第89話 決壊


(三人称視点)


 そして遂に、その時が訪れた。


「……見つけました」



二人の聖女が、17層の洞窟、そのとある壁の方角を見つめた。


「ウリエル様は、この壁の奥で眠っていらっしゃいます」


「本当か!!」



 遂に熾天使ウリエルを見つけた喜びのあまり、ステップしそうな勢いでイカロスが寄ってきた。


「石像と化したウリエル様を助け出すには、再生する壁を壊し続ける必要がありますね」


「よし! お前ら! 今から壁に穴を掘る! お前らは壁が再生しないように壊し続けろ!」


 イカロスは周りの冒険者にそう命じ、ウリエル救出作戦が始まった。

 シアの【透視鑑定クレアボヤンス・ジャッジ】のお陰で、壁の中であってもウリエルの場所は把握できている。大したトラブルもなく、ウリエルの石像を救出する事に成功した。


「おお……これが熾天使ウリエル様!」

「神々しさが石像になっていても伝わってくる!」

「美しい……」


 周囲の冒険者が、ウリエルの姿を見て感嘆の声を漏らす。


 その石像は、石化する直前のウリエルの姿を、時を止めたかのように完全に維持していた。

 地上では造りえないであろう鎧をその身に纏い、何の装飾もない武骨な大剣を手にしている。

 その鎧越しでも隠し切れない、女性特有の柔らかな胸の膨らみと、女神が直接形作ったような、まさしく神懸ったバランスで配置された顔立ち。

 その神々しさを放つ美貌は、何かを祈るように、固く目を瞑ったまま動かない。

 石になってもその柔らかさが伝わってくる、雲のように柔らかなウェーブのかかった長髪。

 その雲髪を掻き分けて、背から三対六枚の翼が飛び出している。

 頭上の光輪こそ今は見えないが、概ね神話で語られる通りの姿だった。


「これがマジモンの天使様ニャ……!? 想像してたよりずっと綺麗だニャ」

「ここまで美人だと、同じ女性として負けた気すらしてこないわね……」


 勇者パーティーの一員であるチタとヴィルダでさえも、その美貌には感心せざるを得ない程だった。


「さ、さあ早く! 石化を解除してくれ! そして早く俺に力を!」


 イカロスもウリエルの放つ神々しさに一瞬見惚れたが、すぐに石化の解除を聖女に催促する。

 だが、聖女はウリエルの石像に手を当てると、緩やかに首を振った。


「……流石は魔王の呪い、と言ったところでしょうか。数千年の時を経てもここまでの呪力を保つとは」


「ど、どういう事だよ!?」


「申し訳ございません勇者様。私の想定以上に、石化の呪いが強く残っています。これを解呪するには、数日は掛かります。この場で解呪するのは現実的ではありません」


「えっ」


 てっきりそのままウリエルから加護を貰えるものだと思っていたイカロスは、間の抜けた返事を出してしまう。


「仕方がありません。一度ウリエル様を地上に運び込み、その後解呪を行いましょう。ミノタウロスの討伐は、それからでも遅くはありません」


「…………チッ、仕方ねぇな」


 ルチアの説得に、イカロスは渋々だが納得した。

 すっかり興が削がれてしまった様子だが、まだ挽回のチャンスを逃した訳ではない。


「お前ら! 今から地上に戻るぞ。お前らはこの石像を運べ。間違っても傷なんか付けるなよ?」



(シア視点)


 ウリエル様の石像が、綺麗な布で包まれていきます。

 【鑑定】スキルを使わなくても分かるくらい、あの石像からは神々しさが溢れ出ていました。

 いえ、きっとそれだけが理由ではないでしょう。私は以前に、本物の天使・・・・・を見たことがある・・・・・・・・から。



「よし、持ち上げるぞー」

「翼を折らないよう気を付けろよ!」


 傷つかないように丁寧に保護されたウリエル様が、冒険者達に担ぎ上げられていきます。


 ……天使様なら、今の私を見たら、どう思うでしょうか?

 聖女の役目を放棄した私を、断罪するでしょうか。

 それとも、赦してくださるでしょうか。


 いえ、実のところ、天使様の考えなんて、どうでもいいのです。

 今の私が恐れるのは、シテンさんに拒絶されること。


 故国を見捨てて逃げてきた私を、暖かく迎えてくれた人。

 家族を失った私に、もう一度家族を与えてくれた人。

 そして、私の初恋の人。


 シテンさんは、私の正体を知ったらどう思うでしょうか。

 孤児院のみんなもシテンさんも騙して、身分を偽りながら家族の振りをしていただなんて。

 ……我ながら、拒絶されても仕方がない所業をしたと思います。


 いえ、そもそももう二度とシテンさんには出会えないかもしれませんね。

 この戦いが終われば、きっと私の身柄は聖国へ移されるでしょう。

 そうすれば、二度と自分の意思で外を出歩くことはできないかもしれません。

 故郷の土も二度と踏めず、初恋の人にも永遠に会えず、女神と勇者の操り人形として生きていく。


 シテンさんに面と向かって拒絶されるくらいなら、もしかしたらそちらの方が気が楽かもしれませんね。



 けれど、だけど。

 もし、許されるのなら。



「……ダメですね、私。まだ未練がましい事を考えてる」


 誰にも聞こえないように呟いて、勇者の後について歩き出す。



 ……シテンさんを貶め、追放した勇者。

 彼だけは、このまま好き勝手させる訳にはいかない。

 あの男は、今後もきっと沢山の人を不幸にする。


 このまま都合のいい人形として生きていくなんて、真っ平ごめんです。

 そう世の中上手くいくものではないと、思い知らせてあげます。

 例え、私の身を危険にさらす事になったとしても。



 そう考えていた時、視界に違和感を覚えました。


「え……?」


 これまでに感じた事も無いような、総毛立つような恐ろしい気配が、こちらに近づいてくる。



 そして、



「ギッ」

「ぺぎゃっ!?」


 ウリエルさんを運んでいた冒険者達が、横から迫り来た壁・・・・・・・・に押し潰されました。


 私の眼は、正確に確実に、壁と壁に挟まれてぺちゃんこになった冒険者の生死を鑑定していました。

 命の証である赤い血液が、だくだくと隙間から溢れています。


 え?

 死んだ? 人が?


「うわああああ!?」

「なんだ!? 敵かっ!」


 私が理性を取り戻すより早く、冒険者達が騒ぎ始めました。流石に命のやり取りに慣れているだけはあります。


 けれどその後に起きた出来事は、私達を再び混乱の渦に突き落とすには、十分過ぎる衝撃を与えました。


「探す手間が省けたな……」


 壁の中から、巨大な青い手が、ゆっくりと伸びてきます。


「あ、あぁ……」


「お前達を泳がせておいたのは正解だった。会いたかったぞ、熾天使ウリエル」


 そして、迷宮の壁をまるでゼリーを崩すみたいに掻き割って……牛頭の魔物、ミノタウロスが姿を現しました。

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