長年の夢

「ほ、本当にヤクモ、なんですか?」

「うむ、正真正銘、我じゃぞ」

 先程までミヨリと話をしていたらしいマーカスたちが十分離れた頃合いを見計らってミヨリの家を訪れたバルコーは、隣の女性がヤクモであることを伝えた。ミヨリは初めて見る相手をいぶかしげに見つめる。

「……いくらあなたの言葉でも、信じられません」

「そうだよなぁ……」

 マーカスたちとの話し合いで嫌な思いでもしたのだろう、ミヨリは気が立っているようだった。そこに見ず知らずの相手を紹介されかつての親友だと聞かされても、納得なんかできるはずもない。

「ふむ、では仕方ないの。ミヨリの恥ずかしい話でもするとしようか」

「へっ!?」

 素っ頓狂な声を上げるミヨリを見てにやにやしながら、ヤクモは語り出す。

「あれはミヨリがまだ五つの頃じゃった。我から妖怪の話を聞いたミヨリは怖くなり、ある夜――」

「わー! わー! やめて、やめてください!」

「ふむ、ではこの話はどうじゃ? 社の掃除中に気を良くして鼻歌を歌っていたら――」

「合言葉! 合言葉を言いましょう!」

 言葉を被せるようにミヨリが言う。バルコーはゲーム内では見られなかった彼女の一面に驚いた。

(親友とはこんな感じで話してたのか。……微笑ましいな)

「コホン。ではいいですか?」

「うむ、いつでも良いぞ」

「山!」

「芋!」

「違う!」

(えっ)

「なんじゃと!?」

「曲者じゃ! 出会え出会え!」

「おのれ越後屋! 裏切りおったな!」

「………………」

 掛け合いが終わり、どうしていいか分からないバルコーが声を上げようとしたところで、ミヨリがヤクモに抱き着いた。

「ヤクモ! 本当に、ひぐっ、本当に、生きていたんですね……!」

「うむ。心配かけたな。……やれやれ、泣き虫は治せと言ったじゃろうが」

「ぐすっ……これは、いいんです……。うれし涙、だから……!」

「くく、そういうことにしておこうかの」

 抱き合う二人の目尻には光があった。完全に蚊帳の外になったマーカスは、二人の時間を邪魔しないよう地蔵になる。

(泣き虫は治せ、か。二人が親友になれた切っ掛けは、そこにあったのかもな)

 やがて泣き止んだミヨリが、バルコーに深く頭を下げる。それに慌てたバルコーもまた、同じようにして頭を下げた。

「私の親友を救ってくれて、本当にありがとうございました。なんとお礼を言ったらいいか……!」

(いやお礼なんて……いらないっていうのは失礼か?)

「いやその、気持ちだけで十分だよ。そもそもミヨリさんの協力がなかったら上手くいかなかったんだし、礼を言うのはこちらの方だ。俺を信じてくれてありがとう。本当に助かった」

 ミヨリは箱の鍵を開けるだけでなく、最後までバルコーの存在をマーカスたちに明かさなかった。それは手紙で頼んでいたことではあったが、存在の露見が消滅に繋がる恐れがあるバルコーにとって、流れ者の自分を信頼し、協力を惜しまなかったミヨリには感謝してもし足りなかった。

「ヤクモを助けるためですから、協力は当然です。それに、これでも人を見る目はあるつもりですから。大蛇おろち様を、ヤクモをただの魔物としてしか見ていない冒険者なんかよりも、あなたは信頼に値すると思ったんです」

「はは、光栄だな……」

(あーあ。マーカスがフラグを折ったせいで、ミヨリも完全に冒険者嫌いになっちゃったぞ……)

 マーカスたちに対する信用がなかったことで、自分がより信じられたという側面もあるという認識は持っていたが、バルコーの笑みは引きつっていた。

「それに、ガダマさんからもいい人だって聞きましたし」

「ガダマさん?」

「私に手紙を届けてくれた、年輩の男の人です。あれだけの結晶があれば、村の人全員が暫く飢えずに済むって」

「ああ、そうなのか。喜んでくれていたなら良かった」

 魔物の落とす結晶は換金することもできる。バルコーはそれを使って、村人のガダマに紙と筆を貸してもらい、更にミヨリが一人でいるタイミングで渡すよう頼んでいたのだった。

(確か、洞窟内に置いておいたのと同じくらいの量を渡したっけか。喜んでもらえたのなら何よりだけど、金銭感覚は掴んでおいた方がいいかもな)

