第149話 神話の残骸


 それ・・は粉々に崩れ去っていた。

 元は美しい造形であっただろうそれは、全体の半分以上が砕かれ残骸が床に転がっていた。

 膝から下は原型を留めないほど破壊され、その小さな身体はヒビ割れと穴だらけだった。

 両腕は折られ、頭部は左半分を粉砕され、その瞳は光を失っていた。

 おおよそ生きていたと思えないほどに、それは風化していて、摩耗していた。


 ――それは、天使の亡骸だった。



「――――」


 誰もが、言葉を失っていた。

 突然ガブリエルに転移させられ、連れてこられた部屋の先で見せられた物。

 そのあまりにも壮絶な有様に、誰も、何も発する事ができなかった。


「――これはタダの石像やない。肉体を石化させられた後に、砕かれた物。本物の天使の残骸や」

「な、これは……」

「シテン、そして魔女ソフィア。あんたらならよく知っとるやろ? 石化した生物が元に戻れず、その身を砕かれた場合に、どうなるか」


 ……当然だ。よく知っている。

 僕とソフィアは、かつて連続石化事件を解決するために奔走したのだから。

 一度石化してしまった生物は、自力で回復するのはほぼ不可能だ。

 石像が無事ならば石化解除薬を塗る事で回復できる。だがもし、石像が既に破壊されていたならば。

 ……解除薬を塗っても、バラバラになった死体が出来上がるだけだ。そして、砕かれた石は二度と完全には繋がらない。

 石化状態が、極めて危険性の高い状態異常として知られる所以ゆえんである。


「ガ、ガブリエル……この、顔は、この石像は、まさか」

「……このちっちゃな天使はな。【ラファエル】っていう名前の天使やった。

ウチらと同じ、四人の熾天使の中の一人やった」


 そしてガブリエルの次の発言で、再び僕らは衝撃を受ける。

 熾天使ラファエル……あの、おとぎ話に出てくる偉大な熾天使が、目の前の残骸だというのか。

 ……ウリエルさんは。目に涙を浮かべて、顔を青ざめさせていた。


「……一応、聞いとくわ。

ウリエル、この子を元に戻せる? 土の元素を司るアンタなら、石化状態への対処法とか知ってるかと思って」

「――――」


 ウリエルさんは、その残骸と化した石像に近づき、そっと触れた。

 そして力なく、首を横に振った。


「……。私の力なら、石化を解除する事はできるでしょう。しかし、それだけです。壊れてしまった肉体までは、元には戻せない。何よりこの石像には……もう、ラファエルの魂が残っていない。

これはもう、ラファエルの姿形をした……ただの、石像です」

「……そうか。やっぱりアカンか」


 そう言って肩をすくめるガブリエルも、元より期待はしていないようだった。

 しかしその声色には、悲嘆の感情を隠しきれないでいた。まるで人間と同じように。


「手は、尽くしたんやけどな。迷宮の出土品を試したり、聖女の素質持ちを世界中からかき集めてみたり、新しい石化解除薬を試してみたり」

「……え」

「大っぴらに魔女を名乗る錬金術師……魔女ソフィアの話は、前々から聖教会に伝わってたんよ。結構前から監視されとったで? 知ってた?」


 ソフィアが驚いた声を漏らした。

 僕もそうだが、全然気づいていなかったらしい。でも聖教会は魔女を敵視しているようだし、監視の対象になっても不思議ではないのか。


「もちろん、その監視対象が石化解除薬を開発した話もすぐに伝わった。だからウチは真っ先に聖騎士団を使って、その薬を買いに行かせた。あ、さっきのイカついおっさんがそうやで?」


 ……もしかして、さっき出迎えてくれた騎士団長のラトムさんの事か?

 いや、待て。確かにあの低い声には、聞き覚えがあるような気がしたが……

 一番最初に石化解除薬を買いにきた男。まさかあれが、ラトムさんだったというのか?


「もし薬が偽物なら捕まえとこか・・・・・・ーって考えてたけど。結果としては本物やったから、魔女ソフィアの事はとりあえず黙認する事にしたんや」

「し、知らない所で結構ピンチだったの、私……?」

「けど別の要因でその石化解除薬も、ラファエルには効かへんかった。多分、もう魂が抜けてしもてたからやろなぁ。もう石化した生物やなくて、ただの石塊になってたんや」


「なぜですか……どうしてラファエルがこんな目に!? 私が居ない間、貴方達に何があったというのですか!!?」


 そして、堪えきれないというように叫んだのはウリエルさんだった。

 無理もない。面識のない僕たちですら、目の前の光景にはショックを受けているのだ。

 同胞であるウリエルさんが受けた衝撃は、計り知れないだろう。


「ウチはな。魔王との大戦の後、傷ついた身体を癒すためにしばらく、身を隠して眠りについたんや。ウリエルとミカエル――残りの熾天使は、魔王との戦いから帰ってけーへんかったからな。残された最後の熾天使、ラファエルがその間、人間達を導く役割を果たす事になったんや」


 ウリエルさんとは対照的に、静かな声色で話し始めるガブリエル。

 ラファエルの石像は、既に艶色を失い薄汚れていた。

 しかしその子供と見紛う程の小さな体躯で、彼女は熾天使としての役割を果たしたのだろう。


「ちっちゃくて可愛い、素直なええ子やった。熾天使の中では一番の若輩じゃくはいやったけど、人一倍活力のある子やった。そして、人間の事を本気で心配する、心優しい子やった」

「――――」

「ウチも、妹のように可愛がってたわ……けれど、ラファエルは。

ラファエルは、人間に殺されたんや」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る