希望と誤算

「……ありがとうの」

 光の消えた空間、姿の見えぬ相手からの言葉に、バルコーは首を振る。

「よしてくれ。本当はもっと、平和的に解決できたはずなんだ。ヤクモさんを悲しませずに、済ませるべきだったんだ……」

 シナリオに操られてのものではない、自らの行動の結果を振り返ったバルコー。その拳から血が滴る。

「仕方なかろう。兄者たちは、聞く耳も持たずに襲い掛かってきたのじゃ」

「仕方なくなんてない。仕方ないで済ますくらいなら、最初から関わるべきじゃなかったんだ。……なのに、なのに俺は、……諦めちまったんだ」

 強制力からの解放、急上昇したレベル、新しい目標、それらがバルコーを酔わせていた。一種のヒロイズムに陥った彼は、自分ならなんとかできるという、漠然とした期待を持って大蛇の前へと姿を晒したのだ。

 しかし話し合いもできず、大人しくなるまで待とうとするのも失敗し、バルコーは説得を諦めた。

 仕方ない。

 ならたおそう。

 現実への失望、相手への怒り、死への恐怖、それらがバルコーを冷酷にした。ある種の復讐心に囚われた彼は、大人しくなるまで斬りつけようという、画面越しの敵に下すような判断をもって大蛇へと襲い掛かったのだ。

 ヤクモを悲しませたくなくて、飛び出したはずなのに。

(どうして早く真実を話さなかった? 嘘だと思われても、話を聞く余地は生まれていたかもしれないじゃないか。動けなくなった時も、回復できるならそのまま耐えていられたはずだ。武力行使をする前に、もっとできたことがあったんじゃないか?)

 元々バルコーは、シナリオに抗おうという気持ちを抱いていた。しかしそれは叶わず、シナリオに従うままに親友を手にかけてしまう。そこで彼は、シナリオに抗うことを諦めた。

 そして今もまた、シナリオに縛られていないにも関わらず、大蛇おろち様の説得を諦めたのだ。バルコーはそれが許せなかった。

(何がゲームクリアまで導いてやる、だ。一度決めたことを簡単に投げ出しやがって。お前なんかが関わっても、手助けするどころか、逆に足を引っ張るだけじゃ――)

「……其方そなたは、強いのじゃな」

「え?」

「強いから、理想が高い。故に、もっと上手くできた可能性を捨てられぬ」

「………………」

 バルコーは口を開くも、言葉が出てこなかった。

「しかし少なくとも、其方そなたのお陰で我は救われた。兄者たちもきっと、……心残りはあったじゃろうが、憎悪の中で眠らずに済んだ。どうかそのことは、心に留めておいてくれ」

「ヤクモ、さん……」

 バルコーの耳に、地面を擦る音の後、下からの声が届く。

「……済まないの。助けられた身でありながら、差し出がましいことを口にした」

「……いや、言ってくれてありがとう」

 バルコーは暗闇に向かって頭を下げる。

(理想が高い、か。その通りだな。俺は強くなったけど、万能じゃない。締めつけられた時だって、下手したらこっちが死んでたかもしれないんだ。俺ならできるだなんて驕らないで、もっと謙虚にならないと)

「ところで其方そなたは、その、冒険者なのか?」

 ヤクモの声音が、ほんの僅か、重くなった。バルコーはそれに気づきつつ自然に返す。

「ああいや、冒険者じゃない。ミヨリさんに命を救われた流れ者だ」

「そうなのか。ここには、ミヨリの頼みで?」

「それも違う。個人的に、話がしたかっただけだ」

(うん、嘘は言ってないな。まさか亡くなったはずの大蛇おろち様と話すことになるとは思わなかったけど)

 バルコーが答えると、ヤクモは安堵の息をついた。

「立派じゃな。たった一人で、命を賭して魔物との会話を試みるとは。あいつらとは大違いじゃ……」

「はは、別に立派ってほどでもないさ。自分がしたいって思ったことをしてるだけなんだから」

「それが誰かの為になるなら、それ以上のものはない。自分の意思も持たず、周囲に倣って他者を傷つける愚か者もいるのじゃ。其方そなたは自分を誇っていい」

「はは、そうかもな……」

 不穏な言動に、バルコーは苦笑いを浮かべる。

(冒険者嫌いは変わらない、か。シナリオにも関わることだし、下手に変わっても困るけど……)

「えっと、それでヤクモさんは、これからどうするつもりなんだ?」

「……そうじゃな。ミヨリと話をしようと思う。兄者たちの誤解が解けたこと、契約の破棄のこと、そして、我自身のこれからのことについて……」

「そう、か……」

 バルコーは声を落とす。ヤクモの心境に想像がついているからだ。

(兄者たちの元に、か……。誤解を解けたのは、せめてもの救いになったかな)

其方そなたはどうするのだ?」

「あ、っと、そうだな……この洞窟の構造を見てから、別の場所に移るつもりだ」

 これから来る冒険者が貴方を倒す手助けをすると言えるわけもなく、バルコーは嘘にならない範囲で答える。

「旅をしているのか?」

「まあそんなところだ」

「羨ましいの。可能であれば、我もついていきたいものじゃ」

「え?」

「む?」

 双方の間に、僅かに静寂が流れる。

「……ヤクモさん、旅をしてみたいのか?」

「ああ。生まれてこの方、村を離れる機会が無くてな。故に外の世界には興味があるのじゃ。不可能だとは分かっていても、な」

 予想外の答えに目を丸くするバルコー。その口が、徐々に笑みを作る。

「なら、俺と新たな契約をしないか? もしかしたら、一緒に旅が出来るかもしれない」

「契約? 其方そなたと我がか? それに一緒に旅をするだなんて、そんなことできるわけ……」

「いや、多分、できるはずだ」

 契約とは人と魔物が交わす約束を指す言葉だが、ゲームの中では専ら共存関係を築くという意味で使われる。主人公マーカスもまた、ゲーム中盤で魔物と契約する能力を会得し、特定の魔物を仲間に加えることが可能となるのだ。

