秘密の共有

あるじ殿、いつまでそうしておるつもりじゃ?」

「……反省が終わるまで」

「我は別に怒ってなどおらんと言うのに。おかしな御仁ごじんじゃ」

 絶叫の後、何を言っても土下座を止めようとしない契約者を見下ろし、若い女性の姿となったヤクモはため息をつく。

「ところでその、つかぬことをお伺いしますが……」

「はあ……なんじゃ?」

「お召し物はございますでしょうか?」

「うむ、裸ではないな。皮の一部が服になったようじゃ」

「良かった……!」

 この世界の契約の効果なのかゲームのコンプライアンスが反映されたのかは分からないが、最悪の状態にはならなかったことにバルコーは心の底から安堵した。

「じゃからほれ、そろそろ顔を上げぬか。衣類越しの接触など、深く気にするほどのものでもなかろう」

「いいや、俺にとってはとても気にしなくちゃいけないことなんだ」

 人型になった相手を契約者の命令で抱きつかせたという暴挙は、前世は紳士で通していたバルコーにとって許されざる蛮行であった。ヤクモは再度ため息をつくと、慣れない体を器用に動かして出口へと向かう。

「ではあるじ殿の反省が終わるまで、ミヨリの元で過ごすとするかの」

「あー、それは多分、できないと思うぞ」

「できない? どういう意味じゃ?」

「……いや、見ず知らずの他人が近づいてきたら警戒されるかもと思ってな」

「なんじゃ、そんなことか。なに、我らしか知らぬ秘密を明かせばわかってくれるじゃろうて」

「そうかもな。気をつけて」

「うむ」

 長年住んでいたためか、暗闇の中でも迷うことなく歩いていくヤクモ。

「いたっ!」

 その足取りは、バルコーの予想より早く止まった。

(もしかしたらって思ったけど、やっぱりダメか)

「な、なんじゃこれは? こんなところに壁なんてなかったはずじゃが……。むう、熱感知ができればこのような醜態……」

 蛇の姿でいる時には熱探知なるものが使えていたらしいヤクモは、手探りで出口を探そうと手を伸ばす。

「のわぁ!」

 そして不自然なほど滑らかな感触に飛び退いた。

「な、ななな、なんじゃ今のは!? 明らかに岩肌ではなかったぞ!?」

「だろうな」

あるじ殿、何か知っておるのか?」

「……まあ仕方ないか」

 頭の上に疑問符を浮かべるヤクモに、バルコーはこの世界について語った。

 この世界はゲームと言う創作物を元にしていること、そこで定められたシナリオには抗えないこと、そして自分の正体のこと。

 話している間にも葛藤はあったが、バルコーは結局全てを伝えた。それはどこまで話せるか試してみたかったというのもあるし、未だシナリオに縛られているヤクモに協力してほしかったからだ。

 しかしもしかしたら、彼はずっと誰かに話したかったのかもしれない。胸の奥底に秘めていた世界の真実を、この世界に生きる者に聞いてほしかったのかもしれない。

 その真偽は本人でさえ定かではないが、話し終えたバルコーは、どこかほっとしている自分に気がついた。

「そういうわけで、シナリオから逸脱しすぎる行動はとれないよう、世界から制限を受けているってわけだ」

「馬鹿な……と言いたいところじゃが、実際に体験してみては疑いようもないの……」

 壁のある場所をすり抜けたバルコーが外から伸ばした手に触れるという体験を通じて、ヤクモは神妙に頷く。

「しかしじゃ、ということはつまり、兄者たちがあの場で亡くなられるのは既に決まっておったということなのか?」

「……そういうことになるな」

 バルコーの答えに、ヤクモは苦々しい表情を浮かべた。

「ただ、それ以外の部分は変えられる、というか、決まっていないってのが分かった。俺の知る限り、ヤクモさんのお兄さん方が亡霊として蘇ったなんてことなかったし。だから余計、その、……成仏させてしまったことは残念だった。ごめん」

「……もう謝るでない。あるじ殿が介入しておらねば、我は兄者たちに言われるがままに村を襲い、最後には討たれてしまうのであろう? 兄者たちとの別れは確かに辛いものじゃったが、自ら後を追うことを良しとするような結末を迎えずに済むのじゃ。感謝こそすれ、責める気など更々ないわ」

