第104話 暗闇の光
「ごめんなさい、シテンさん」
「? なんでシアが謝るの?」
「シテンさんが怪我をしたのは、私のせいだからです……私が足を引っ張ったせいで、シテンさんが一人であのミノタウロスと戦う事に……」
「シア」
シアの綺麗な顔を優しく掴んで、正面から向き合った。
「シアが悪いなんて、僕はこれっぽっちも思ってない。あの場ではあの選択肢が最善だった。怪我をしたのは僕が未熟だからで、間違ってもシアのせいじゃない。……こっちこそゴメンね。せっかく格好つけて見送ったのに、こんな情けない姿を見せちゃった」
「い、いいえ! シテンさんは情けなくなんかないですっ! あんな怪物に逃げることなく、一人で立ち向かうなんて誰にもできる事じゃありません! シテンさんは、とっても格好良かったと思います!」
顔を真っ赤にして、ぷんすこと反論するシア。ちょっと可愛い。
……ミュルドさんが僕らの様子を、何やらニマニマした表情で見つめていたけど、敢えてスルーした。
「じゃあこれでお互い様という事で……なんとか生きて戻れたんだし、地上に帰ってから色々話を――」
しよう、と言いかけて、シアの視線が別の所に向いているのに気づいた。
アイスブルーの視線の先には、一匹の小さなヘビ。
「ヘビ? ミュルドさん、こいつはいったい――」
「敵ですっ!!」
僕が最後まで言い終わるより早く、ミュルドさんが驚愕するより早く、シアの鑑定スキルがヘビの正体を暴いた。
だが、
『もう遅いよ』
足元が崩れ、部屋に居た僕らは立っていられなくなる。
「ちょっ、こいつ何処から――!?」
「部屋が崩れる! ミュルド! 態勢を立て直せ!!」
「シア、掴まって!!」
パニック状態になった僕らをよそに、ヘビはいつの間にか姿を消していた。
直後、影魔法が解除され、僕らは影のはざまへと落ちていく――
「なめんなこんにゃろーっ!」
◆
「――っ!?」
一瞬、奈落に落ちていくかのような浮遊感を味わった後、僕は再び闇の中に
僕だけじゃない、シアやジェイコスさん、【大鷲の砦】のメンバーも全員無事だ。
「うへぇ……死ぬかと思った」
ただ、ミュルドさんだけは違った。
顔面蒼白で、はぁはぁと肩で荒い息をしている。
「今のは何だったのニャ!? 真っ暗になって落ちたかと思ったら元に戻ったニャ!」
「……今のは、影魔法の強制解除!? 相当高度な技術なのに、そこからそこの女が即座に再展開したっていうの!?」
チタとヴィルダがまた騒いでいる。
魔法使いでもあるヴィルダは、目の前で起きた事象に見当がついたようだ。
「ミュルド、具合はどうだ」
「ギリギリ、みんなを拾って影の部屋を作り直したけど……めっちゃ魔力使っちゃった。ごめん、もう数分しかもたない」
ミュルドさんの弱弱しい謝罪を聞いて、その場の全員が凍り付いた。
数分でこの部屋が解除される。つまり、ミノタウロスが徘徊する危険な地上に投げ出される。
「地上までの距離は」
「今は、15階層に居るところ。地上に出てすぐにミノタウロスと鉢合わせ……ってことにはならないけど、地上に着くまでに追い付かれる。さっき蛇が侵入したみたいに、どうもこっちの位置がバレてるっぽい」
「クソっ……敵の方が一枚上手だったか」
……さっきのヘビは、ミノタウロスの能力によるものではない。
向こうにも協力者がいたのか。
「分散して逃げるべきです」
そう進言したのは、首だけになった聖女ルチアだった。
「ミノタウロスの狙いは、シテンとウリエル様です。最優先で保護すべきはこの二人。それ以外の人物は、囮となって散らばって逃げてください」
「俺たちに囮になれってか!?」
「二人が敵の手に落ちれば、人類は更なる窮地に追い込まれるかもしれません。そのためにはやむを得ない犠牲です。無論、私も囮の数に入れてくれて構いません」
ルチアの言う事は相変わらずめちゃくちゃだが、全く的外れという訳でもない。
事実、ミノタウロスは僕の解体スキルの力を狙っていた。この力が敵の手に渡ってしまったら、恐らく碌な未来が待っていないだろう。
「……シテン。あの怪物を相手にしたお前に聞く。俺たち全員が結束すれば、ミノタウロスには勝てるか?」
「無理です。奴は特殊な再生スキルのようなものを持っていて、それがある限りどんな攻撃も無意味です」
「……魔王の使徒、という触れ込みは伊達ではないということか」
ジェイコスさんが悔しそうに歯噛みする。
残念だけれど、ここに居る僕らはミノタウロスに対し、何もすることができない。
僕以外の人物は、【
そして僕も、今のままでは勝つことはできない。都合よく名案を思い付いたり、僕の力がいきなり覚醒したりもしない。
なら、僕はどうするべきだ。
…………。
「…………」
「シテンさん?」
