第181話 嵐


(三人称視点)



 ……暗い螺旋階段を恐る恐る降りていったシアの前に現れたのは――



「牢、獄……?」



 それは明らかに、何かを閉じ込めるために作られた檻であった。

 しかし檻の主は既におらず、伽藍堂がらんどうの空間が薄暗い空気を漂わせるのみ。



「もう随分長い間使われていないようです。それに、普通の牢獄でもないような……」



 チラと視線を逸らせば、拘束台のようなものや医療器具らしきもの、中にはシアでも何に使うのかよくわからない器具が、床に散らばっていた。

 どれもかなりの年月が経っているのか、経年劣化が著しい。



「……そうだ、エリクサーを探さないと」



 部屋に散らばるそれらの中には、薬品が入っていたと思わしき容器が幾つも混じっていた。

 多くは割れたり揮発したりで使えなくなっていたが、その中にエリクサーが混じっていないかシアは【鑑定】で見定めていく。



「ッ」



(この中には見当たりません……いえそれよりも――)



 シアが驚愕に目を見開いたのは、エリクサーを探す最中に別のもの・・・・を鑑定してしまったからだ。


 視界にはいったその器具は、生物から魂を削り出すためのマジックアイテムであった。



(魂を削る……!? こんなの拷問でも使われたりしません! 絶対にマトモな道具じゃない――)



 そしてシアは、空っぽの檻に視線を向ける。向けてしまう。

 【遡及鑑定レトロアクティブ・ジャッジ】による過去視を使えば、この檻の主が誰だったのか、この部屋で何が起きたのかを知ることができるだろう。

 しかし、本能的な恐怖がその決断を躊躇させていた。

 何かの傷跡や液体の痕跡が、檻から漂う陰惨な気配が、“この先を見てはいけない”とシアの警鐘を鳴らしているのだ。


 この部屋の中に目当てのエリクサーは見当たらない。恐らく真実を知ってもエリクサーは手に入らないだろう。だがしかし。



(この部屋に入った時から、私の中で何かがうずいているんです。

私はこの真実を・・・・・・・知らなければならない・・・・・・・・・・。私の中にある何かが、そう訴えている気がするんです)



 彼女はまだ、自分の出自を知らない。

 故にそれは彼女が初めて感じる本能の……魂の衝動であった。

 魂の奥底から血管のように全身に広がり、掻きむしりたくなるような未知の感覚。



 それが、彼女を突き動かした。



「……。【遡及鑑定レトロアクティブ・ジャッジ】」



 シアは檻に手を触れ、鑑定する。

 魂の衝動に従い発動された【鑑定】スキルは、通常以上の能力を発揮した。



 そしてシアの視界を通して、数千年前の過去が流れ込んでくる。

 ここで起きてしまった惨劇の全てを、己の出自を、逃れられない呪縛を……シアは、知ってしまった。




 ――数百年前。

 魔王と女神の戦いの後、多くの天使が姿を消し、残された人類と僅かな天使が手を取り合い、戦で荒れ果てた地上の復興を目指していた。


 当時既に存在していたアネモス王国の元に、一人の天使が現れた。

 彼女の正体はラファエル。風と治療を司る熾天使であり、ガブリエルが傷を癒すために眠りについていた当時では、唯一残された熾天使でもあった。


 アネモス王国がラファエルを発見した時、彼女は既に深い傷を負っていた。

 いかなる経緯で負傷したのかはわからなかったが、ラファエルは何者かに追われている様子であった。

 それを悟った当時のアネモス国王は、ラファエルに身を隠す場所を提供した。


 ラファエルは感謝の言葉を伝え、国王が用意した隠れ家――この実験室・・・へと、まんまと誘い込まれてしまった。

 アネモス国王は、ラファエルの熾天使としての力に目をつけ、それを己がものにできないかと企んだのだ。

 彼女が騙された事に気づいた時には、既に手遅れであった。



『断言するよ、愚かな人の王』


『あなたの野望は、失敗に終わる。今でなくとも、遠い未来で。きっとこの愚かな行為の代償を支払う事になる』


『ボク達の持つ力は、世界を歪ませる力だ……決してたかが一国の王が扱えるものじゃない。あなたはそれを理解していない。そして人間の持つ果てしない欲望にも』



 ラファエルはそう言い残して、愚かな人の欲望に呑まれていった。

 傷ついた熾天使に、抗う力は残されていなかった。

 何年も、何十年も、その実験室に閉じ込められたまま、人間の欲望を叶える為の道具として扱われた。


 そうして得た熾天使ラファエルの断片は、エリクサーや魔法の再現といった、天使の奇跡を人工的に再現する計画に利用されていった。


 ……その計画の内一つが、人工的な聖女の創造。

 母体にラファエルの力を付与し、子を産ませる事でそれに天使の力を宿らせるという計画。

 聖女の肉体組成は天使のそれに近い。天使の力をコントロールできれば、聖女を人工的に生み出せるのではないかと、当時の研究者達が考えた実験であった。


 しかし実験は失敗の連続だった。

 母体がエネルギーに耐えられず衰弱してしまう・・・・・・・上、生まれた子供も普通の人間か、あるいは死産になってしまう。

 この実験は長年、アネモス王国で極秘裏に続けられていたが、これといった成果は出ていなかった。

 シアが生まれるその時までは。



「う、あぁ、あ」



 そしてシアの意識は過去から現在へと引き戻される。

 熾天使ラファエルと、数多の命を犠牲にして生み出された実験体。人工聖女。

 その現実は、齢十二の少女が受け止めるにはあまりに重いものだった。



「私の、私の血と魂には、こんなものが――うっ」



 数百年分の凄惨な過去を追体験したシアの精神は、既に限界に達していた。うずくまって、胃の中のものをその場に吐き出してしまう。


 ……この瞬間まで、シアは自分の出生のルーツを知らなかった。

 父ウレスはこの事実を秘匿していたし、実験場の存在自体もごく限られた存在しか知り得なかったからだ。

 それこそ聖教会がその存在を察知できない程に、その隠蔽工作は徹底されていた。

 自分が日頃から何気なく行使していた力は、先祖の犯した恐ろしい罪業の果てに生まれた、呪われた力であったのだ。



「――ぁ」



 ふらふらと、覚束ない足取りで歩くシアは、自分が地下実験室から移動している事に気づいた。

 いつ、どうやって移動したのか、自分でも覚えていない。気づけば階段を登り、宝物庫の近くにまで戻ってきていた。



「行か、ないと……」



 口をついて出てきたのはそんな言葉。

 しかし何処へ行くべきか、彼女自身にもわからなかった。

 エリクサーも見つからず、母親を救う手立てもない。そしてこの呪われた過去に向き合うこともできない。


 どうする事もできないシアの前に、道筋を指し示すのは――





「――やあ、レクシア。こんな時間に何処へ行くんだい?」



 誰もいない筈の地下通路。

 シアの目の前に現れる一人の青年。


 ヴェントス・エル・アネモス。

 アネモス王国の第一王子にしてシアの異母兄いぼけいである彼は、どこか不気味な笑みを浮かべて佇んでいた。

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