「……ありがとう」

 バルコーは深く頭を下げた。ヤクモもまた、自分たちの意思で起こした行動の結果の責任を、よく分からないシナリオに転嫁することには抵抗があったため、理不尽な怒りを抱かぬよう努めた。

あるじ殿の話を聞く限り、感情までは強制されないそうじゃからな。たとえ決まっておったこととしても、兄者たちがシナリオとやらの傀儡になっていたなどと認めるわけにはいかぬ)

「とは言え不思議じゃのう。あるじ殿は何故なにゆえ、マーカスとやらの手伝いをしようと思ったのじゃ?」

「なにゆえ、と訊かれてもな。もしマーカスが死んだら、シナリオが破綻するかもしれないんだ。協力するのは当然だろ」

「しかし破綻しない可能性もあるじゃろう? そもそも強制力とやらがあるのであれば、破綻しようがないではないか」

「それは……」

 言葉にこそ出さなかったが、その可能性は十分にあり得るとバルコーも考えていた。かつてバルコーのレベルが制限されていたことは、ゲーム上の能力に合わせたという見方の他に、マーカスが敵を倒せるように強制力が働いていたとも捉えられるからだ。

「仮に破綻したとしても、大きな問題はあるまい。寧ろ強制力とやらが無くなって、我らは真に自由を得られるやもしれぬ」

「……けれど、それはつまりマーカスが死ぬってことだ」

「ふむ、友は死なせたくないと」

「ああ……」

「立派な心意気じゃが、それはあるじ殿が命を懸けてまでしなくてはならぬことなのか? 直接協力できない以上、苦労が報われるとも限らぬ。報われたところで感謝もされぬ。マーカスの仲間が他にもいるのであれば、主殿の助力は元から必要ない可能性もある。それでも尚、あるじ殿の人生を賭けるに足るものなのか?」

 ヤクモの問いは至極もっともだ。他人の成功を陰ながら支えると言えば聞こえはいいが、実際は見返りなしで他者に人生を捧げるようなものである。

 手助けの甲斐なくあっさりと亡くなってしまうこともありえる。期待通りの動きをせずに失望することも考えられる。当然、バルコー自身が命を落とす可能性もある。

 報われるかどうかは他人次第。得られるのは自己満足。そんな努力は、生半可な覚悟では続けられない。苦しみの果てに投げ出すのであれば今めるべきだと、ヤクモは考えていた。それが例え、自分と同じような立場の誰かを苦しめる結果になったとしても。

「……確かにいくら俺が努力しても、それが全部マーカスの助けになるかは分からない。マーカスが志半ばでたおれることも、十分考えられる。だけどやらずにはいられないんだ」

「………………」

 暗闇の中で、ヤクモは目を伏せる。しかし続く言葉が、彼女の悲愴な表情を消した。

「俺さ、この世界が好きなんだ」

「……何を言っておる?」

「大事な話だ。……前世でこそ、俺はこの世界をゲームの中だけのものとしか見てなかった。だけどここで生まれ育って、シナリオで語られなかった経験を積むにつれて、俺はこの世界を、作りものじゃない、本当の世界なんだって思えたんだ」

 ゆっくりと、言葉を選ぶように話すバルコーの声を、ヤクモは黙って聞く。

「元々俺は、この世界が好きだった。そしてここがもう一つの世界なんだって実感してからは、前世の世界と同じくらい、もしかしたらそれ以上に好きになった。だから絶対に、この世界に住む人たちを悲しませたくないって思ったんだ」

「世界に住む人たち、か。随分と大きな話じゃの」

「そうだな。そりゃ際限なく手を差し伸べるなんて無理だけど、自分にできることはあるんじゃないかって思ってた。シナリオ通りに進めば、マーカスも大勢の人を救えるんだし、俺にもできるんじゃないかって。だけど、できなかった。俺は……」

