大蛇の消滅

 明くる日、洞窟の外に出ていたバルコーは、社の横を抜けるマーカス隊の様子を見て目を疑った。

(マーカス!? どうして社を素通りに……って、ミヨリさんがいないだと!?)

 社の中を伺える位置から移動したバルコーは、改めてミヨリが同行していないことを確認し、戦慄した。

(まさか、ミヨリさんから話を聞くイベントを発生させていないのか? 嘘だろ……?)

 マーカス隊がミヨリの話を聞くと、大蛇おろち様を説得するという名目でミヨリが一時的に仲間に加わる。そして社でもう一つのイベントをこなすことで、ミヨリが正式にマーカス隊に入るという流れになるのだが、現実のマーカスは最初のフラグを叩き折ったらしい。

(やばい、ミヨリさんがパーティーにいない時の流れなんて知らないぞ……!)

 忘れているだけかもしれないと必死で記憶を漁っている内に、マーカスたちは洞窟へと向かう。最早マーカスたちに気づかれずに先回りすることもできなくなった。

(今から後を追えば、分かれ道で追い抜けるかもしれない。そうすればヤクモさんが瀕死の時に契約することもできるだろう。追い抜けなければ戦闘になって、マーカスたちに悟られず契約するという計画の要が崩壊する……)

 それだけなら、追わない理由はなかった。たとえマーカスたちが全ての分かれ道で正しい選択をする可能性があったとしても、そうではない可能性にかけて追うべきだった。

 しかしバルコーは、その場を動かなかった。

 それは、シナリオの残酷さを考えたが故に。

 そして、シナリオの都合の良さを祈ったが故に。

 焦燥が時間を膨張させる。不安が感覚を鋭敏にする。舞い落ちる木の葉、風が枝葉を揺らす音、木でできた壁の香り、溢れる情報に倒れそうになりかけた時、バルコーは彼女の存在を捉えた。

「ミヨリさん!」

「え!? あ、あなたは!」

 社へと向かっていたミヨリは、必死の形相で駆け寄るバルコーを見て目を丸くする。

 この場で再会したこと、余裕のない表情を浮かべていたこと、そして全身が乾いた泥にまみれていることに驚いて。

「手紙で済まそうとしてごめん! だけどもう時間がないんだ!」

「え、あの、きゃっ!」

 バルコーは有無を言わさずミヨリを両手で抱えると、階段を一足で上り、社の中へと入る。

 薄暗くはあるものの、静謐な空気に満ちた空間。その奥に、錠のかかった箱が三つ、横にならんでいた。バルコーは迷わず右の箱の前に向かう。

「お願いだ! この箱を開けてくれ!」

「は、はい!」

 事情が理解できていないミヨリだったが、勢いに乗せられるまま持ってきた鍵で錠を開ける。その中身を持ってくるよう、昨日のうちにミヨリへ手紙をだしていたバルコーは、自分の記憶が間違ってなかったことを知り安堵の笑みを浮かべた。

(よし、やっぱりあった! これで……)

「あの、すみません、私、ヤクモが、大蛇おろち様が心配で……」

「ああ! ごめん、行こう!」

「は、はい! あ、えと、ん……」

 バルコーは目当ての物を懐に入れてミヨリを抱えなおすと、全速力で洞窟に向かう。マーカスたちが灯したのだろう、ランタンの光に照らされた洞窟の中は明るく、内部を知り尽くしているバルコーにとって魔物を避けながら疾走することなど造作もなかった。

(間に合え……!)

 バルコーは、たとえマーカスがミヨリを仲間に加えていなくとも、大蛇おろち様の最期にはミヨリが現れると考えていた。それがシナリオによるものであれば、ミヨリが洞窟の奥まで辿り着くまでは、ヤクモが死ぬことはない。

 そして、もしバルコーが抱えて走らなかった場合、ミヨリがヤクモの元に辿り着くまではもっと時間がかかっていたはずだ。バルコーはその本来の時間をヤクモが死ぬまでの制限時間と捉え、その間に目当ての物の取得とミヨリの移動を両立させればと思い至ったのだった。

 強制力が時間に対してのものではなく、ミヨリの到着に合わせて働くものの場合であればどうしようもなかったが――そうではなかった。

(間に合った……のか?)

