生き延びた者

「……ここは」

 沢の音に気づいた男が目を開く。視界いっぱいに青空が広がっていた。

 ここが天国かと思った直後、全身に走る鈍痛と、肩から反対の脇腹にかけての鋭い痛みに顔を歪める。

「そうか、俺は……」

(俺はバルコー、ロールプレイングゲーム『EVO』の序盤ボスに生まれ変わったんだった。そしてシナリオに抗えないまま、パーズたちを殺して、マーカスに斬られた。俺の役割は、そこで終わるはずだったのに)

「……どうして、生きているんだ?」

 自分の生存が信じられないバルコー。その耳が、パシャパシャという水の跳ねる音を拾う。何かが近づいてくるのを感じながら、体を動かせないバルコーは静かに痛みに耐えた。

「あ、あの、大丈夫、ですか?」

 やがて視界に、心配そうにこちらを見る少女の顔が覗いた。

「……ミヨリ」

「え、え? どうして、私の名前を?」

 前世の記憶が声に出たバルコーの意識は、再び闇の中へと沈んでいった。




 辺り一面、黒一色の世界。

 バルコーはそこで、もう一人の親友の姿を見た。

(お前とは戦いたくない。どうか退いてくれ)

 必死に声を上げようとするも、言葉は出ない。親友は憤怒の形相で斬りかかってきた。

 気持ちとは裏腹に、体は目の前の敵を斬ろうとする。

(頼む、逃げてくれ……!)

「パーズ……!」

 バルコーは自分の声で、意識が闇から引き戻される。転生してから初めて見る、木目のある板張りの天井に懐かしさを覚えていると、視界の隅から少女、ミヨリが顔を出した。

「あ、良かった。意識が戻ったんですね」

「ミヨリ、……っ!」

「ああ、まだ動いてはいけません! 生きているのが不思議なくらいの大怪我だったんですから」

(そうだ。どうして俺は生きている? ゲームのシナリオじゃあ、バルコーはあの場で退場するはずだ)

 前世の記憶と今世の現実との乖離に頭を悩ませながらも、バルコーは命の恩人に目を向けた。

「ミヨリ、ああいや、ミヨリさんが介抱してくれたんだな。ありがとう」

「い、いえ、私はただ、式神に頼んだだけですから」

「式神……ああ。小鬼のオニマルが運んでくれて、妖狐のキュウビが癒してくれたのか。わざわざ頼んでくれてありがとう」

 前世の記憶から、式神使いのミヨリが幼い頃より共に過ごした、家族のような式神の名前と特徴を思い出し、バルコーは改めて礼を言う。一方礼を言われたミヨリは、怯えるような目でバルコーを見る。

「えっと、どうかしたか?」

 見ず知らずの人間ではあるが、バルコーは一応、見た目が良い十七歳の青年だ。外見上は恐れられることはないはずだと疑問に思うバルコー。

「え、あ、あの、どうして、知っているんですか? 私の名前だけじゃなくて、式神のことも……」

「あ」

 そこでバルコーは、本来の彼であれば知らないであろう情報を口にしてしまうという失態に気づく。

(ま、マズい。どうする? 下手な嘘をついてバレたら更に面倒なことになる。すぐにはバレず、かつ納得のいく嘘となると……)

「お……」

「お?」

大蛇おろち様に、聞いたんだ」

(どうだ……?)

大蛇おろち様が……!? そうでしたか……」

 ミヨリの反応に、内心で安堵の息を吐くバルコー。咄嗟についた嘘にしては、納得のいくもののようだった。

 大蛇おろち様とは、ここ、ヤサカニ村を守る守護獣だった。しかしゲームの主人公マーカスがこの村を訪れる前年に、過去最悪の凶作となったため貢ぎ物を納められなくなった。それに怒った八頭の大蛇おろち様は村を襲った。

 村人は村を守るため大蛇おろち様たちを騙し、貢ぎ物として眠り薬の入った酒を振る舞って、寝込んだ大蛇おろち様を一頭、また一頭と討っていった。しかし最後の一頭だけ、逃がしてしまったのである。

(今いる大蛇おろち様は、ミヨリが村人に黙って逃がした一頭だけのはずだ。ミヨリと深く親交があったらしいし、式神を知っていてもおかしくないと思っていたけど、案の定だ)

「そ、その……大蛇おろち様は、やっぱり、お怒りになられていましたか?」

(この質問が来るってことは、村が襲われるイベントはまだ発生していないか)

「ああ。兄者達の敵を討つって、猛っていたよ」

「そう、ですよね……」

 目を伏せるミヨリ。それを見たバルコーは、ゲームをやっていた時と同じように、いや、その時以上に悲しい気持ちになる。

「大丈夫だ。もうすぐここに、えっと、強い冒険者がやってくる。彼らならきっと、大蛇おろち様の問題を解決してくれるさ」

「そ、そうなのですか? どうして、そんなことが分かるのですか?」

「あー、それはその、ここに来るまでに、風の噂でな。解決してくれるかどうかは、やってみなくちゃ分からないけど……」

(やばい。ついネタバレを口にしてしまった。というか、おかしいぞ? 今までシナリオに関わるようなことは、思っても口には出せなかったはずなのに……)

 それは、この世界の住人として生まれたバルコーが、シナリオの改変を諦めた理由の一つでもあった。幼い頃から、今後起こるであろうことを言葉や文字で伝えようとしても、謎の力が働き実行できなかったのである。

(ミヨリの名前を呼べたことだってそうだ。本来バルコーはミヨリの名前を知らないはず。なのにその式神のことにまで言及できた。……ということはもしかして、退場扱いになった俺への強制力が消えたってことか?)