 そこでバルコーは一旦言葉を止め、絞り出すように続けた。

「……俺は、親友を救えなかった。この手で斬るしかできなかった。シナリオのせいだって分かっていても、とてつもなく苦しかった。いっそ自分が斬られたいくらいだったよ」

 あの時の感触は未だに手に残っている。当時のバルコーは、ゲームの中でどうして自分がマーカスに負けたのか、その理由の一つを悟った気がした。

「俺がこの世界のためにできることは、マーカスにたおされることしかないって絶望した。でも違ったんだ。俺は今もこうして生きて、この世界に関わっていける。俺はまだ、自分の夢を追えるんだ」

「その夢に至るための手段が、マーカスと言う冒険者の手伝いであると」

「ああ。俺はマーカスだけじゃなくて、マーカスの活躍を通して、間接的にこの世界の登場人物を助けたいんだ。それは俺が陰で手伝わなくても達成できるかもしれないけど、もしマーカスが途中でたおれていたら、なんて悶々として過ごすのはごめんだからな」

 バルコーの実力であれば、方々を巡って困っている人を助けることもできるだろう。しかしそれでは根本的解決にはならないことを彼は知っていた。この世界の大きな問題は、マーカスとその仲間が解決するよう定められている。であれば、たとえ報われぬとしても、マーカスを手助けするのが最善であると判断したのだった。

「これから起こることを知っているが故に、か。難儀じゃのう」

「そうでもないさ。だってこうして、ヤクモさんを生かす道が見つかった」

 予想外の言葉に、ヤクモが言葉を詰まらせる。

「俺にとっても嬉しい誤算だったんだけどな。上手くシナリオ通りに進んだとしても、全員が救われるわけじゃない。でもこうして俺が先回りすれば、死ぬ運命にあったキャラクターを助けることだってできるかもしれない。それはきっと、俺にしかできないことだ」

 シナリオに従いつつ、シナリオ以上の大団円を目指す。それが新たにできた、バルコーの目標だった。

「だから俺はこれからも、マーカスの先を行く。間接的にマーカスの手助けをするのと並行して、シナリオの犠牲になる存在を少しでも減らすためにな」

「そう、か」

(我を助けたのも、シナリオとやらを円滑に進めるためだけではなかったのじゃな……。まったく、とんでもないお人好しじゃのう!)

「あい分かった。なれば我もあるじ殿に協力するとしよう。契約とは関係なく、な」

「ありがとう。ただ先ずは、ヤクモさんをシナリオから解放するところから始めないとな」

「それもそうじゃの。して、これからどうするのじゃ? 我はマーカスという冒険者らがやってくるのに合わせて村を襲うとのことじゃったが」

「そうだな……。こういう場合は多分、マーカスたちが村に近づいたら否が応でも動かなくちゃいけなくなるだろうし、それまでヤクモさんの死を偽装する準備でもしようかな」

「ふむ、我にもできることか?」

「ああ。力を貸してくれると助かる」

「助かるのは我の方じゃ。この体に慣れることにも繋がるし、尽力は当たり前じゃ」

 それからヤクモは慣れぬ体を精力的に動かし、自分が生き残るための備えをした。バルコーもまた、少しでも上手くいくよう思考を巡らせた。

 この時はまだ、ヤクモはおろか、バルコーでさえも強制力を甘く見ていた。きっと大丈夫だろうと、心のどこかで楽観視していた。

 翌日、ヤクモは地獄を見ることになる。


◇ ◇ ◇


 ガサガサ!

「ま、魔物!?」

「落ち着け。獲物を襲うのに大きな音を立てる奴がいるか」

「……私の結界では、頼りないですかね?」

「ああいや、そういうわけじゃ……」

「ならば早く体を休めろ。明日には村についていなければならないのだからな」

「物資も余裕がありませんからね……」

「わ、分かってる!」

「ふん」

「では、おやすみなさい」

(ちくしょう、偉そうに……。休もうにも体が痛いし地面も硬いし、最悪だぜ……)

(まったく、誰のせいでここまで疲れていると思っている。休息の邪魔はしないでほしいものだ)

(結界を張るので魔力はほぼ使い切ってしまいましたし、少しでも休まないと……)

 大蛇が村を襲うというイベントを翌日に控えたマーカス隊は、疲労困憊の状態で夜を過ごすのだった。

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