第182話 ヴェントス・エル・アネモス


(三人称視点)



「ヴェントス、兄様……?」


「まさかこんな所で、レクシアに出会うなんてね。一体何をしていたんだい?」



 シアの異母兄いぼけいにして、アネモス王国の正統後継者。第一王子ヴェントス・エル・アネモス。

 かつて父ウレスと共にシアの元を、何度か訪れたことがある。

 しかし二人の関係性はそれだけだ。碌に会話をしたこともなく、食事を共にしたことすらない。

 同じ血を引きながら、家族とは程遠い関係。シアにとってはそんな認識だった。

 何より……自分の事を実験動物でも見るような、無機質な視線を向けてくるのが苦手であった。


 そんな今までほとんど関わりのなかった兄が、なぜかこの地下通路でシアの前に現れた。

 ただの偶然だと考えるほど、シアは楽観的にはなれない。



「散歩をしていたら迷い込んだのかな? この地下通路は入り組んでいるし、王族と一部の重鎮しか存在を知らない。俺はちょっと用事があって来たんだけど、たまたまレクシアを見つけたのはラッキーだったかな」



「ぇ……」



「ほら、こっちにおいでレクシア。出口まで道案内をしてあげよう。ああ、父上の事は心配しなくていい。俺がなんとか言いくるめておくから、勝手に抜け出した事を怒られることはないよ」



 親しげな笑みを浮かべながら、シアへと手を差し出すヴェントス。

 その姿がどこか不気味に見えて、シアは後ずさった。



「おっと」


(……私に何かを隠している。この人の事は信用できない)



 それは現時点では何の根拠もない、ただの直感だった。

 しかしシアは、その直感を――魂の躍動を信じた。

 そして彼女は、【鑑定】スキルを発動する。



「どうしたんだいレクシア、家族である俺を拒むなんて――」


「――お兄様。その血痕は何ですか・・・・・・・・・?」


「ッ」


「微かですが、靴の裏に血が付着しています。それもごく最近のもの。

……お兄様。貴方は一体何をしたのですか」



 常人ならば気づかないであろう、ごく僅かに残された痕跡。

 ヴェントスが隠しきれなかったその不穏な残痕を、シアは見逃さなかったのだ。



「……しまったな。血が付かないよう気をつけていたが、俺の注意が足りなかったか。

いや、ここはレクシアの力を賞賛するべきかな……いずれにせよ、言い逃れはできないか」



 そしてヴェントスは、あっさりと真実を暴露する。

 しかし余裕の態度は崩さない。それどころか薄く笑みすら浮かべていた。





「これは父上の……ウレス王の血だ。王は俺が殺した」


「――ッ!?」


「意外と手こずってね。この地下通路に逃げ込まれたんだけど……まあそれだけだ。追いついてトドメを刺した。向こうに首が転がってるよ」



 ヴェントスは通路の奥、王宮の方角を指差した。

 遠すぎてここからでは見えないが、シアにはヴェントスの発言が嘘だとは思えなかった。


「首を切り落としてから、物音がする事に気づいてね……様子を見にきたら、レクシアとこうして出くわした、って訳だ」


「お父様を、殺した……? なんで! 同じ家族でしょう!?」


「仕方がなかったんだ……迷宮都市と戦争するなんて、馬鹿げたことを言い出すんだから。

父上……いや、ウレスは迷宮都市の戦力をみくびりすぎだった。Sランク冒険者の手に掛かれば、国を一つや二つ潰すことなんて造作もないだろう。戦力差が違いすぎる。

夢を追うだけで、何も現実が見えていない。あんな男は王として失格だ」



 まるで開き直るかのように首を振りながら、淡々と事実を告げるヴェントス。

 ウレスは戦争の話をヴェントスに伝え、彼はそれに猛反発したのだ。

 それを受け入れなかった結果が、実の息子に殺されるという哀れな末路であった。



「俺がウレスを玉座から引き摺り下ろしたのは、この国の未来を想っての事だ。俺は国民を、家族と同じように大事にしたいと思っている。

――無論、その中にはレクシア、お前も含まれている」


「は……?」


「俺は父上と同じような真似はしない。妹を、レクシアを都合の良い道具として閉じ込めたりはしない。――これからは家族として一緒に暮らそう」



 そして改めて、ヴェントスはその手をシアに伸ばした。



「ずっと不憫に思っていたんだ。聖女として生まれたばかりに、家族を与えられなかったお前の事が。

けど、もう父上に怯える必要はない。これからは家族らしく、ずっと一緒にいてやれる。姉さんも弟も、お前と一緒に家族として暮らしたいと思ってる」


「――――」


「家族は一緒に暮らすべきだ。そうだろう? あの父親を排除した今、俺たちを阻む壁は何もない……。

共に行こうレクシア。一緒にアネモス王国の新たな時代を作り上げよう」



 笑みを浮かべながら、父親を殺したその手を伸ばすヴェントス。

 シアにはそれが理解できない怪物のように見えて、更に後ずさってしまう。



「理解、できません……家族を想うというのなら、なぜお父様を殺したのですか!!」


「……」


「あの人は私も、正直好きではありませんでした……だけど! だからといって、殺すのは違うでしょう!? 家族ならば、話し合う事は幾らでもできたはずです!! お兄様はそれをせずに、家族を手に掛けたんです!!」


