第21話 母を救った愛の力

 美羽は病室を出る時に裕星の腕を取って言った。

「洋子さんは、きっとあのときの変化があったんですね。だから裕くんに愛されていることをちゃんと分かって生き抜いてくださったのかもしれないわ。

 私には何を言いたかったのかしら? 今日はお母さまの傍にいてあげてね。

 私はここから一人でタクシーで帰れるわ。

 裕くん、本当に良かったわね。お母様はきっとこれからどんどん良くなられるわ!」

 美羽は柔らかな笑顔を見せると、何度も振り向きながら小さく手を振り出口へと向かって行った。


 裕星は病室に戻り、血の気が戻って穏やかな顔になった母親の寝顔を一晩中見守っていたのだった。








 **JPスター芸能事務所**




 数日後、社長が新年度のラ・メールブルーの活動について話があるというので、メンバーたちがまた社長室に呼び出されていた。


「社長~、この春からはボクもドラマに出して下さいよ! マネージャーの取ってくる仕事だけじゃ、ボクまで回ってこないですから!」

 りくがいつものように文句を言っている。


「じゃあ、俺も! 俺はドラマよりもムーヴィー、映画がいいな。映画ってほら短期間だし、それに、相手役もビューティフルな女優さんだったりするでしょ?  ハリウッド映画みたいなのがやりたいな」

 リョウタは、仕事を何か勘違いしているようだ。



「お前ら、またピーピーと下らない事ばかりだな! 裕星ゆうせい光太こうたを見ろ! 二人はラ・メールブルーのメンバーとして歌番組もあるのに、舞台とドラマ、コンサートに映画の掛け持ちまでして文句も言わず頑張ってる。

 仕事に厳しいやつでないと、映画やドラマなんて任せられん!」

 久々の大声が部屋いっぱいに響き渡って、陸とリョウタは耳をふさいだ。



「ああ、そうだ、裕星。お前、ところでお袋さんの具合はどうなんだ? まだ入院してるそうだな。俺もその内、見舞いに行こうと思ってるんだが」

 浅加あさかが裕星に深刻な顔で訊いた。



「ありがとうございます。母は大分良くなりました。この調子なら退院も早いと言われました。

 まだちょっと声は出せないので、もっぱら筆談ひつだんでやり取りしていますが」


「そうか……お袋さんは昔から頑張り屋だったからな。お前が生まれる直前まで仕事を続けていたせいで早産になったという噂もあったな――。

 当時は出産にお前の親父さんが立ち会ったそうだってな。まあ結局別れてしまったから、お前にとっては不幸だったがなあ」


「親父が俺が生まれる時に立ち合いを?」


「ああ、当時の雑誌でお袋さんのインタビュー記事に出ていたことを急に思い出したよ」


 ――あの親父が? まさか……。裕星は仕事中毒だったはずの父親が母親の出産、つまり自分が生まれる時に立ち会っていたことを知って驚いた。

 以前、俺は帝王切開ていおうせっかいで生まれたと聞いていたが、親父が立ち会って自然分娩しぜんぶんべんで生まれたことになったのか。


 もしかするとこれも俺たちが起こした小さな変化だったのかな?

 裕星は頬がほころぶのを感じた。きっとそうに違いない。あの時、親父たちはいずれ別れてしまう運命だったにせよ、俺が生まれる時には二人にはまだ愛情があったということだ。


 何か自分に誇らしげな感情が湧いてきた。自分が二人の役に立てているような気がしたのだ。あの時、自分らが生んだ息子に仕組まれたこととも知らず、父親も母親も一時ではあったが愛情が通い合ったことは事実だ。



 裕星は美羽のケータイにかけた。

「――ああ美羽? 今日はいいことを聞いた。社長が俺の母親のインタビュー記事を覚えていたんだが、俺が生まれる時に親父が立ち会ったらしいんだ」


「ええ? 裕くんのお父様が? 素敵ね! 本当に奇跡が起きたわね! でも、まだお二人は裕くんが生まれて5年後に別れたことになってるの?」


「ああ、その事だけが前と変わった小さな変化だったってことかな? だから、もし母親が退院できて話せるようになったら、もう少し詳しく訊いてみようと思ってる」


「お母さまの具合はいかが? 私も時々お見舞いに行ってるんだけど、夕方からしかいけなくて……。ちょうどお母様がお休みになってることが多くて、まだお話はできてないの……」



「もうすぐ退院できるそうだ。後は自宅で療養すればいいとのことだから、まだ声を出すことは出来なくて、用事があるときには筆談なんだ。

 まだ肝心の事は聞けてないけど、顔色が良くていつも笑顔でいてくれるから、きっと気分も良くなってるんだと思う」


「そうね。きっとよくなるわね! 退院されたら、私も会いに行きたいな」


「ああ、ありがとうな」



 裕星は電話を切ってからしばらく考えていたが、急に何かを思い立って洋子のマンションへと向かった。


 あのマンションは裕星が生まれてからずっと住んでいたところで、今でも母親が所有しているのだが、入院してからはそのままにしてあるはずだ。


 エントランスのコンシェルジュは、今では別の若いスタッフに代わっていた。裕星は鍵を受け取りエレベーターを上って行った。



 ドアを開ける時に少し緊張が走った。このドアはついこの間まで毎日普通に開けていたドアだ。

 ドアを開けた途端、もう前のような新築の建物の独特な匂いはなく、洋子が玄関に置いておいた柑橘系の芳香剤の香りが漂っていた。


 そっと玄関を抜けて暗い室内のカーテンを自動で開けると、部屋は一気に明るくなった。

 裕星にとっては一週間前、正にここにいたばかりだったが、もうあの時の家具やソファーはなくなり、配置も変わっている。


 大きなブラウン管のテレビは薄型の巨大な壁掛けテレビに変わっていた。

 自分があの時使っていたゲストルームい入ると、そこにはもうベッドはなくなり、洋子の衣裳部屋となり、美羽が使っていた部屋は倉庫のようになっていて、沢山家具や置物が所狭ところせましと置いてあった。

 最後に1番奥の洋子の部屋のドアに手を掛けると、ガチャリと簡単に開いてしまった。



 この部屋には鍵がしてあり洋子以外は入れないはずだが、たまたまこの部屋で倒れたために、見つけた秘書の川谷が救急車を呼んでくれたのだろう。そのため部屋は鍵が開いたままの状態だったのだ。

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