「――――」

「……あ、もしかして、喉が渇いたのですか?」

 パクパクと口を動かすバルコーを見たミヨリは、小首を傾げた。

「ああいや、その、……そうなんだ。悪いけど、水を一杯もらえないか?」

「は、はい! 少し待っていてくださいね」

 ミヨリは笑顔で答えると、バルコーの元を離れる。

(マーカスの仲間候補にラスボスの名前は伝えられず、か。やっぱりまだ強制力は残っているみたいだな)

 それでも、シナリオに関わっていた時よりも格段に自由度は増しているようだ。そう感じたバルコーは、試しに魔法を唱えてみる。

「『ヒール』」

 するとバルコーの体を淡い光が包み、痛みが和らいでいく。

(お、回復できた。まあ『ヒール』は今まででも使えていたからな。なら次は……)

「『リカバー』」

 本来、『バルコー』であれば使えないはずの魔法。それを唱えると――

「おお!?」

 先ほどより強い光がバルコーの全身を包むと、痛みが嘘のように引いていった。上半身を起こしてみても、違和感すらまるでない。

(まじか、俺が『リカバー』を使えるだなんて。今まではいくら努力しても『ヒール』しか使えなかったのに)

 その『ヒール』ですら、マーカスとの戦いの際には使えなかった。代わりに闇の魔法が使えるようになっていたのだが。

「……『ダークボルト』」

(な、デカ――)

 バチッ!

 右手で放った黒い魔弾が左手に当たり、大きな音を立てて消える。その音に気づいたミヨリが水の入った茶碗を持ってやってきた。

「ど、どうかしまし、って、動いてはいけませんってば!」

「い、いや、もう大丈夫。魔法を使って回復したんだ」

「ま、魔法!? 魔法を使えるんですか?」

「ああ、実はそうなんだ」

 この世界には魔法が存在するが、誰でも使えるというわけではない。とは言え簡単なものであれば子供でも扱えることもあるので、バルコーはわざわざ隠す必要はないと考え、正直に答えた。

「……あの、本当に回復したのであれば、お尋ねしたいことがあるのですが、よろしいですか?」

「ああうん。答えられる範囲でなら答えるよ」

「では、あなたは何故、大蛇おろち様とお話しできたのですか? いえ、それよりもまず、どうしてあの場で倒れていたのですか?」

(うん。まあ当然の疑問だわな。さてどう答えるべきか)

 バルコーは少し考えてから、答えを口にする。

「倒れていたことに関しては、実は俺にもよく分かってないんだ。大蛇おろち様から無我夢中で逃げていて、気がついたらあそこで倒れていた。そこに、大蛇おろち様から聞いた特徴を持つ君がやってきたってわけだ」

大蛇おろち様とお話ししていたのに、逃げてきたのですか?」

「ああ。大蛇おろち様も最初の内は大人しかったんだけど、話しているうちに気分を悪くさせちゃってさ。襲われそうになったから、逃げたんだ」

「そう、だったんですね。では、どうして大蛇おろち様と話そうと?」

(さて、ここが問題だ)

 バルコーは前世で得た知識を再度確認する。最悪の場合、この場で戦闘が起きかねないためだ。

(恐らくここはミヨリの家。村からは少し離れているし、ミヨリ以外の住人はいない。家の間取りも大きくは変わっていないはずだから、脱出経路も頭に入っている。あとは……ミヨリの反応次第だ)

「落ち着いて聞いてほしい。……俺の体には魔族の力が宿っている」


◇ ◇ ◇


「マーカス隊。そなたたちに、ヤサカニ村の調査を命じる」


「はい! 任せてください!」


「ヤサカニ村か。近くの町にワープゲートで転移して、そこから歩きで一日くらいだな」


「何があるかは分かりません。準備はしっかりしていきましょう」


「そうだな。持ち物や装備は確認しておこう」


◇ ◇ ◇


(ヤサカニ村かぁ。サクサク進んでいったからミヨリちゃん以外はあんまり覚えてないな。フヒヒ、待っててねミヨリちゃん。今勇者様が行くよ!)

(確かこの付近の魔物は、今まで戦ってきた相手よりも少々手強かったはずだ。マーカス殿に対処できるであろうか?)

(薬草がもう尽きかけていますから、また補充しないといけませんね。マーカスさんももう少し、敵の攻撃を捌くことができれば良いのですけれど)

 同行者二人の心配をよそに、マーカスは嬉々として次の目的地へと向かうのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る