シナリオの裏

「おかしいな……」

 大蛇おろち様が潜む洞窟に進入したバルコーは、違和感を抱いていた。

(魔物の数、多すぎないか? 見慣れない魔物も混じってるし)

「っと」

 飛びかかってきた蛇の魔物を避け、拾い物の錆びた剣で叩くバルコー。切断こそできないが、その一撃で魔物は倒れ、淡い光を発し、小さな結晶を残して消える。

(これもゲームとの違いなのかな? 村の近くの草原なんかは逆に、滅多に魔物が出なかったっていうのに)

 バルコーは結晶を拾いながら、近々ここを訪れるマーカスを心配する。

(戦闘経験を積むにはもってこいにも思えるけど、マーカスに倒られでもしたら何が起こるか分かったものじゃないし、もう少し数を減らすか)

 バルコーは余裕を持ちつつも、周囲を警戒して奥に進む。レベルを考えれば大して脅威はないはずの洞窟にあって、彼は決して緊張を解かなかった。

「お、あったあった」

 曲がり道の突き当たりにあるランタン――不思議な力で破壊不能――に結晶を投げ入れると、道の先を光が照らす。ゲーム上では、この行動によって可視範囲が広がるのだが、現実でもそれは変わらないようだった。

(ずっと手に入れたかった『暗視』の技能もレベルアップで体得してはいるけど、流石に光源が全くなかったら見えないからな)

 レベル上昇に伴い技能を体得するには、技能に応じた条件が必要になる。例えば、毒を無効化する『免疫』の技能を得るためには、一定期間内に何度も毒に冒されるのが条件だ。そしてバルコーは『暗視』の技能を得るために、毎朝日が昇る前から活動し、夜闇の環境に長く身を置いていたのであった。

 その時の苦労がようやく報われたバルコーは目頭が歩くなるのを感じながら、闇に隠れていた魔物の配置を確認すると、程よく戦いを避けれる道を頭に描いてから進んでいった。その道の近くにいた哀れな魔物は、バルコーに牙をむいた瞬間に倒されていく。

(記憶の通りなら、そろそろ……)

「ん?」

 薄暗い洞窟の先に淡い光を見たバルコーは、慎重に歩を進める。

(あの先がゴールのはずだ。それはいい。しかしあの光はなんだ?)

 ランタンのものではない、白く冷たい光に、バルコーの緊張は否応なく高まる。

(この辺り、魔物もほとんどいない。まさかあの光を避けているのか?)

 憶測を立てても、目で見ないことには確かめようがない。彼は静かに、長く息を吐くと、光が洩れる穴へと壁伝いに近づいていく。

(なっ……!)

 そして穴の先を覗き見て、バルコーは驚愕に目を見開いた。

 洞窟の中とは思えないほど広い空間、その中心に八頭の大蛇がいた。その内の七頭は、全身が白い霧のように朧気で、確たる体を持つ一頭を囲むようにしている。

(まさかあれは、死んだはずの大蛇おろち様!? ゲームには登場しないはずなのに、どうして亡霊として蘇っているんだ!?)

 亡霊や死霊、怨霊、悪霊などの魔物は実体を持たず、霧や炎のように不定形な霊体として存在している。白い大蛇は全て、まさにその霊体の特徴を持っていた。

(まさか亡くなった大蛇おろち様も、シナリオから解放されて? いや、例えそうだとしてもシナリオには干渉できないはず。つまりこれはシナリオの裏にあった事実ってことか? でも、それなら……)

