第104話 暗闇の光


「ごめんなさい、シテンさん」


「? なんでシアが謝るの?」


「シテンさんが怪我をしたのは、私のせいだからです……私が足を引っ張ったせいで、シテンさんが一人であのミノタウロスと戦う事に……」


「シア」


 シアの綺麗な顔を優しく掴んで、正面から向き合った。


「シアが悪いなんて、僕はこれっぽっちも思ってない。あの場ではあの選択肢が最善だった。怪我をしたのは僕が未熟だからで、間違ってもシアのせいじゃない。……こっちこそゴメンね。せっかく格好つけて見送ったのに、こんな情けない姿を見せちゃった」


「い、いいえ! シテンさんは情けなくなんかないですっ! あんな怪物に逃げることなく、一人で立ち向かうなんて誰にもできる事じゃありません! シテンさんは、とっても格好良かったと思います!」


 顔を真っ赤にして、ぷんすこと反論するシア。ちょっと可愛い。

 ……ミュルドさんが僕らの様子を、何やらニマニマした表情で見つめていたけど、敢えてスルーした。


「じゃあこれでお互い様という事で……なんとか生きて戻れたんだし、地上に帰ってから色々話を――」


 しよう、と言いかけて、シアの視線が別の所に向いているのに気づいた。

 アイスブルーの視線の先には、一匹の小さなヘビ。


「ヘビ? ミュルドさん、こいつはいったい――」


「敵ですっ!!」


 僕が最後まで言い終わるより早く、ミュルドさんが驚愕するより早く、シアの鑑定スキルがヘビの正体を暴いた。


 だが、


『もう遅いよ』


 ヘビが喋った・・・・・・その途端、真っ黒な影の部屋が、泥のようにぐずぐずと崩れ出した。

 足元が崩れ、部屋に居た僕らは立っていられなくなる。


「ちょっ、こいつ何処から――!?」


「部屋が崩れる! ミュルド! 態勢を立て直せ!!」


「シア、掴まって!!」


 パニック状態になった僕らをよそに、ヘビはいつの間にか姿を消していた。

 直後、影魔法が解除され、僕らは影のはざまへと落ちていく――



「なめんなこんにゃろーっ!」



「――っ!?」


 一瞬、奈落に落ちていくかのような浮遊感を味わった後、僕は再び闇の中に立っていた・・・・・


 僕だけじゃない、シアやジェイコスさん、【大鷲の砦】のメンバーも全員無事だ。


「うへぇ……死ぬかと思った」


 ただ、ミュルドさんだけは違った。

 顔面蒼白で、はぁはぁと肩で荒い息をしている。


「今のは何だったのニャ!? 真っ暗になって落ちたかと思ったら元に戻ったニャ!」


「……今のは、影魔法の強制解除!? 相当高度な技術なのに、そこからそこの女が即座に再展開したっていうの!?」


 チタとヴィルダがまた騒いでいる。

 魔法使いでもあるヴィルダは、目の前で起きた事象に見当がついたようだ。


「ミュルド、具合はどうだ」


「ギリギリ、みんなを拾って影の部屋を作り直したけど……めっちゃ魔力使っちゃった。ごめん、もう数分しかもたない」



 ミュルドさんの弱弱しい謝罪を聞いて、その場の全員が凍り付いた。

 数分でこの部屋が解除される。つまり、ミノタウロスが徘徊する危険な地上に投げ出される。


「地上までの距離は」


「今は、15階層に居るところ。地上に出てすぐにミノタウロスと鉢合わせ……ってことにはならないけど、地上に着くまでに追い付かれる。さっき蛇が侵入したみたいに、どうもこっちの位置がバレてるっぽい」


「クソっ……敵の方が一枚上手だったか」



 ……さっきのヘビは、ミノタウロスの能力によるものではない。

 向こうにも協力者がいたのか。



「分散して逃げるべきです」



 そう進言したのは、首だけになった聖女ルチアだった。


「ミノタウロスの狙いは、シテンとウリエル様です。最優先で保護すべきはこの二人。それ以外の人物は、囮となって散らばって逃げてください」


「俺たちに囮になれってか!?」


「二人が敵の手に落ちれば、人類は更なる窮地に追い込まれるかもしれません。そのためにはやむを得ない犠牲です。無論、私も囮の数に入れてくれて構いません」


 ルチアの言う事は相変わらずめちゃくちゃだが、全く的外れという訳でもない。

 事実、ミノタウロスは僕の解体スキルの力を狙っていた。この力が敵の手に渡ってしまったら、恐らく碌な未来が待っていないだろう。


「……シテン。あの怪物を相手にしたお前に聞く。俺たち全員が結束すれば、ミノタウロスには勝てるか?」


「無理です。奴は特殊な再生スキルのようなものを持っていて、それがある限りどんな攻撃も無意味です」


「……魔王の使徒、という触れ込みは伊達ではないということか」


 ジェイコスさんが悔しそうに歯噛みする。

 残念だけれど、ここに居る僕らはミノタウロスに対し、何もすることができない。

 僕以外の人物は、【迷宮改変ダンジョンマスター】による地形操作で逃げ場を絶たれて、天井に押しつぶされるのがオチだろう。

 そして僕も、今のままでは勝つことはできない。都合よく名案を思い付いたり、僕の力がいきなり覚醒したりもしない。


 なら、僕はどうするべきだ。

 …………。


「…………」


「シテンさん?」


「僕が、囮になります」




「シテン、何を――」


「こうなったのも元々は、僕がミノタウロスを引っ張ってきてしまったせいです。多分向こうも、僕が姿を現せば優先的に狙ってくるでしょう。その間にウリエルの石像と一緒に、地上まで逃げてください」


