第86話 逆夜這い事件


(一人称視点)



「リリスさん」


「はい」


「今回の件は流石にやり過ぎだと思うんです」


「はい……」


 僕とリリスは、朝から正座で向き合ってお話をしていた。

 話題はもちろん、昨夜の逆夜這い事件についてである。


 リリスの力で夢の中に引きずり込まれた僕だったが、あの後襲い掛かろうとするリリスを必死に説得し、なんとか貞操を守り抜くことはできた。


「昨夜も言ったけど、リリスに好意を向けられるのは素直に嬉しいです」


「はい」


「でもだからといって、嬉しい=即行為というのは、ちょっと僕には追い付けない価値観だったんです。自分の気持ちがハッキリしていない状態で、そういう事をするのは個人的にちょっと」


「ごめんなさい……シテンさんの価値観を無視して、つい暴走してしまいました……」


 しゅん、とリリスの羽と尻尾が力なく垂れている。本気で反省してくれているらしい。


「……でも、僕も悪かったと思ってる。サキュバスの特性と価値観をちゃんと理解してなかった。サキュバスにとって精力は主食みたいなもの、なんだよね? 生まれて初めて精力を摂取となると、多少興奮しちゃっても仕方ないと思う」


 今回のトラブルは。お互いの性に対する価値観の違いが招いたものだ。

 人間とサキュバスで価値観が違うのは当たり前のことだ。大事なのは、双方の納得できる落としどころを見つける事なのだ。


「……だから、今後の話なんだけど。僕で良ければ、精力を定期的に提供することはやぶさかではないです」


「ほ、本当ですかっ!?」


 意気消沈していたリリスの顔に、ぱあっ、と輝きが戻った。すごく素直な子だ。


「た、ただその、最後までするのは勘弁してほしい。やっぱりその、僕としては大切な事はちゃんと気持ちを整理してからにしたい訳で……」


「分かりました本番はナシですね同意します約束ですっ!」


 僕が言い終わる前にリリスが契約に同意してくれた。めっちゃ早口だった。

 ともあれこれで契約成立である。


「僕としても現状のままにするつもりはないから、早めに答えを出すよ。その時にまた契約を見直すという事で……」


 話が一段落した頃に、ソフィアが起きてきた。

 いつもの魔女の格好ではなく、パジャマ姿である。


「ふぁ……おはよー。二人で何話してたの?」


「いや、ちょっと……リリスと今後の事について相談を」


 流石にこちらの性事情を、ソフィアに暴露するのははばかられた。


「ふ~ん……?」


 ……何か気になる事でもあったのか、紫紺の瞳で、僕とリリスの表情を交互に見比べるソフィア。

 あ、寝癖付いてる。


「……はは~ん」


 やがて何かに勘付いたのか、悪戯っぽい笑みを浮かべるソフィア。


「シテンはなんか少しやつれてるし、リリスちゃんはお肌がツヤツヤしてる気がするし……ひょっとして、精気でもあげた?」


「ふぁっ!?」


 一発で正解を引き当てられた! なんで!?


「そんなに驚かなくても、顔見れば分かるわよ。うちの工房には、サキュバスに精力を吸い取られてカラカラになったお客さんがたまに、精力剤や回復薬を買いに来るのよ。……今のシテンはそのお客さんとおんなじ顔してるわ。軽度だけどね」


「あぁ、そういう事か……」

 

プロの眼には分かるという事らしい。観念するしかなかった。


「まぁ、サキュバスと契約した冒険者が代償に精力を与えるなんて、よく聞く話よ? だからそんなに隠し立てする必要もないでしょ」


「あ、そうなんだ?」


「てっきり私はその辺も含めてリリスちゃんと契約したのだと思ってたけど……?」


 なんと。

 どうやら僕の価値観が時代遅れだったらしい。


「そっか……僕の頭が固かったのか……」


「……悩み事があるなら、相談くらいは乗るわよ? 魔女を名乗ってる分、悪魔に関する知識もそれなりにあるつもりだし」


「…………。本番なしで、精力をあげる良い方法って知ってる?」


 デリカシーギリギリのラインを見極めて質問してみた。

 が、予想だにしない回答が返ってきた。





「ん? 握手でもすればいいんじゃないの? とりあえず接触してればオッケーなんだし」




「えっ」


「えっ?」



 ソフィアとの間に認識の相違を感じる。

 つまり精力をあげるだけなら、性行為しなくてもいい、ってコト?


 つまり昨夜のリリスの行動は、精力を求める本能的な衝動というよりは、性欲が暴走した結果、ってコト……?


「――――」


「え、えへへ……ごめんなさい」


 思わずリリスに目をやると、気まずさを誤魔化すような笑みを作っていた。


 不意に、以前ジェイコスさんから聞いた忠告を思い出す。



“だが一つ忠告しておく。彼女はどこまで行っても悪魔である事は変わりない。今は問題ないかもしれんが、いずれお前たちの関係が破綻する時がくるかもしれない。俺は悪魔と関わったせいで破滅した冒険者を何人も見てきた。……悪魔は気まぐれで、狡猾だ。決して油断するんじゃないぞ”



 ……もしかしてジェイコスさん。この状況を見越して先に忠告してくれていたのだろうか?


 リリスの善性を今さら疑う訳ではないが、もう少し彼女の事を詳しく知る必要がありそうだ……僕の貞操を守るためにも。




「それじゃあ、シアに会ってくるよ」


 朝食を済ませた僕は、早速シアの様子を見に地上に戻ることにした。

 今回は僕一人で行く。ソフィアとリリスはお留守番だ。


「本当に一人で大丈夫? ギルドが敵になってるなら、人数は多い方がいいと思うけど」


「大丈夫。僕なら影の中に潜れるし、隠密行動にはうってつけだよ」



 それに、先日の襲撃者との戦いで、自分が今どれくらいの実力なのかも大体分かった。

 多分、Aランク冒険者が複数人で襲ってきても、逃げに徹すれば問題ない。Bランク以下なら返り討ちにできるだろう。

 それに単独行動なら、どうしようもなくなった時の最後の切り札・・・・・・もある。

 あれは味方が居ると使えないからね……


「……分かったわ。でも無理はしないでね? 私にできる事なら、何でも言ってよね?」


「シテンさん、いってらっしゃい! ……ふふ、なんだか新居で帰りを待つ新妻になった気分です♥」


「リリスがまた本から変な知識を吸収している……!?」



 何事もなく、地上に辿り着いた。


 だが、シアに会う事はできなかった。

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