「何を躊躇う」

 バルコーが思考を巡らせていると、一頭の大蛇が言葉を発した。それを皮切りに、他の大蛇も次々と口を開く。

「悪は向こうではないか」

「左様。奴らはいにしえからの契約を、一方的に破棄したのだ」

「それどころか、我らを騙し討ちにしたのだぞ」

「同情の余地はない」

「今すぐ村を滅ぼせ」

「我らの恨みを知らしめるのだ」

 そこから溢れた泥のような呪詛を浴びせられた黒い大蛇は、小さく体を揺らしてから顔を上げた。

「ですが、兄者……」

「何だ?」

「まだ言い訳を続ける気か?」

「情けない。兄の仇を討とうという気概もないのか」

「それでも血を分けた家族か」

「最早問答は必要ない」

「行くか行かぬか、く決めよ」

「行かぬのであればその体、我らが貰いうける」

 しかし反論する間もなく、冷たい言葉が豪雨の如く叩きつけられる。言葉を封じられた大蛇は、口を閉ざして頭を下げた。

 重苦しい沈黙が、その場を支配する。

「あ……」

「ちょっといいですか?」

 故に、その空気にまるでそぐわない声は、声量以上に大きく響いた。

「その話、私も交ぜてほしいのですが」

 バルコーは額に汗を浮かべながらも、不敵な笑みを浮かべる。

「何奴?」

「人間のようだが」

「丁度良い。奴を血祭りに上げよ」

「彼奴の血飛沫を狼煙とするのだ」

「我らの憎しみをぶつけろ」

「殺せ」

「四肢をもぎ、毒を回して、絶望の中で殺せ」

(敵意むき出しだな。まあ予想してたけど)

「う、うう……」

 口々に殺人を唆された大蛇は、ゆっくりとバルコーの方を向く。白い光に照らされた大きな瞳、縦に長い瞳孔から、光が落ちた。

 ガァアアア!

 悲鳴のような咆哮を上げ、大蛇がバルコーに突進する。ひと一人、どころか十人はまとめて飲み込めるほどの口が開かれ、猛毒の滴る牙が覗いた。

(けど、遅い)

 バルコーは足に力を込めると、十分に引き付けてから横に跳んだ。レベルの高さにより、常人には真似できない速さで動ける彼は、難なく大蛇の横を取る。

 側面に入られた大蛇がとぐろを巻いて締め付けようとするも、バルコーは驚異的な跳躍力で巨体を飛び越えてしまう。

 致命的な隙を晒す大蛇。しかしバルコーは命を狙ってきた相手を置き去りにすると、その先に浮かび上がっている七つの影との距離を、一気に詰めた。

 ドンッ

「はじめまして。あなた方が、大蛇おろち様ですね?」

 霧のような巨体の前で急停止したバルコーの足が、地面を強く鳴らす。ただの人間ではない男の静かな言葉は、ようやく大蛇の耳に届いた。

「……貴様、何者だ?」

「ミヨリさんの知り合いです。少し話をしたいのですが」

「あ、ああ……!」

 バルコーの答えに、黒い大蛇が涙を流す。

「ミヨリだと?」

「あの小娘か」

「その知り合いというなら好都合だ」

「貴様の死体を届けてやろう」

「さすればヤクモも目を覚ます」

「人間どもとの共生など、夢だと気づくはずだ」

「我らが復讐の礎となれ」

「だ、駄目じゃ!」

 ミヨリの親友、ヤクモが兄達を止めようとするも、素早く回り込んだ白い巨体が絡みつき、身動きが取れなくなる。

 そして残った六つの悪意が、我先にとバルコーに襲いかかった。

「いやだから話を」

(問答無用かよっ)

 バルコーは素早く動いて攻撃をかわしていくも、相手の数と大きさに逃げ道を塞がれ、僅かに攻撃を受けてしまう。

「冷たっ」

 白く光る牙が掠めたのは上腕。外傷はできなかったが、その部分だけ体温が奪われ、同時に微かな虚脱感を覚える。

(霊体からの攻撃を受けたのは初めてだけど、こうなるのか。……向こうの攻撃はともかく、どうしたら話を聞いてくれるんだ?)

 避けながら振るった錆びた剣は、朧気な体を通り過ぎてしまう。ゲームであればこれでも僅かにダメージが入るのだが、バルコーにはまるでその実感が湧かなかった。

(反撃もできるし、何かに縛られている感覚もない。つまりシナリオの裏にある、あったかもしれないエピソードなら、俺にも干渉できるってことだ。後は向こうが矛を収めてくれればいいんだが……)

 着地し、息をつくバルコーを、六対の眼が見下ろす。

「我らの攻撃から逃れるとは」

「中々活きが良いではないか」

「ふむ、丁度良いな」

「ああ。この体になって日も浅い」

「いい慣らしになりそうだ」

「すぐに死んでくれるなよ?」

 六頭の白蛇は巨体を揺らすと、再びバルコーに殺到する。

(はあ。冷静になってくれるまで待つしかないか……)

 バルコーは錆びた剣を捨て回避に専念し、霊体の動きや特徴の把握に努めた。

大蛇おろち様の体に触れても冷たく感じるな。だけど牙よりは全然マシだ。この違いは一体……?)