「シテン、貴方は自分の言っていることを理解していますか。貴方が敵の手に落ちる事態は、最優先で避けるべきです。何よりあなたは負傷している、動ける状態ではありません」


 ルチアが珍しく、語気を強めて反論する。

 分かってるよ、そんな事は。


「僕のマジックバッグに、回復ポーションがまだ少し残ってる……これを飲めば全快とは言わずも、動けるようにはなるはずだ。逃げることに徹底すれば、そう簡単にやられることは無いと思う」


「シテン。今回ばかりは聖女の言う事が正しい。お前が犠牲になる必要はない。俺たちも冒険者になった以上、こうなる事は覚悟している。お前は何としてでも地上まで逃げるんだ」


「逃げられません。僕が囮にならなきゃ、間違いなく全滅します」



 僕はきっぱりと断言した。



「あの地形を変化する能力に対応するには、迷宮の壁を即座に破壊できるほどの攻撃力が必要です。……そんな芸当、この場の中では僕のスキルにしかできない。それ以外の人はあっという間に逃げ道を塞がれて、全員潰されます」




 一度相手にした僕だからわかる、確信をもって言える事実だった。

 ミノタウロスからは、逃げられない。



「……だが、逃げ続けるといっても限度がある。時間稼ぎをした後、お前はどうするつもりだ」


「僕も、影の中に隠れられます。ミュルドさんと違って一人分のスペースしか作れないですけど、それを駆使すれば逃げられる可能性もあります」


 僕はジェイコスさんに、嘘をついた。

 きっと僕一人では、ミノタウロスからは逃げきれないだろう。さっきのヘビがまだ居るかもしれないし、影に潜っている間は魔力を消費する。今の僕では長時間の潜伏は不可能だ。


 けれど、これが僕に思いつく最善手ベストだ。

 このままではジェイコスさん達も、そしてなによりシアも、ここで死ぬ。

 家族を守るためなら、僕は何度でも命を懸けられる。

 もう二度と・・・・・家族を失わないために。


 とはいえ、みすみす解体スキルを敵の手に渡すつもりもない。

 限界が訪れたらその時は、自分の手で――








「シテンさんっ、しっかりしてください!!」




 ぐいっと、シアに思いっきり顔を掴まれた。




「……シア?」


 シアの手の平から伝わってくる、確かな熱と微かな震え。

 そしてこの闇の中でも強く、明るく輝く青い瞳。それに見つめられていると、胸の奥底まで見透かされそうな、どこかくすぐられるような・・・・・・・・・感覚がある。



シテンさんの・・・・・・考えている事は・・・・・・・分かります・・・・・。自分一人犠牲になって、最後は自ら命を絶つなんて……そんな事、絶対に認めません!!!」



 シアは怒っていた。

 さっきのぷんすこなんて比じゃない。憤激の表情だ。

 ここまで感情をあらわにした彼女を、僕は初めて見た。



「さっき、言いましたよね。シテンさんが怪我をしたのは、私のせいじゃない、って。――じゃあ、この状況を招いたのは、シテンさんのせいだって言うんですか!? だからシテンさんが、責任を負って囮になるんですか!? さっき言った事と矛盾してます! 冷静になってください!!」


「――――」


 冷静さを欠いているのは、どう見てもシアの方だった。

 けれどその迫力に気圧されてしまった僕は、何も言い返すことができなかった。



「シテンさん、家族のために、私のために……たった一人で命をかけるのは、もういいです」


「……シア」


「私にはもう、耐えられない……。私が何もできない間に、家族が、沢山の人が死んでいく。そんな惨めな思いは、これ以上は耐えられません! だから……シテンさんが死ぬ時は、私も一緒です」


「何を言ってるんだ」


 論理的ではない、感情的なシアの言葉。

 そして今の発言は決して聞き逃せるものではなかった。

 自分の命を、そんな軽々しく――



ほら・・、シテンさんも同じ」


「ッ」


 言葉は、出なかった。

 僕が言葉にする前に、シアが僕の心を読んだのだ。


「“自分の命を軽々しく扱わないで”。……シテンさんが今考えた事、そっくりそのままお返しします。最初から死ぬ前提の話なんて、しないでください」


「う……」


 ……理屈ではなく、感情で分からされてしまった。


 ごめん、シア。

 確かに僕の案は、自分の命を度外視した、軽率な案だったかもしれない。


 けれど、何も状況は変わっていない、

 僕が囮にならなければ、全滅するのは間違いないんだ。


 きっとそれも、シアは分かっている。

 僕の思考を、読み取ってくれている。


「……はい。シテンさんの考えは、分かります」


 無言の僕に、シアは返事をしてくれた。

 少し落ち着きを取り戻したシアは、静かな、しかし内に覚悟を秘めた声で、次の言葉を紡いだ。


「私も一緒に、戦わせてください。――二人で、あのミノタウロスに勝つんです」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る