第157話 沈む迷宮、浮かぶ【墓守】


 ――迷宮、【魔王の墳墓】。

 地上とは別の位相に存在すると言われ、侵入するには迷宮都市にある転移門を潜るしかない。

 その構造は多数の階層に分けられ、降りれば降りるほど危険度も増していく。

 十層毎に存在する番人・・。そして悪意を持って人類に敵対する【墓守パンドラガーディアン】。

 攻略開始から数千年という時が経っても多くの脅威に阻まれ、未だ最深部に辿り着いた人類は居ない。


 数多くの欲望と命を飲み込んできた、悪名高き迷宮。

 そしてその迷宮は今――水底に沈もう・・・・・・としていた・・・・・



(三人称視点)


「――状況報告を。手早く、簡潔にお願いします」


 迷宮都市ネクリア。冒険者ギルド西支部。

 そこには大量の探索者が溢れ、至る所で怒号と悲鳴が飛び交っていた。

 平時の探索者ギルドの喧騒も大概だが、この日ばかりは度を越していた。


「い、いきなりだった……迷宮の壁や床が・・・・・・・水みたいに・・・・・溶けちまったんだ・・・・・・・・

俺は間一髪助かったけど、仲間が一人呑み込まれちまった!!」


「私も同じ事象を見たわ。あれは溶けるというより、迷宮の地形そのものが水になったみたいだった……ああ、ミノタウロスの時を思いだすわ」


「少なくとも、30階から下は冠水しちまったらしい! あちこち水浸しでとても奥に進めない! まるで洪水でも起きたみたいだ……!」


 大量の冒険者達が受付に押し寄せ、矢継やつはやに目にした光景を報告する。

 受付嬢のツバキはそれを聞いていたが、どれも俄かには信じがたい内容であった。


(迷宮の大半が、浸水……? 30階より奥に潜っている探索者達と、連絡が取れないという報告もあった。この話が本当なら、かつてない大規模な被害に……ううん、災害になってしまう!)


 あまりにも急な出来事で、冒険者ギルドもまだ状況を把握しきれていないのが現状だ。

 こうして逃げ帰ってきた冒険者から情報を聞き取っているが、それだけでは事態は解決しないであろうことは、彼女も薄々理解していた。


(こんな大規模な異変、必ず元凶がある筈。そこを叩けば解決するかもしれない、けれど今動ける人材は……)


 ツバキの脳裏に浮かんだのは、最強の個人戦闘力を持つSランク探索者達、そして冒険者シテン。

 しかし、シテンは今この場に居ない。聖国に向かった、という話は彼女も小耳に挟んでいる。そしてSランク探索者の大半は、すぐには動かせない。自由気ままに動く彼らに指示を出すだけでも一苦労だし、そもそも連絡のつかない者もいる。


 ……しかし。不幸中の幸いと言うべきか。

 一人だけ連絡の取れそうなSランク探索者に、ツバキは心当たりがあった。


(この時間帯なら、【狂犬】はちょうど日課のお散歩を終えた頃の筈……ご飯を餌にして釣り出せば、この緊急依頼も受けてもらえるかもしれない!)


 【狂犬】クララの狂気のお散歩ルーチンワークは、多くの冒険者が知るところである。

 ほとんど全裸で迷宮に潜り、お散歩と称して道中の魔物を虐殺してまわるのだ。

 クララの行動パターンは毎日決まっているため、彼女はSランク冒険者の中で最も接触し易い人材と言えた。


(けど……ここ最近の迷宮は、明らかに異常だ。大規模な地形変動や魔物の暴走。何か、恐ろしい事態が進行しているような……

ギルドの上層部は、この事態を把握しているの? それとも敢えて、情報を伏せているの?)