「僕が、囮になります」
◆
「シテン、何を――」
「こうなったのも元々は、僕がミノタウロスを引っ張ってきてしまったせいです。多分向こうも、僕が姿を現せば優先的に狙ってくるでしょう。その間にウリエルの石像と一緒に、地上まで逃げてください」
「シテン、貴方は自分の言っていることを理解していますか。貴方が敵の手に落ちる事態は、最優先で避けるべきです。何よりあなたは負傷している、動ける状態ではありません」
ルチアが珍しく、語気を強めて反論する。
分かってるよ、そんな事は。
「僕のマジックバッグに、回復ポーションがまだ少し残ってる……これを飲めば全快とは言わずも、動けるようにはなるはずだ。逃げることに徹底すれば、そう簡単にやられることは無いと思う」
「シテン。今回ばかりは聖女の言う事が正しい。お前が犠牲になる必要はない。俺たちも冒険者になった以上、こうなる事は覚悟している。お前は何としてでも地上まで逃げるんだ」
「逃げられません。僕が囮にならなきゃ、間違いなく全滅します」
僕はきっぱりと断言した。
「あの地形を変化する能力に対応するには、迷宮の壁を即座に破壊できるほどの攻撃力が必要です。……そんな芸当、この場の中では僕のスキルにしかできない。それ以外の人はあっという間に逃げ道を塞がれて、全員潰されます」
一度相手にした僕だからわかる、確信をもって言える事実だった。
ミノタウロスからは、逃げられない。
「……だが、逃げ続けるといっても限度がある。時間稼ぎをした後、お前はどうするつもりだ」
「僕も、影の中に隠れられます。ミュルドさんと違って一人分のスペースしか作れないですけど、それを駆使すれば逃げられる可能性もあります」
僕はジェイコスさんに、嘘をついた。
きっと僕一人では、ミノタウロスからは逃げきれないだろう。さっきのヘビがまだ居るかもしれないし、影に潜っている間は魔力を消費する。今の僕では長時間の潜伏は不可能だ。
けれど、これが僕に思いつく
このままではジェイコスさん達も、そしてなによりシアも、ここで死ぬ。
家族を守るためなら、僕は何度でも命を懸けられる。
とはいえ、みすみす解体スキルを敵の手に渡すつもりもない。
限界が訪れたらその時は、自分の手で――
「シテンさんっ、しっかりしてください!!」
ぐいっと、シアに思いっきり顔を掴まれた。
「……シア?」
シアの手の平から伝わってくる、確かな熱と微かな震え。
そしてこの闇の中でも強く、明るく輝く青い瞳。それに見つめられていると、胸の奥底まで見透かされそうな、どこか
「
シアは怒っていた。
さっきのぷんすこなんて比じゃない。憤激の表情だ。
ここまで感情をあらわにした彼女を、僕は初めて見た。
「さっき、言いましたよね。シテンさんが怪我をしたのは、私のせいじゃない、って。――じゃあ、この状況を招いたのは、シテンさんのせいだって言うんですか!? だからシテンさんが、責任を負って囮になるんですか!? さっき言った事と矛盾してます! 冷静になってください!!」
「――――」
冷静さを欠いているのは、どう見てもシアの方だった。
けれどその迫力に気圧されてしまった僕は、何も言い返すことができなかった。
「シテンさん、家族のために、私のために……たった一人で命をかけるのは、もういいです」
「……シア」
「私にはもう、耐えられない……。私が何もできない間に、家族が、沢山の人が死んでいく。そんな惨めな思いは、これ以上は耐えられません! だから……シテンさんが死ぬ時は、私も一緒です」
「何を言ってるんだ」
論理的ではない、感情的なシアの言葉。
そして今の発言は決して聞き逃せるものではなかった。
自分の命を、そんな軽々しく――
「
「ッ」
言葉は、出なかった。
僕が言葉にする前に、シアが僕の心を読んだのだ。
「“自分の命を軽々しく扱わないで”。……シテンさんが今考えた事、そっくりそのままお返しします。最初から死ぬ前提の話なんて、しないでください」
「う……」
……理屈ではなく、感情で分からされてしまった。
ごめん、シア。
確かに僕の案は、自分の命を度外視した、軽率な案だったかもしれない。
けれど、何も状況は変わっていない、
僕が囮にならなければ、全滅するのは間違いないんだ。
きっとそれも、シアは分かっている。
僕の思考を、読み取ってくれている。
「……はい。シテンさんの考えは、分かります」
無言の僕に、シアは返事をしてくれた。
少し落ち着きを取り戻したシアは、静かな、しかし内に覚悟を秘めた声で、次の言葉を紡いだ。
「私も一緒に、戦わせてください。――二人で、あのミノタウロスに勝つんです」
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