「く、ちょこまかと」

「おい、あまり大きく動くな」

「貴様もだ。体が当たっておるぞ」

「互いに距離を取れ」

「この体で衝突などすれば、何が起こるか」

「分かっておるが、できれば苦労はせぬ」

 バルコーを追う過程で巨体が絡み合うと、大蛇たちは一頭ずつ慎重に体を抜いていく。その様子に、バルコーは一筋の光明を見出す。

(そうだ。霊体に物理攻撃はほとんど効かないけど、霊体同士は干渉しあうって設定だったはずだ。触れたら体力を奪われる霊体に近づくのは勇気が要るけれど、そこが一番の安全地帯――)

 攻撃がこない間に剣を拾い、霊体の観察に徹するバルコー。故に彼は、背後からの光が強まっていくことに気づけなかった。

「に……げ……」

「っ!」

 微かな警告を耳にした瞬間、バルコーは反射的に横に跳ぶ。直後、先程まで自分が居た空間を大きなあぎとが呑み込んだ。

(しまった、もう一体いたんだった!)

 ヤクモを抑えている間は動かないという前提が間違っていた。霊体に触れ続け体力を奪われたヤクモは、最早何をせずとも動けないでいる。

「な、速っ」

 バルコーは距離を取ろうと足に力を込めるも、跳ぶより前にその体が霊体に締めつけられる。濃霧の中にいるようなバルコーは、周りの光が強まるにつれ、急速に体力が失われていくのを感じた。

(そうか、光か。光が強いところが、霊体を構成する魔力が濃い場所。そこに触れると、より多くの体力が持っていかれるんだ)

 理解したところで、捕えられたバルコーはその場から動けないでいた。全身から力が抜け、剣を杖にしていないと立てない程になる。

(くそ、寒い。なのに眠い……。このままじゃ、まずい……!)

「やめてくれ……話がしたい、だけなんだ……」

 どうにか声を発するも、霊体はバルコーを締め付けたままだ。バルコーは絶望した。

(どうして聞いてくれないんだ。そっちの事情は分かってる。怒るのも当然だ。でも、少しくらい話をきいてくれても……!)

 膝をついても、攻撃は止まなかった。自分に向けられる殺意はもう、どうしようもないのだと悟った。

(俺はただ、誤解を解きたかっただけなのに。大蛇おろち様のためを思って、動いただけなのに……)

 死が近づいてきていることを実感しながら、バルコーは小さく息をついた。

(……もう、いいか)

 諦めの感情。それは、自身の命に向けて――ではない。

(お前らが、悪いんだからな)


◇ ◇ ◇


「今帰った」


「マーカスさん、体調はいかがですか?」


「ああ、もうすっかり元気になった。時間を取らせてごめん」


「気にすることは無い。買い出しも必要だったしな」


「そうなのか? 物資には余裕があったと思うけど」


「ヤサカニ村で補給ができるかどうかも分かりませんから、念のために買い足していたんです。この辺りでしか売られていないものもありますし」


「そういうことか。ありがとう」


「それでマーカス殿、問題なければすぐにでも発とうと思うのだが」


「そうだな。こうしている間にも事態は動いてるかもしれない。早速出発しよう」


「急ぐのもいいですけど、マーカスさんも手持ちの道具や物資を確認しておいてくださいね。暫くは戻ってこれないんですから」


「うん、分かったよ」


◇ ◇ ◇


(物資の確認なんて、二人が用意したなら俺がする必要ないだろ。ったく、もう少しくらい休ませてくれよな)

(元気になったと言うから出立を提案したが、やはりまだ本調子ではなさそうだな。やれやれ、我々で支えるとしようか)

(薬草の数、足りるでしょうか? お金も際限なく使えるわけではありませんので、少し節約したのですが……)

 ヤサカニ村へと向かうマーカス隊は、既にあまり良くない雰囲気を作っていた。

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