 ツバキの心中とギルド西支部は、混乱の坩堝るつぼと化していた。

 そして支部長であったアドレークが姿を眩ました今、それを収められる者は居なかった。



 ――そして迷宮内部。45階。

尸解仙しかいせん】ユーリィの姿は、そこにあった。


(面倒な事になったな)


 彼女は【墓守パンドラガーディアン】の活動開始を、誰よりも早く察知していた。

 しかしその規模は、彼女の想像を上回っていた。

 迷宮の中層部、30階から60階までは既に、完全な水中エリア・・・・・と化してしまっていた。

 浸水範囲は徐々に広がり、このままでは被害が広がる一方であるという事は、彼女も理解できていた。


 だが。


(まさか、二体同時に起動させるとはな。それだけ必死という事か? そんなにシテンのユニークスキルが恐ろしいか)


 常人ならば水圧と酸素不足で既に死亡しているであろう、過酷極まりない環境。

 その死の領域に漂う彼女。そしてそこには、巨大な影・・・・が悠々と泳いでいた。


『――貴様の話はあの蛇から聞いている』


 それは五十メートルはあろうかという、巨大な海蛇であった。

 硬く、鋭く、凶悪な棘と鱗。

 光無き深海に、その蒼銀の鱗が鈍く輝いている。


『【尸解仙】ユーリィ。貴様の武器は数多のアンデッドを使役し、死の概念を操る事だと』

『随分とお喋りな魚ダ。ご大層な迷宮操作までしておいて、私と世間話でもしに来たのカ?』

『――水中で言霊・・を発するか。やはり人間の肉体限界を裕に超えている。

しかし、貴様の不利は依然変わりない』


 その巨大な魚影――リヴァイアサンは、静かに、悟らせるようにユーリィへと語りかけた。


『アンデッドには幾つかの弱点が存在する。その中の一つが、だ』

『――――』

『我が領域……この海水・・に囚われている限り、貴様のアンデッドは役立たずという訳だ』


 ――ユーリィの身は、既にこの巨大な水球に囚われている。

 リヴァイアサンを中心に展開された領域・・。それがまるで水球のように膨らみ、迷宮の中層部分を浸水させているのだ。

 水底の方に目をやれば、ユーリィの率いる死兵達が力なく沈んでいた。


『貴様の戦闘力は大きく減衰している。その状態で、果たしてこやつら・・・・の猛攻に耐えられるかな?』




 ……そして、その死兵を食い荒らす大量の影・・・・・・・・・

 Aランクモンスターに匹敵する強さの骸骨兵を、まるでクッキーのように容易く噛み砕いたそれらは、次の狙いをユーリィに定めていた。


「「「クキュ、クキャ、KyuカAa……」」」


『魚の次はカニ、カ。今日のディナーは豪勢な海鮮料理になりそうだナ』


 鈍色の甲殻と巨大なはさみを持つ、蟹の大群。

 金属を引っ掻いたような不気味な鳴き声を上げながら、ゆっくりとユーリィに近づいていた。


『こやつらの名は、カルキノス。我ら【墓守パンドラガーディアン】の一体であり、際限なく増殖する・・・・・・・。貴様にはこのカルキノス共の餌になってもらおう』




 能力を制限された状態のユーリィに、数千匹もの大量の蟹――カルキノスが迫る。

 大きさこそ人間の子供程度の大きさだが、その一体一体がAランクモンスターを凌駕する強さ。

 下手をすればSランクモンスターに認定されるであろう魔物の群れに、しかしユーリィは動じる事なく思案していた。


(……こいつらは何故、このタイミングでここまで大きな動きを起こした?

シテンが居ない以上、身柄の確保以外の理由がある筈だ。秘密主義だったこいつらが、急に騒ぎを起こした理由が)


 以前、ミノタウロスが騒動を起こした理由を思い出す。

 それはシテンとリリスの身柄の確保。そして熾天使ウリエルの発見、破壊であった。


(リヴァイアサンは迷宮の地形を操作し、辺りを水へと変えた。そして水中で集団行動が可能なカルキノス。

……火属性に対しての対策だというのなら、この仮説・・の強度も増すか)


 目の前の【墓守パンドラガーディアン】二体が……いや、既に二体どころではないが。

 それらがもし、ミノタウロスと同じ動機で動いているのなら。




(火を司る最後の熾天使。――目的は、ミカエルか)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る