第185話 シアvsガブリエル


(三人称視点)


 ――そして時の針は、現在へ。



「――ラファエルさんはあの地下室で生涯を終えたわけではないようです。何者かの手引きに・・・・・・・・よって彼女は・・・・・・脱走を果たした・・・・・・・。貴重な実験体を、王国がわざわざ石化させるような真似はしないはずですから」


「――――」


「恐らく、脱出した後・・・・・で何かがあった。そしてラファエルさんは石像と化し、バラバラになって世界中に散ることになってしまった。

私にわかるのはそこまでです。私の過去視……【遡及鑑定レトロアクティブ・ジャッジ】は触れている物にしか適用されません。誰が脱出を手引きしたのか、脱出した後で何が起きたのか、そこまではわかりませんでした。

私が知っている真実は、これが全てです」



 シアの告白を、ガブリエルは静かに聞いていた。

 怒り狂うでもなく、悲嘆に暮れるでもなく。鏡水きょうすいの如く、ただ静かに。



「これまで真実を明かしてこなかったのは、自分の身を守るためでした。私はアネモス王国に追われる身。正体と真実を明かせば、追手を差し向けられる可能性がありました。

……我が身可愛さと言われれば、その通りです。私は過去から、逃げ続けてきました」



 実際、シアは迷宮都市でも追手の影を何度か見かけていた。

 その度に彼女は身を隠し、危機をやり過ごしてきたのだ。聖女ルチアに見つかるその日までは。



「……なんで聖教会に伝えへんかった。ウチらの力があれば、アネモス王国の追手を退けることもできたはずや。ましてやアンタが聖女なら」


「勇者一行がシテンさんにした仕打ちをご存知でしょう。あれを見て聖教会を信用しろというのは、難しい話でした」



 聖女としての身分を明かせば、確かに身の安全は保証されるだろう。

 だがシアの人生から、おそらく永久に自由は失われる。


 聖教会は世界中から聖女、聖人を探し出し、かき集めている。

 大金と引き換えに親から買収するなど、多少強引な手段を取ることもある。

 それほど聖教会とガブリエルは彼らの存在を重要視している。

 実際、私が聖女であると知った途端に、誘拐という強硬手段を取ったのだから。


 シテンと孤児院の皆という家族を得た彼女にとって、その絆を引き裂くかもしれない聖教会を信用することはできなかったのだ。



「……チッ」



 そしてシアが聖教会への信頼を失ったのは、今の聖教会の体制を作り上げ、イカロスを勇者に指名した己自身が原因である事に気づいたガブリエルは、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。