 お金に触れる機会の少なかったバルコーは、今後出会うであろう町の住人を頭に浮かべ、ぼられないよう気をつけようと思うのであった。

「うむうむ。やはりあるじ殿は立派な御方じゃのう」

あるじ殿……? いえ、それよりも、ヤクモはどうしてそんな姿に?」

「おっと、まだ説明しておらんかったの。実はじゃな――」

 ヤクモは兄たちとの別れと、そこにバルコーが関わったこと、そして契約までの流れに加え、シナリオの存在についてまで語った。

(強制力を体感したミヨリさんになら話せると思ったけど、俺以外からでも伝えられるんだな)

 バルコーがこの世界のルールについてまた一つ賢くなったところで、ヤクモの話が終わる。

「とまあ、そんなわけじゃ」

「そ、そんな……この世界が、作りものだなんて……」

 驚きこそしたものの、最後まで静かに話を聞いていたミヨリは、震える声で呟いた。流石にすぐには受け止めきれなかったらしく、体も震えている。

「信じられぬのも無理はない。しかし此度の件では、明らかに何者かの意思が働いておるような現象があったのじゃ。あるじ殿の話も、さながら未来予知かのごとく、起こる出来事を次々と的中させておったしのう」

「……うん、信じるよ。私も、ヤクモに声をかけようとしたのに、何もできなかったもん」

「なんと、お主にもそのようなことが……」

 ヤクモは心配そうに目を伏せ、窺うようにバルコーを見た。

「のうあるじ殿、ミヨリはもうシナリオから解放されたのか?」

「そうだな……ミヨリさん、一つ訊いてもいいか?」

「は、はい、なんでしょう?」

「『オーデギスタ』って名前、聞いたことあるか?」

「『オーデギスタ』……。いえ、初めて聞きます」

「そうか。ヤクモさんは?」

「我も初耳じゃ。なんなのじゃ? その、扇でした? とかいうのは」

「シナリオ上のラスボスの名前だ。前に一度、ミヨリさんに聞かせようとして失敗した。だけど今は言えたってことは、少なくともマーカスたちと関わることがなくなったってことだから、シナリオからも解放されたって考えてもいいはずだ」

 バルコーの答えに、ヤクモが安堵の息をつく。

「じゃあもう私に、あの時みたいに声が出せなくなるみたいなことは起きないんですね?」

「ああ」

「良かった……」

「うむ、良かったの。これでお主も自由の身じゃ」

「……自由の身」

 ポツリと呟いたミヨリは俯いて、声に出さず口を動かす。

「ミヨリさん?」

「……あの」

 顔を上げたミヨリの目には、決意が覗いていた。

「ん? うん」

「バルコーさんの旅に、私も連れていってくれませんか?」

「えっ」

 バルコーとヤクモの声が重なる。その反応に僅かに怯むも、ミヨリは勢いのまま続けた。

「私も、外の世界が見たいんです。ですから、どうか」

「え、いや、でも村のことはいいのか?」

「大蛇様がお隠れになった以上、巫女の存在意義は失くなりました。魔物への対処は、……冒険者の方がしてくれる筈です。あの冒険者たちも、元々そのつもりで来ていたようですから」

(ああ、そう言えばそういう話の流れだったっけ。あと、ヤクモと前に――)

「それに、ヤクモとも昔、約束しましたから。いつか一緒に、村の外を旅しようって。ね?」

(そうだったそうだった)

 ミヨリがまだ幼かった頃にヤクモと交わした約束の内容を思い出し、バルコーはうんうんと頷く。

「う、むぅ……。それは我も覚えておるが、やはり心配じゃのう……」

「バルコーさん」

 親目線のヤクモからバルコーに向き直ると、ミヨリは深く頭を下げた。

「どうかお願いいたします。ヤクモと一緒に外の世界を旅するのは、私の長年の夢だったのです。決して足手まといにはなりません。ですから、何卒!」

 叶わないと思っていた夢が実現するかもしれない。大きな期待と不安を胸に、ミヨリは回答を待つ。

「ああ、別にいいぞ」

「へっ」

あるじ殿!?」

 しかしそんなにあっさり承諾されるとは思ってなかったようで、二人が同時に顔を上げる。完全に揃った動きに少し可笑しくなりながら、バルコーは続けた。

「いやまあ、あんまり楽しい旅にはならないと思うけどな。ヤクモさんの話にあった通り、俺の目的はシナリオを無事終わらせることだ。行き先は決まってるし、時には協力してもらうこともあるだろうけど、それでも良ければ」