「……。優しいなぁ、レクサスシアは」



 シアに糾弾されてなお、ヴェントスの余裕の態度は崩れない。

 手を伸ばしたまま、赤子をあやすようにゆっくりと話しかける。





「レクシア。家族だからって、分かり合えるとは限らないんだ」




「――――」


「父上はもう手遅れだった。お前という力を手にしたことで、後戻りできなくなってしまったんだ。話し合いなんて成り立たないくらいに……

いや、言い訳はもういいか。俺が父上を殺したのは紛れもない事実なんだから。

そんなこと・・・・・はもう、重要じゃあない」



 ……シアの精神は、限界が近づいていた。

 ラファエルの件も含め、父親が殺されたという事実。

 そしてそれを、大したことではないように振る舞う目の前の兄。

 【鑑定】スキルがなければ、とっくに現実感を失っていただろう。しかし無慈悲にも彼女の眼は、現実と虚実を容易く見分けてしまう。



「可愛いレクシア、お前は父上とは違う。あの愚かな王に人生を歪められた被害者だ。

これまで家族らしい事はしてあげられなかったけど、これからは違う。俺とお前は家族になれると、俺は信じている」


「……」


「俺の事を信用できないのも無理はない。これまで冷たく接しておいて、今更何を、って話だからな。言い訳になるが、父上の命令だから仕方がなかったんだ。

俺はお前を助けたいんだ。これからは家族として過ごそう。今までできなかった分、思う存分家族として接して――」





 ……今のシアは、一種の極限状態と言えた。

 シテンが戦いの最中で極限状態に陥り、何度も爆発的な成長を遂げたのと同じように。

 自分のルーツと過去の惨劇を知り、精神的に極限まで追い込まれた結果、その魂は……【鑑定】スキルは、普段以上の性能を発揮することが可能となっていた。




「……【心理鑑定マインド・ジャッジ】」


「ッ」



 初めて、ヴェントスの余裕の態度が崩れる。

 ぞわりと、胸の奥を、何かがくすぐるような感覚が、ヴェントスに襲いかかる。

 ステータスを、魂の奥底を見透かされた・・・・・・のだ。



「ヴェントス兄様……貴方は嘘をついています」


「ステータスを見られた……? レクシア、一体何を言って――」


私を助ける・・・・・つもりなんてない・・・・・・・・。お父様と同じように、私を都合の良い道具として閉じ込めるつもりでしょう?」



 アイスブルーの冷たい視線が、ヴェントスを正確に、冷徹に射抜く。

 相手の思考を読みとる派生スキル。【心理鑑定マインド・ジャッジ】が発現した瞬間であった。

 甘言を吐く兄の隠された悪意を、確かにシアは見定めたのだ。



「貴方の言葉は嘘ばかり……! 私の事も、父上の事も、この国すらも都合のいい駒としか思っていない!!」


「そんな事は、」




「貴方は父上を、嗤いながら殺したでしょう」


「――――」


「クーデターを起こし、多くの兵士を殺し、父上をいたぶって殺した。命乞いすら無視して。

私には全て・・・・・見えています・・・・・・。全ては貴方がこの国の王となるために、起こした事でしょう?」



 それはシアにも伝えていなかった、ヴェントスの隠された真実。

 彼とウレスとか知り得ない情報すら、今のシアには読み取れた。



「貴方は私を薬漬けにして、意思のない道具にするつもりです……そして、不要になったお母様も、いえ家族全員を殺すつもりでしょう!! 自身が絶対的な権力を得る為に!!」





「――あぁ、素晴らしいな。これが聖女の力か……やはり是が非でも欲しい」



 そして

 べちゃりと、ヘドロが剥がれるようにヴェントスの笑みが消えた。

 現れたのは、野心と欲望を剥ぎ出しにした、醜悪な新王の顔だった。



「俺の思考を読み取ったのか? ここまでの力だとは正直思ってなかったよ。これなら下手な芝居をうつ意味もなかったな」


「お兄様ッ……!」


「やはり父上は愚かだった。お前が何でここに居るのかは知らんが、離宮の外に出てるって事は全然デク・・にできてないって事じゃん。隔離しとけば大丈夫って言ってたが、考えが甘すぎたんじゃねぇか?」



 ヴェントスは三度手を伸ばす。

 父親を殺めた血塗られた手で、今度はシアの人生を奪うために。



「妹は兄の命令に従うもんだろ? 黙ってこっち来い。

俺は父上とは違う。意思も手足も剥ぎ取って、従順な道具オモチャにしてやるよ」


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