 ガブリエルでさえ掴みきれなかった、ラファエルの足跡。シアの【鑑定】スキルの力がなければ、永久に歴史の闇へと葬られていたかもしれない事実。

 自身の企ての結果、ラファエルの真実を知る機会を危うく失うところだったのだ。



「なら、なんで今更……ウチらにこの話をしたんや。この秘密は、アンタが黙ってればバレへんかったやろ。こんな話をバラして、ウチの不興を買うとは思わんかったんか?」



 同胞である天使、しかも熾天使ラファエルを犠牲にした実験体だと知って、天使と聖教会がどんなアクションを取るのかは、シアにも予測不可能だった。

 こんな悍ましい実験の成果物など認めないと、完全に敵対してしまう可能性もあったのだ。



「私の、覚悟を示すためです。過去から逃げ続けてきた自分へ決別するための覚悟を」


「…………」


「聖教会のことは信用できませんでした。だから自分の身を守るためにも、この話は伝えていませんでした。

……けれどウリエルさんと出会って、少し考えが変わりました。

この真実を闇に葬ってはならない。当事者であるウリエルさんや同じ天使の方々は、この事実を知る権利があると思ったんです。

ラファエルさんの石像を見た後、尚更そう考えるようになりました」



「……シアさん」



 ウリエルが僅かに目を見開く。

 本人に自覚はなかったが、誰にでも分け隔てなく接するウリエルの態度は、シアの聖教会に対する印象を僅かに変化させていた。



「ガブリエルさん。あなたの行いはともかく、家族を……ラファエルさんを想うその気持ちは本物だと感じたんです。だからこの場で話しました。

……家族の顛末てんまつを知れないなんて、あんまりじゃないですか」




「――――」



 ガブリエルは、そっと目を伏せた。

 年齢が違っても、種族が違っても。家族をうしなう悲しみは理解できるのだから。



「…………。この事実、他に知っとるやつはおるんか」


「シテンさんとソフィアさん。【尸解仙しかいせん】のユーリィさん。あとはアネモス王国のごく一部の上層部でしょうか。

ユーリィさんは私が話したというより、自力で真実に辿り着いたようなものですが」


「じ、自力で? 得体が知れなさすぎる……あの人一体何者なのよ」



 戦慄するソフィアをよそに、ガブリエルは無表情のまま言葉を続ける。



「……なら、この話はこれ以上広めるな。当事者のウチが聞いてしまった以上、この問題はウチが対処する」


「対処する、というのは」


「決まっとるやろ。アネモス王国を滅ぼす」



 そう冷たく宣言したガブリエルの顔には今迄の無表情から一転、ドス黒い憎悪が浮かび上がっていた。



「ガブリエルっ!」


「黙っとれウリエル。お前はラファエルをこんな目に遭わせた連中に対して何も思わんのか?

……真実を伝えてくれた事には、素直に感謝するわ、おおきに。

けど、アンタはともかくアネモス王国の連中は許せん。ウチは人間や魔物なんざどーでもええけど、天使の事なら話は別や。どんな手段を使ってでもアネモス王国は絶対に滅ぼす」


「……やはりそうなりますか」



 その結果は、シアも薄々予想できていた展開だった。

 ガブリエルは同胞である天使に対して特に執着している。敵であったシテン達に対して、ウリエル救出の件については素直に感謝を告げるくらいに。

 その天使を人間の勝手な都合で実験体にしたと知れれば、彼女が激怒するのも容易に予想がついた。



「ですがアネモス王国の関係者として、素直にそれを認める訳にはいきません」


「お前は祖国を追われた身やろ。今更行く末を案じるんか?」


「当然です。離れたとはいえ、私とお母様の生まれ育った故郷には変わりありませんから。それに私は迷宮都市に逃れてきてからも、ずっと王国の情報は集め続けていました」



 シアはこれまで、鑑定屋として多くの人間と関わってきた。

 日銭を稼ぎながら、顧客から噂話や世間話という形で、密かに情報を集め続けていたのだ。

 ステータスさえ偽装すれば、誰もシアが王女だなどと考えはしない。この世界でステータスは絶対であり、それを偽装できるのは彼女だけなのだから。



「【鑑定】スキルを駆使して、王国の様々な情報をかき集めてきました。全てはこの日の為に……ヴェントスお兄様からアネモス王国を取り戻し、安寧を取り戻す為に」


「……それがお前の真の目的か」



 かつて祖国から逃亡し、必ず帰ると誓ったあの日。

 誓いを果たす為には諸悪の根源であるヴェントスを止める必要があると、シアはずっと考えていた。

 母の為に、家族の為に、これ以上の犠牲者を出さない為に。


「はい。王国の民は今、内戦の影響で大きく疲弊しています。そこに聖国からの侵攻が始まれば、多くの犠牲者が生まれるでしょう。

それに聖国にもかつてのような影響力はない。勇者イカロスの起こした大虐殺によって、聖国の名声は地に堕ちています。無理に他国家に干渉したとなれば更に傷口は広がりますし、聖国の民にも余計な負担を与えてしまいます」



知ったことか・・・・・・。人間の政治事情なんざどーでもいい。民の負担なんざ知ったこっちゃない。

元より聖教会なんざ潰すつもりやったんや。それが多少早まるだけに過ぎへん。

同胞をこんな目に遭わされておいて、お前はウチに何もするなと言うんか?」



「――いい加減にしなさいッ!!」



 遂にウリエルの堪忍袋が切れた。

 一瞬でガブリエルの元に詰め寄ると、その襟首を掴んで持ち上げる。

 背丈の高いウリエルは、あっさりとガブリエルの足を地面から離してしまった。



「ガブリエル! 貴女の気持ちはよくわかります。正直私も同じ気持ちです……人間に対して、ここまで負の感情を抱いたことは無かったかもしれません。

しかし貴女のしようとしている事はただの復讐です! 何の合理性もなく、感情のままに無闇に被害を撒き散らそうとしている! どんな理由があったところで多くの無辜の民に負担を強いるのは間違っています! その負の連鎖は断ち切らなければなりません!!」