 洞窟の最奥、ランタンに照らされた広大な空間でヤクモが戦う姿を確認したバルコーは、その様子を注視しながらミヨリを下ろした。

「っ!?」

 マーカスたちと戦う大蛇おろち様の元に駆け寄ろうとしたミヨリが、見えない壁に阻まれる。そして更に、声が出なくなっていることを悟った。

(強制力! ということはまだ、ヤクモさんは死にはしない!)

 しかしそれも時間の問題のようで、大蛇は動くたびに体から血を落としていた。黒い体ゆえに目立たないが、全身傷だらけであろうことが窺える。

 壁によって阻まれないバルコーが一歩進み、止まる。

(あとは俺がヤクモさんの傍に隠れるだけ、だけど……もしマーカスたちに見つかったら……)

 壁に阻まれないということは、通り抜けてもシナリオ上問題ないということ。それはシナリオがバルコーを関知していないか、関知した上で問題ないとされているかだ。

 しかし前者は考えにくい。バルコーがラスボスの名前をミヨリに伝えようとした際には、一時的に言葉を失った。マーカスたちに見られる際にも、それと似たような力が働く可能性は大いにある。

 例えば、マーカスたちの視界には入らないよう位置を制限されるか。

 それとも、シナリオを破綻させる危険人物として、存在ごと失うか。

(ランタンの光を消す……駄目だ。この後のイベントが真っ暗闇の中で進行するなんてありえないし、一つ消えた段階で気づかれる。土の山もほとんどが崩れている。身を隠しながら近づくのも無理だ)

 刻一刻とタイムリミットが迫る中、バルコーは動けないでいた。そんな背後の様子には気づかないマーカス隊は、満身創痍の大蛇に突撃する。

「はぁあっ!」

「うぉおっ!」

 ガァアア!

 地を這う大蛇の顔を狙ったハザクラの斬撃は、ヤクモが頭を持ち上げることで回避された。そこをマーカスが跳躍して攻撃を加える。

「よし、頭が下がってきた!」

「もう少しだ! 一気に畳みかけるぞ!」

「今です! 行ってください!」

 そしてついに、その時がやってくる。

 暴れる大蛇が光の壁、シエルの『プロテクション』にぶつかり怯んだところに、マーカスとハザクラが剣を振るう。二つの刃は既にあった傷を貫き、大蛇に致命傷を与えた。

「やめて!」

 そこでミヨリの声が響いた。不意を突かれたマーカス隊は、大蛇と距離をとってから振り返る。

「ミヨリ!?」

「何故ここに!?」

「危険です! 下がって!」

 マーカス隊には目もくれず、ミヨリは大蛇の元へと走った。しかし大きな影はゆっくりと傾いていき――


◇ ◇ ◇


 重い音が洞窟を揺らす。


「ヤクモ!」


 倒れた大蛇にミヨリが駆け寄る。予想外の展開に、マーカスたちは動けないでいた。


「ヤクモ、あ、ああ、ごめんなさい、ごめんなさい! わた、私が、もっと、もっと早く来ていれば……!」


「……良い。我らは最早、村の守り神ではないのだ。これも運命さだめよ……」


「そ、そんな、そんなことありません! 治療すれば、まだ……キュウビ!」


 姿を現した小さな狐、キュウビは自らの能力を使って大蛇を癒そうと試みる。しかし少しもしない内に、顔を落として力なく鳴いた。


「キュウビ、どうして……?」


「無駄じゃよ。並の治癒術でどうにかなる段階はとうに過ぎた。お主にできることはないのじゃ……」


「そんな……」


 膝から崩れ落ちるミヨリ。その双眸そうぼうから涙が流れた。大蛇はゆっくり舌を伸ばし、それを拭う。


「……泣き虫なのは、変わらぬのう。思えば、初めて会ったときも、お主は泣いておったな。……くく、短い間ではあったが、お主と友になれたこと、嬉しかったぞ……」


「い、いや、いやです……! ヤクモ、私をお、置いていかないで、お願い、私は、あなたがいないと……!」


「……いつまでも、甘えるでない。お主はもう、一人でも立派にやっていける。泣き虫だけは、治すのじゃぞ……」


 大蛇の眼が、ゆっくりと閉じられた。


「ああ、これで我も、兄者たちの元へ……」


「ヤクモ!」


 淡い光を発する大蛇にミヨリが手を伸ばす。しかしその手が届く前に、大蛇は消滅したのだった。

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