第154話 遺されたモノ
(一人称視点)
「――――」
ガブリエルによって用意された寝室にて。
ウリエルは、膝を抱えたままうずくまっていた。
(女神様が……もうこの世に居ない)
違和感はあった。
魔王を退けるという偉業を成し遂げたにも関わらず、地上のどこにも女神の名が記されていない事に。
何度女神の名を思いだそうとしても、それが浮かび上がってこない事に。
ウリエルはそれらの違和感を、見て見ぬ振りをしていた。
眠っていた長き時間の間に風化してしまったのだと。自分が名を思い出せないのは、目覚めたばかりで混乱しているのだと。
だが、ガブリエルに逃れようのない真実を突きつけられて……ウリエルの精神は、あっけなく限界を迎えた。
自分が情けなく迷宮で埋もれている間に、守るべき主の名を奪われ、存在すら忘れ去られていた事実。
そしてラファエルが人間の手によって殺され、ガブリエルが今や人類の敵と化してしまっている事実。
数千年越しに追いついたそれらの真実は、目覚めたばかりの彼女には耐え切れるものではなかったのだ。
(私は……これまで一体何を……)
「ウリエル、ご飯持ってきたわよ」
パンと果実、水を持ったソフィアが、ウリエルに話しかける。
シテン達が外出中の今、彼女がウリエルの面倒を見ている状態だった。
「貴女、今朝から何も食べていないでしょう? 気分が優れなくても食事を摂らないと、ますます悪化するだけよ。天使だって食事は必要なんだから」
「……ソフィア、ありがとうございます。けれど私にはもう構わずに――」
「構うわよ。
天使の事を、友達と言い切った魔女は、真っ直ぐにウリエルを見つめていた。
「友達……」
「あら、違ったかしら? 何日も寝食を共にした仲なんだから、私はてっきり友達になったものだと思っていたけれど」
シテン達が入院している間、ウリエルは聖教会の元を離れ迷宮都市を散策していた。その時寝泊まりする場を提供したのが、他でもないソフィアであった。
彼女達はその間に色々な話をし、この時代の誰よりもその仲を深めていた。
「いえ、決して否定する訳では……」
「ふふっ、じゃあ私たちは友達ね。とにかく私は友達がへこんでいるのを、黙って見過ごせないたちなのよ」
やや強引に友達として認めさせたソフィアを、呆気に取られた表情でウリエルは見つめた。
その視線は、種族の垣根を超えて、友として対等な立場に立とうとしている者の眼差しであった。
「ソフィア……」
「私ね、自分の過去の記憶がないの」
それは突然の告白だった。
かつてシテンにも告げたように、ソフィアは自身の経歴をウリエルに語る。
「記憶が、ない?」
「どこで生まれたのかも、何者だったのかも分からない。ただステータスに記された、名前と種族だけが拠り所だった」
「それは――」
「もう何年も自分のルーツを探してるけど、未だに手掛かりなし。――誰も過去の私を、覚えていないの」
それは奇しくも、名前を奪われた女神と同じ境遇であった。
それでもソフィアは明るく笑う。彼女の視線は過去ではなく、
「だから、名前を忘れられてしまった女神様の気持ちも、少しわかる気がするの。
――ウリエルは女神様との思い出、覚えてるんでしょ?」
「え、あ、はい」
「だったら、それをずっと忘れないでおけばいいと思うの。例え名前を忘れられても、思い出がウリエルの中に残り続けるのなら、女神様の存在は残り続ける。何百年でも、何千年でもね。
今まで語り継がれた神話だって全部、そういうものでしょう?」
「あ……」
もうこの世界のどこにも、女神の名は残っていない。
しかし、その記憶と意思の全てが消え去ったわけではない。
「本人がこの世から居なくなってもその存在が語り継がれるっていうのは、きっと凄く幸せで凄いことなのよ。少なくとも私が逆の立場なら、そう思う」
「ソフィア……」
「だから、遺された私たちにできる事は、その存在を語り継ぐ事。そして意思を引き継ぐこと。
