第22話 母の本心を知る
中に入ると、奥には大きなポスターが壁一面に何枚も貼られていた。
そのポスターは――裕星のデビューのころから最近までのCDやアルバムの宣伝用ポスターだった。
――ああ、お母さんは、俺の事を結構気にしていてくれたんだな。ありがたいけど、これじゃまるで俺のファンみたいだ。
裕星は苦笑して近くのデスクの上を何気なく見てみると、一冊の白いハードカバーの本が置かれていた。
裕星はその本を手に取り、何気なく開いた。
そこに書き記されていたのは、日付と記述から洋子の日記であることが分かった。
裕星は日記の数ページをめくって行くうちに段々目頭が熱くなっていった。
日記を持つ手が震えて涙が零れ落ちそうになって慌ててページを閉じた。
裕星は日記を抱えたまま急いでマンションを後にして、また洋子の病室に向かったのだった。
裕星は車の中で日記に書かれていたことを思い出していた。そこに洋子の今までの想いの
『1998年8月×日 そろそろ赤ちゃんが生まれる頃。私は少しナーバスになっているみたい。
あれは一年前のことだったかな、唯月がコンサートホールの舞台の上で私にプロポーズをしてくれた。
本当は私、ずっとこの時を待っていたのに、唯月がなかなかプロポーズしてくれなくて。
あの頃、突然彼によく似た人が現れて、いっそその人と付き合ってしまおうと思ったのは、早く唯月に私の気持ちに気付いて欲しかったからよ。
その気持ちが天に通じたのか、唯月が突然前触れもなく私にプロポーズしてくれたこと、それもリハーサルのときに。あの時の嬉しさを今でも噛みしめている。ずっと貴方が好きだったから。
ほら、また動いた。名前は唯月に決めてもらおう。大切な二人の子供だから。』
『1998年9月23日 朝から陣痛が激しくなってきたから、この日記を書いている暇はないけど、この時の気持ちを記念に残したいから書きます。
病院のベッドの上でこの日記を書いています。後少しで分娩室に行けると言われて、今唯月を待っているところ。
唯月は今朝ヨーロッパから帰国したばかり。さっき空港から電話が入ったからもうすぐね。分娩室に立ち会いに来てくれるというから、そこで、待ち合わせね』
『1998年9月23日午後5時 元気な男の子が生まれました。名前は『
『裕星』という名前の、『裕』には、「豊かで満ち足りている」「おおらか」「争い事を嫌う」という意味、『星』には、「どの道に進んでも、輝く才能を発揮できるようにと願って。その名の通り、スターや世の中の重要人物になってほしいという期待も込めて」と書いてあったの。
この子にピッタリの清々しい名前。これからもずっと3人で暮らして行きましょうね』
『1998年10月1日 やっと家に帰れました。
私の荷物を取りに戻ってきたこの部屋で、なんと素敵なメッセージを見つけたの。
「大切な人は貴女のすぐ傍にいます」日記の上にメモが置いてあったの。でも、どうしてここにこんなメモがあったかは永遠の謎ね。
きっとあのとき、突然私の元に現れて突然消えていった天使のような彼女が置いていってくれたのかも。不思議なことばかり。あの彼女は本物の天使だったのかもしれないわね。
唯月こそが、誰よりも私の傍にいて、いつも私のことを見ていてくれていた運命の人なのね』
裕星は病院の駐車場に停めて、助手席に置いた日記に手を伸ばして残りのページをめくっていた。
そして、自分が生まれた頃の24年前のページを見つけたのだ。
──あの頃の母親は、俺が生まれて心からの愛情を俺に向けていた。そして親父にも。
この「天使のような彼女」って、どう考えても美羽のことだな。美羽があのとき置いてきたのはこのメッセージだったのか……。
だけど、それなのになぜ別れることになったんだ?
パラパラとめくった日記の最後のページにあったのはその答えだった。
母さんは、この日を最後に日記を書かなくなった。この日、親父と別れたんだ。
『2003年12月25日 世間はクリスマスだけど、私は今日は唯月とお別れする辛い日になる。唯月はヨーロッパでの世界的なオーケストラの専任ソリストのオファーがあったみたい。
でも、私は今の仕事を辞めて、無責任にも一緒に行くことは出来ない。
それに、ヨーロッパを拠点に世界中を飛び回る唯月のために、まだ小さな裕星と誰にも頼れないヨーロッパで暮らすのは今の私には無理だわ。
だから決めたの。私は唯月を一人で送り出すことにします。
家族が足かせにならないようにしたいから。本当はずっと一緒に居たかった。でも、私のファンをガッカリさせるのはもっと辛いの。
唯月、どうか分かって。
唯月に付いて行けないことを言ったら、あっさり彼もそれを受け入れたわ。どうして、そんなに冷静でいられるの? もうこれで思い残すことは無いわね。明日、唯月とお別れする。そして、裕星は一人で立派に育てるわ』
『2010年〇月△日 唯月が亡くなったと連絡が入った。さっき唯月の秘書から彼の手紙を届けてもらった。
ああ、なんてこと。私がバカだったわ。彼の手紙には5年前別れたそのときの私への想いが綴られていた。
『洋子へ 結婚してからもずっと君には言わなかったことがある。
実は、僕は君をずっと愛していたのに、僕の仕事で君を振り回したくなくてプロポーズできずに迷っていたんだよ。あるとき、あの青年に会うまでは、僕はただの意気地なしだった。彼は一体何者だったんだろうね。
君が彼の事を気に入っていることは分かっていたよ。でも、僕も君を諦められなかった。彼が、君を奪いに行くと、僕に発破を掛けてくれていなかったら、僕はきっといつまでも君と一緒になれなかっただろう。そう思うと、彼に感謝したい気持ちだよ。
それなのに、せっかく裕星が生まれてこれから幸せにしたいと思っていたのに、本当にすまない。君にはやっぱり華やかな世界が合っている。君の歌を楽しみにしているファンを裏切らないために、俺は一人で旅立つ事に決めたんだ。
大切な裕星にはこれからも出来る限りの事をしたいと思っている。君に出来なかったことも。
いつまでも元気で、君の歌で大勢のファンを元気にしてやってくれ。別れても、僕は遠くからでも君の歌を聴いているよ。唯月より』
私の日記にも貴方の言葉を
彼の心からの優しさを、彼はあのとき冷たい態度で
裕星の目から涙が零れ落ちた。
俺が親父の気持ちを後押ししていたとは……あのタイムスリップがなければ、親父は母さんにプロポーズしてなかったなんて……。そう思うと、俺たちがあそこに行くのは必然的なことだったんだな。
この日記も手紙も、自分と美羽がタイムスリップした後の出来事だった。親父も母さんもずっとお互いを大切に思っていたからこそ、互いを思うあまりに別れたのか……。
ハハハ――。親父の優しさを知ることが出来て、母さんの想いを知ることが出来て。俺はこれでやっと母さんがした俺への辛い仕打ちを少しは許すことが出来そうだ。
車の中で裕星は涙を全部残らず流すように、泣きに泣いた。そして涙を乾かし、またいつもの冷静を取り戻すと、赤くなった目を隠すようにサングラスを掛けて車から降りたのだった。
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