「は、はい! 全然構わないです!」

「それじゃあ、これからよろしくな、ミヨリさん」

「はい! よろしくお願いします、バルコーさん!」

 喜色満面のミヨリとは対照的に、ヤクモの顔は曇ったままだった。

あるじ殿が良いのであれば反対はせぬが、ぬぅ……」

「もうっ。どうしてそんなに心配するの? 私だってもう子供じゃないんだから。それに一人でもやっていけるって言ったのはヤクモだよ?」

「それはそうじゃが、我らの旅に同行するには頼りないのよなぁ。お主、今まで一度として魔物と戦ったことはないじゃろう?」

「そ、それは……」

 言葉に詰まるミヨリ。それを聞いたバルコーは、ミヨリの初期レベルが低いことを思い出した。

「魔物と戦う機会がなかったのか? オニマルもキュウビも、結構戦えそうだったけど」

「いやいや、何度かあったぞ。我と共に村の外れで遊んだ時などな。しかしミヨリは怖がってのう。戦ってみせよと勧めても頑なに拒むのよ。故に魔物退治は専ら我の仕事じゃったわ」

 まあそれが務めじゃから良いのじゃがのう、とヤクモは笑う。

「だ、だって、オニマルとキュウビに、傷ついて欲しくないから……」

「うむ、そういうことじゃの。我もミヨリに傷ついてほしくないのじゃ。物見遊山ならともかく、あるじ殿の旅に付き合うとなれば相当な危険も伴うじゃろうしな」

「………………」

 何も返せないミヨリ。しかし不意に、その左右にオニマルとキュウビが現れた。呼び出してもいないのに現れた式神たちに、ミヨリは目を丸くする。

「え? ふ、二人とも、どうしたの?」

 鬼と狐は答えず、黙って契約者を見上げた。それを受けたミヨリもまた、口を閉じてそれぞれの顔を見る。

 いつか四人で外の世界を旅しよう。そう約束した時と同じ強い意思の光が、再び彼らの眼に宿っていた。

(……そう、ですよね。あなたたちももう、守られてばかりじゃないですよね。そして、私も……)

 ミヨリの気持ちが伝わったのか、式神は強く頷いた。ミヨリも頷きを返すと、ヤクモを真っすぐ見据える。

「危険は承知の上だよ。私に傷ついてほしくないって気持ちも、理解できる。それでも私は、ヤクモ、あなたと一緒に旅をしたいの」

「式神を傷つけることになっても、か?」

「うん。この子たちも覚悟してる。魔物とだって、戦うよ。それで成長して、強くなって、いつかヤクモを助けられるくらいになるっ」

 それを聞いたヤクモは目を大きくすると、ガハハハと大笑する。

「我を助けるか! 大きくでたのう! ガハハハハ!」

「……私は本気だよ?」

「くく、いやすまぬすまぬ。しかしそうか、あの小娘がのう、大きくなりおって」

 ひとしきり満足そうに笑ったヤクモは、ミヨリと視線を合わせる。

「あい分かった。それ程の気概があるならば、我から言うことは何もない。これからまた、よろしく頼むぞ、ミヨリ」

「うん! ヤクモ!」

 ミヨリとヤクモは固く握手を交わす。その一部始終を見ていたバルコーは、自身の考えが浅かったことを悟った。

(そうだよな……。いざと言うときは俺やヤクモさんが守ればいいとか考えていたけど、どんな状況でもそれができるとは限らないよな)

 仲間が増えるという喜びしか考えなかったことを反省しつつ、バルコーは口を開く。

「ごめんミヨリさん、一つ条件を加えさせてもらってもいいかな?」

「は、はい! 何でしょう?」

「暫くの間、俺に稽古をつけさせて欲しいんだ。ヤクモさんの言う通り、結構危険な旅になると思うから。いいかな?」

「も、勿論です。寧ろこちらからお願いしたいくらいです!」

「ありがとう。それじゃあ改めて、これからよろしく、ミヨリさん」

「はいっ!」

「稽古か……。我にはしてくれぬのか?」

「いや、そうだな、折角だしヤクモさんにも受けてもらうか」

「くく、そうこなくてはの。我のこともよろしく頼むぞ、あるじ殿」

「ああ」

 こうして、小さな村の式神使いと大蛇の化身は、大きな世界に飛び込むこととなった。

 シナリオにはない少女たちの旅立ちが未来にどんな影響を与えるのか、それはまだ誰も知らない。

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