 激情のままガブリエルを説得するウリエル。

 しかしその言葉は、昏い水底に沈んだ彼女には届かない。



「……相変わらずええ子ちゃんやなぁウリエルは。甘すぎるわ、その価値感。

人間は愚かや。かつて共に戦った天使さえ、自分らの都合で道具にしてしまう程に。

アンタが寝てる間に人間も変化した。ウチらはもう人間を救う必要はない。救う価値もない。もはやウチらにとっては、人間は只の害獣や。

昔とは違うんや、ウリエル。いい加減現代の価値感に慣れた方がええで?」


「――ッ!」



 自身の言葉が彼女に届かない事を悟り、ウリエルは歯噛みする。

 眠っていた数千年という歳月は、かつての戦友を変えるには十分な歳月だった。


 そしてその様子を見て、シアは冷静に思考を巡らせる。



(やはり言葉だけでは、ガブリエルさんの意見を変える事はできない。その根底にあるのは憎悪。それが長い年月を経て彼女の価値感を凝り固めてしまっている。私ではそれを解きほぐすことはできないでしょう)


(ならば、その矛先を変える。憎悪を鎮めるのではなく、受け流す。これは今ここにいる私にしかできない事だ)




「……勘違いしないでください、ガブリエルさん。私は何も黙って見ていろ、と言っているわけではありません」


「あ?」


 宙にぶら下げられたまま、ガブリエルが怪訝な声をあげる。



「ガブリエルさんの憎悪を否定するつもりはありません。ただ、もっとスマートな方法・・・・・・・・・・があると思うんです。

ガブリエルさんだって、自分の存在はなるべく伏せておきたいんですよね?」


「――――」



 シアの指摘は当たっていた。

 理由までは把握していないが、ガブリエルが自身の生存を世間に隠していることは理解していた。

 これまで世間では、ウリエルを除き全ての天使は地上から去ったと考えられていた。ガブリエルの存在はお飾り教皇や聖騎士団長といった、一握りの人間にしか存在を知らされていない。

 そして昨日シテン達と初めて出会った時も、帰り際に自身の存在を口外しないよう口止めしていたのだ。



「私もこれ以上、ヴェントスお兄様の暴虐を許すつもりはありません。

これまでずっと考えてきました……これ以上被害を拡大させず、迅速に事態を終結させる方法を」



 この会談は、シアにとっては戦いであった。

 将来を左右する程の大きな戦い。それに彼女は全てを賭け、望む未来を得る為に戦っている。

 シテンがいなくとも、彼女の心に恐怖はない。既に覚悟はできていた。


 そしてこの展開に持っていく事こそが、この会談におけるシアの本命であった。

 自身の過去を伝え、その結果ガブリエルがどう行動するかまで予測し、それを被害を収める方向へ制御するアイディアを伝える。


 例え、直接戦う力がなくとも。

 スキル、観察眼、出自。全てを利用して、ガブリエルという難敵に立ち向かう。

 これがシアの、彼女の戦い方。



「これは一種の取引です。ガブリエルさんの望みを叶えるかわりに、私の作戦に協力してもらう。この案は、私一人だけの力では達成不可能ですから」


「――――」



 そんなシアの思考を知ってか知らずか、じっとアイスブルーの瞳を見つめるガブリエル。

 両者の間に、緊張の入り混じった静寂が広がる。



 どれだけ案を巡らせても、ガブリエルが話を聞いてくれなければそれで終わりだ。

 彼女は憎悪のままにアネモス王国を滅ぼすだろう。或いは、制止をかけるウリエルとこの場で戦いになるか。

 シアの首筋に、冷たい汗が流れた。



 そして両者が睨み合い、どれほど時が経っただろうか。



「……話してみい」



 先に折れたのは、ガブリエルの方だった。

 この場にウリエルが居た事で、僅かに残っていた彼女の理性の天秤が、一先ずシアの話を聞く、という結論に達したのだ。

 ほっ、と密かにシアは安堵の息を漏らした。



「……言っとくけど、王国は滅ぼす。それは絶対や。

ラファエルの犠牲の元に成り立つ国なんざ、ウチは絶対に認められへんからな」


「……その考えについては、私の案を聞いてから改めて聞かせてください。ガブリエルさんにも、納得のいく終着点は用意できると思いますので」



 そしてシアは、ゆっくりと自分の提案をガブリエルに話し始める。

 彼女にとっての清算。過去と向き合い、前に進む為の案を。


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