 そして仲間にする際、契約者の魔力を得ることでその特徴が反映されるという設定の元、巨大だった魔物が一時的に小さくなったり、更には人型になったりすることがある。バルコーはその設定を利用しようとしていた。

(体を小さくできるようになれば一緒に行動しても目立たないし、何より死を偽装できる! 使役という形だったけど、ゴブリンとも一種の契約ができたんだ。ヤクモさんともきっとできるはずだ!)

 バルコーは闇に向けて右手を伸ばすと、自身に力を与えた魔族より教わった口上を述べる。

「我、バルコーは望む。汝、ヤクモの契約者となることを。我が捧げるは血と魔力。我が求むるはその力。以て契りを交わさん。問おう。汝、我と共に歩むか否か!」

 詠唱により、契約魔法が発動する。バルコーの全身から、魔力が光となって溢れて闇を照らした。右手の五指、その腹が自然に裂けると血が流れ、手のひらに術式を描く。

 その光景に、ヤクモは圧倒された。

(まさか、これほどとは……)

 契約魔法には、契約相手に契約者の持つ力を示すという面もある。ヤクモはバルコーの発する光の強さから、相手の実力が予想を遥かに上回っていることを悟った。

(討とうと思えば、すぐにでも兄者たちを討伐できていたのじゃな。なのに其方そなたは、対話で終わらせられなかったことを悔やんで……)

 そして同時に、他種族に対する思いやりを持っていることを改めて実感した。彼は討伐を前提としなかった。その悔しさは自分に酔うためのものではなかった。

 そんな彼が今、叶わないと思っていた自分のわがままのために、実力で劣る相手と対等な契約を交わそうとしている。

(迷う余地もないの)

「承った」

 ヤクモが答えると、バルコーの右手から赤い魔力が糸のように伸びる。それがヤクモの胴体に達すると、バルコーの手のひらの術式と同じものが描かれた。

「うっ……」

 魔力の糸を通じて、バルコーの身から溢れる光がヤクモへと向かう。バルコーは脱力感に襲われながらも、光がヤクモの体を包み込んでいく様子を見届ける。

(血と魔力を捧げる、か。そう言えばゲームでも、契約すればするほど体力と魔力の総量は少なくなっていったっけ)

 生命力が失われていく感覚は、しかしすぐに消え失せた。光に包まれたヤクモの体が徐々に小さくなっていき、バルコーの右手には、今度は逆に、ヤクモの魔力が流れ込む。

(それでこれが、契約によって得られる力の一部ってところか。契約者も魔物の能力を少しだけ使えるようになるんだよな)

 しかし本命はそれではない。光が収まった後、バルコーは闇の中へと声をかける。

「どうだ? ヤクモさん。体は小さくなったか?」

「……信じられん。これが、我の体か?」

 声はほぼ正面から返ってきた。成功を確信したバルコーは強く拳を握る。

(よっしゃ! 見上げる程だった大蛇が人とほぼ同じくらいの大きさになれたなら十分だ。これでシナリオの邪魔をせず、最後の大蛇おろち様を救うこともできるはず……!)

 今までにないほど強い希望を見出したバルコーは、逸る気持ちを鎮めようと深呼吸をする。

「上手くいったみたいで良かった。それじゃあ一度、俺に絡みついてくれるか? どのくらいの大きさなのか確認してみたい」

「ふむ、絡みつく、か。了承した」

 ギュム

「はえ?」

 数秒後、バルコーは体に当たる柔らかい感触に素っ頓狂な声を上げた。大蛇を隠すならどれくらい大きな外套が必要だろうかなんて考えは吹っ飛んだ。

「……あの、ヤクモ、さん?」

「うむ。どうした? 我があるじ

 その呼び方も気になったが、最優先で解決せねばならない問題が、吐息の当たる距離にある。

「もしかしてですが、人間の姿になってます?」

「うむ。所々鱗は残っているが、概ね人と同じ体になっておるの」

「そ、そうなんですか。それでその、失礼を承知でお訊きしたいのですが」

「うむ。なんじゃ?」

「ヤクモさん、女性ですか?」

「その通りじゃ」

 直後、絶叫のような謝罪が洞窟を揺らした。


◇ ◇ ◇


「あれ? 薬草は?」

「もうありませんよ」

「え、もう? そんなに少なかったのか……」

「マーカス殿、シエルから物資の確認をするよう言われていたはずだが?」

「あ、いやその……ごめん……」

「はあ。どうやら戦闘以外でも補助が必要なようだな」

「…………悪かったよ」

「まあまあ、ハザクラさんもその辺りで。まだ先は長いですし、これからは一層注意していきましょう。ね?」

「……そうだな。安易に薬草に頼れないという状況の方が、より一層集中できるというものだ」

「そ、そうだな。これからはもっと、気をつける」

「その意気です。さ、進みましょう」

(くそ、嫌味ったらしいな……。そりゃ悪いのは俺だけど、そんな言い方しなくたって……)

(さて、これで少しはマシな動きができるようになればいいのだが……)

(魔力は温存しておきたかったのですが、そうも言ってられなくなりましたわね……)

 回復手段が一つ減ったマーカス隊に、夕闇が迫っていた。

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