……私も迷宮都市で色んな人間を見てきたからわかるわ。そうやって人々は何千年もの間、この世界に足を着けて生きてきたんだと思う」
魔女と天使は、人間とは異なる種族である。
見た目こそ似通っていても、その寿命は大きく異なる。
きっと彼女らはこの先数百年、あるいは数千年という長い月日を生きる事になるだろう。
その中で、多くの出会いと別れを経験する事にもなる。その摂理を、ソフィアは短い記憶の中で既に学んでいた。
「これまで多くの人達ができたんだから、私達にだってきっとできるわ。一人じゃ無理なら、私にも手伝わせて。女神様との思い出を教えてくれれば私が代わりに、お店にくるお客さんに広めまくってやるわ」
「――――」
「だからウリエル。早く元気になって、いつもみたいに真っ直ぐ前を向いて欲しい。何千年も眠っていたからって、貴女は忘れ去られた訳でも、一人になった訳でもないわ。一緒に女神様が遺してくれた、この世界を見てまわりましょう?」
「…………」
そしてウリエルは。
隣に寄り添う
「……ありがとうございます、ソフィア」
そして、ソフィアが持ってきてくれた食事に手を付ける。
明日を生き抜く為の、糧とするために。
「私は……本当に良い友を持ちました。
貴女の言う通りです。女神様のご意思は、決して消えてしまった訳ではありません」
「うん」
「私が、女神様の理想を引き継ぎます。……天使と人間の共存。そして真なる世界の平和の為に。
けれどそれは、容易な事ではないでしょう。私もまだ
ガブリエルの思想は、女神、そしてウリエルの抱くものとは真逆である。
ウリエルは今でも、ガブリエルを大切に思っている。彼女の抱いた絶望も喪失も、共感はできる。
けれど、それでも。彼女は人類と共に歩みたいと。側の友と一緒に、人間の行く末を見守りたいと思うのだ。
「長く辛い道程になるでしょう。けれど今度こそ、私は折れることはありません。私はあの大戦で散った仲間達の、女神様の意思を引き継ぎます」
「……ふふ、ちょっと元気でてきた?」
「ええ、お陰様で。私はもう大丈夫です。……ソフィアも一緒にどうですか?」
「それじゃ、一緒に食べましょうか」
そして二人で並んで座り、遅めの昼食を取る。
ウリエルの視線はもう、下を向くことはなかった。
「ま、問題はまだ山積みだけど……きっと何とかなるわよ。シテンもシアちゃんもいるし、リリスちゃんだって手伝ってくれる。ちょっと怪しいけど、あの【尸解仙】ってSランクの人も力を貸してくれるみたいだし」
「ええ、そうですね。……その、彼らとも、友達になれるでしょうか?」
「全然大丈夫よ。というか、もう友達だと思われてるかもよ? 特にリリスちゃんとか、色んな人とすぐに友達になっちゃうし」
確かにそうだ、とウリエルは内心呟く。
魔族であるにも関わらず、リリスは人間や天使である自分と親しくなろうとしていた。
「生きた時代や種族が違ったって、私達は支え合って生きていけるもの。私もそうだったしね。というか、大戦の時だって天使と人間は支え合って戦ったんじゃないの?」
「……。そうですね、その通りです。ふふ」
ウリエルはかつての友たちを思い出し、口元を緩めた。
女神、熾天使、初代勇者。彼らの多くがこの世を去ったが、彼らが守ったこの世界はまだ残っている。
ならば遺されたウリエルも、彼らの意思を引き継ぐと。
そう改めて、彼女は覚悟を決めた。
「ソフィア。食事が終わったら、少し付き合ってくれませんか?」
「? いいけど、何するの?」
「少しこの国を……聖国エデンを、見てまわりたいのです。現代の人々と遺されたものを、私の目で直に見ておきたい」
「ふふ、じゃあシテン達みたく気分転換も兼ねて、聖国観光といきましょうか! 大丈夫、私ガイドブック持ってきてるから!」
そして天使と魔女の会話は、和やかに進んでいくのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます