第20話 生きたいという強い思い
*** 地蔵の祠前 ***
目的地に着いたタクシー料金は970円だった。裕星は釣りも取っておくように運転手に千円札を渡すと、礼を言って二人は降りた。
目の前の祠を見て思わず駆け寄って行くと、いつの時代に見ても、新しくも古くもなく全く姿の変わらない地蔵がそこにあった。
「あのお地蔵様だわ! なんだか懐かしい気持ちがするね。裕くん、準備はいい?」
どれだけ祈っていただろうか、しばらくすると青空がゆらゆらと
「裕くん、そろそろ来るわよ。私の手を取って!」
美羽が手を差し出すと、裕星はその手をグイと引いて、美羽の身体をギュッと抱きしめた。
「また転んだら危ないからな」
そう言ってニコリとした。
辺りが何も見えなくなるほどの白い
「裕くん、大丈夫?」
美羽も裕星に声を掛ける。
「ああ俺は大丈夫だ。美羽、離れるなよ」
二人はギュッと抱き合いながら、吹きすさぶ竜巻の中でお互いをもぎ取られないように耐えていた。
一人だけしか使えない
美羽は、以前図書館から借りてきたタイムトラベルに関する厚い本に書かれていた注意事項を思い出していた。
二人が時空の竜巻の中で耐えていた時間はほんの数分間だったが、それが何時間にも長く感じていた。やがて足が地に着く感覚が戻ってくると、裕星は今度は美羽を抱きしめたまま上手に地面に足から着地できた。
「……戻ったのか?」
まだ美羽を抱きしめたまま裕星が声をかけた。
「――どうかしら、願いの通りなら元の世界のはずなんだけど……。でも、多少の誤差は出ちゃうみたいなので、元の時間からは数時間経っているかも」
美羽が辺りをキョロキョロしていると、背後からいきなり声をかけられた。
「美羽、海原さん、ここで一体何をしているの?」
「シスター伊藤?」
振り向きざまにシスターの優しい顔が目に飛び込んできて、美羽は思わず叫んでしまった。
裕星は思わずシスターに、「あの……今日は、何年の何月何日でしょうか?」と訊いた。
「まあ、また可笑しなことを……今日は2022年の11月20日でしょ?」と笑った。
「20日……ああ、あの日に戻ってきたんだ!」
裕星が大きな声を出した。
「裕くん! 私達、戻れたんだね! 良かった! 実は少し怖かったのよ。もし元の世界に戻れなかったらどうしようって」
美羽がほっとしたような笑顔を見せた。
「あなたたち、さっきから何を言ってるの? さあさあ、もう日も暮れますよ。もう帰るところなの? あら、それともこれからデートだったのかしら? 私ったら、お邪魔しちゃったかしら」
「シスター伊藤、ち、違いますよ! 裕くんとこれから裕くんのお母さまの病院にお見舞いに行ってくるところです。それから帰りますので心配なさらないでくださいね」と裕星にちらりと目配せをした。
裕星は近くのコイン駐車場に停めておいた車を、4時間分の金額だけで出すことが出来た。
美羽を助手席に乗せると、裕星はまっすぐ洋子の病院へと向かったのだった。
病院の特別個室のドアの前に来た裕星と美羽は、ドアを開けるのを一瞬
洋子は意識がまだ戻っていないかもしれない。しかし、あの時、洋子と唯月の気持ちに変化があって婚約させることはできたはずだ。だから、きっとほんの少しの変化でもいいから起きていてほしい。
裕星は祈る気持ちで病室のドアをそっと開けると、恐る恐る二人で中に足を踏み入れた。
病院の消毒薬の匂いが鼻を突き、真っ白いカーテンの奥にほんのり明るい光が見えた。
あれは母親の枕元にある電灯だろう。
裕星は、カーテンをそって開けて声を掛けた。
「お母さん……」
カーテンの中のベッドの中に洋子はまだ静かに眠っていた。あの時と少しも変わりはしなかった。
――どうだったのだろうか。やはり親父は母親と別れてから亡くなっている状態なのが自分の今の記憶でしっかり認識できた。
――結局、何をしても別れてしまうことになってるんだな。でも、別れ方にほんの少しでも変化があったら……母さんが親父に気持ちを伝えることが出来ていたのならいいんだが……。
裕星がそっと洋子の顔を覗きこんだ。美羽も一緒に枕元で見守っている。
すると、その時奇跡が起きた。洋子が静かな
「お母さん!」
裕星が声を掛けると、洋子はゆっくりと裕星の方へと顔を向けた。そして、はあ~と大きく息を吐いて、「――ゆう?」と声にならない声で口を開いたのだった。
美羽は両手で口を
「良かった! 目を覚ましたんだね」
裕星が母親の手を握り、「お母さん、気分はどう? 手術は成功したんだよ。これからはどんどん元気になってくれよ」
顔を近づけながら言うと、洋子は唇を動かして裕星に何か言いたげにしている。
裕星は急いでコールボタンを押して看護師を呼んだ。
あの時の看護師が急いで病室に来た。
「まあ、意識が戻られたんですね! すぐに先生を呼んできます。本当に良かったですね! きっともう大丈夫ですよ」
そう言うと、点滴をもう一度チェックして医師を呼びに出て行った。
しばらくしてやってきた担当医が洋子に聴診器を当ててから裕星に向き直って言った。
「いやあ、ここまでしっかりと意識を回復されるとは予想していませんでした。本当に奇跡です。
きっと生きたいと思う気持ちが強かったのでしょう。これからは体力回復のために頑張りましょう。息子さんたちの愛が届きましたね」
そう言うと優しい笑顔で一礼して出て行ったのだった。
洋子はゆっくり瞬きをして、裕星の顔を見つめている。
「どうしたの、お母さん。何か言いたいの?」
裕星が訊くと、小さく頷いて美羽をまだ小刻みに震える人差し指で差したのだった。
「美羽? 美羽がどうかしたのか? 美羽も母さんのことを心配してくれて来てくれたんだよ」
裕星が言うと、洋子はこくりと頷いた。そして、美羽の方へと両手を伸ばすのだった。
美羽が急いで駆け寄って洋子の手を取ると、洋子はゆっくり瞬きをして美羽の手を少しだけ力を入れて握り返した。するとその時、洋子の目から一粒の涙がポロリと流れ落ちたのだった。
「洋子さん、私ここにいますからね。元気になって下さいね!」
美羽の言葉に洋子は涙がどんどん溢れて流れていく。
「どうしましょう、裕くん。洋子さん、涙が……。目が痛いのかもしれないわ」
すると、洋子は口元に少し微笑みを浮かべて、小さく首を横に振った。
「お母さん、違うだろ? 美羽に会いたかったんだよな? 何か思い出したの?」
裕星が訊くと、洋子は静かに頷いた。
「もう疲れるから、今日はゆっくり休んで。元気になったらたくさんお喋りしよう」
裕星が洋子に言うと、洋子はやっと美羽の手を放して目を閉じたのだった。
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