう、と自賛するヤクモ。

「そ、それは……」

「……そこに関しては、お嬢さんの言う通りだな。すまなかった。こちらも今、ピリピリしていてな」

 初老の男が頭を下げる。それを見た少年も、もごもごと謝罪の言葉を口にして頭を下げた。

「いやまあ、こちらも誤解されるような振る舞いをしてましたし、この件はお互い水に流しましょう」

「主殿は心が広いのう」

「と、ところで、ピリピリしていると仰ってましたけど、何かお困りごとがあるんですか?」

 ヤクモの言葉に被せるようにミヨリが尋ねる。初老の男はしまったとでも言いたげに顔をしかめる。

「……ま、隠し通せるもんでもないか。セブンブリッジでは今、盗賊による被害が出ていてな」

「ええっ! と、盗賊、ですか!?」

 盗賊。その言葉に、ミヨリだけでなくバルコーも驚きの表情を浮かべた。

 盗賊は、ゲーム内では魔物扱いされることも多いが、現実では当然人間だ。魔物相手であれば、ほとんどの場合に敵であることが定まっているため、距離を取る、応戦するなど自衛行動もとりやすいが、人間相手ではそうはいかない。そのため盗賊は、ある意味魔物よりもたちが悪いのだった。

 人々から魔物と並び恐れられてきた盗賊の存在は、決して大きくない村落で生まれ育ったバルコーにとっても恐怖の対象だった。

(ここに居るのは義賊だけどな)

 しかしシナリオを知るバルコーの驚きは、表情だけのものだった。演じるバルコーはそれらしい質問をする。

「こんな大きな街にも、盗賊が?」

「大きな街だからこそ、さ。モノもカネも集まる最上級の交易都市だからこそ、盗みの旨みも段違いだ」

「最上級と言うからには、それに見合う安心も保証しておいてほしいものじゃな。盗人が出るとなれば、商いもしづらくなるじゃろうて」

「まさにその通りだ。盗賊の存在で、街には益々大きな影が落ちている。船乗りも減る一方だ」

 ため息と共に言葉を吐く初老の男。その内容に、ミヨリが小首を傾げた。

「益々? 盗賊が出る前から、何かあったのですか?」

 ミヨリの指摘に、男が瞑目めいもくする。

「半年ほど前から、海の魔物が増え出してな。海運は勿論、漁業にさえ易々と出られなくなったんだ。そこそこの数の魔物であれば乗組員でも対処できるんだが、魔物の相手をしている間は自由に船が動かせん。魔物に割く時間が増えるほど利益は減るし、船に被害がでれば修理代もかかる。結果、生計が立てられなくなる船乗りが多くなったんだ」

「ふむ。魔物が原因であるなら、冒険者に頼めば良いのではないか?」

 少年の顔を覗きこむようにしていたヤクモが疑問を投げかける。少年は顔を赤くしていた。

「当然、すぐに助けを要請したさ。だが冒険者が魔物の数を減らしても、少し経てばまた増えだす。そんでまた冒険者に依頼して、減って、増えて、いたちごっこさ」

「なら街に冒険者を常在させるのはどうです?」

 バルコーの提案にも、男は首を横に振る。

「海の中で魔物を相手にできる冒険者は多くない。それだけの腕があればあちこちから引っ張りだこだし、報酬金も高くなる。だから長期契約は難しいんだと」

「じゃ、じゃあ、この街の人はもう、海に出られないんですか?」

「いや、自前で用心棒を雇ったり、魔物が嫌う聖水を使ったりすれば出られないこともない。ただそれができるのは、一部の大商人くらいだ」

「そう、ですか……」

 大半の船乗りは満足に仕事ができない。それを知ったミヨリは表情を暗くする。

「いや、すまんな。折角来てくれたのに、暗い話ばかり聞かせちまって」

「い、いえ、そんな。訊いたのはこちらからですし」

「貴重なお話、ありがとうございました。取り敢えず、街には入れるってことでいいんですよね?」

「ああ。封鎖しているわけじゃないからな。ただ、持ち物には気をつけろ。それと、盗賊だと思われないよう、注意するんだ」

「やれやれ。折角の海じゃというのに、水を差された気分じゃ。いや、海なればこそ、か?」

「ヤクモさん、口にしても仕方ないだろ。それじゃあ、街に入らせてもらいますね」

「ああ。ようこそ、セブンブリッジへ」

「ではの、少年」

「ま、街の中でマント脱ぐんじゃねーぞ!」

「くく、さてどうしようかの?」

「ヤクモ、もうなにしてるのっ。行くよ」

 こうしてバルコー一行は、暗い影が落ちる街、セブンブリッジに足を踏み入れた。


◇ ◇ ◇


「マーカス殿、そちらに行ったぞ!」

「わ、分かってるけど、あっ!」

「逃げられてしまいましたね……」

 同日、魔物の討伐依頼を受けていたマーカス隊だったが、その進捗はあまり良くなかった。

「……マーカス殿、余計な動きをしすぎだ。もう疲れているではないか」

「はぁ、余計な動きといっても、ふぅ、分からないよ……」

「体に力を入れすぎなんですよ。今回復を――」

「いや、このままでいい。疲れ切った方が、自然と無駄のない動きができるはずだ」

「は、はぁ!? ま、まだ昼にもなってないんだぞ?」

「……そうですね。回復魔法に頼りきりになるのはいけませんし」

「お、おい!」

「さあ、もう一度魔物を追い詰めるところからだ。行くぞ!」

 隊長のように振る舞うハザクラに、マーカスは何も言えなかった。

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