第17話 果たした約束
***国営コンサートホール***
美羽は諦めなかった。裕星に連絡を入れようにも電話がない。裕星なしでこういうとき誰に相談をしていいのか全く見当も付かなかった。
──裕くんはまだ消えていませんように……。
そう祈りながら直前リハが始まるのをザワザワしながら見守っていた。
楽屋から足早にやってきた
今まさに本番前の音合わせリハーサルが始まるのだ。
唯月が、タクトの動きに合わせてソロのバイオリンを演奏すると、まだ客の入っていないこの大きなホールに、この世のものとは思えないほどの魅惑的な音色が響き渡った。
美羽はキョロキョロしながら洋子を探していた。洋子は
洋子は本番さながら
美羽は、カリスマモデルが本業だった洋子の歌を聴いたのは初めてだった。洋子の歌声を聴きながら両手で高鳴る胸を抑え今までこれほどなかった感情の高揚を感じていた。
「なんて素敵な声なの? 裕くんがお母さんの歌だけは好きだったと言っていた気持ちが分かるわ。
でも、この声を二十数年後には失うことになるなんて……。
どうしたらいいの? 裕くんはまだ大丈夫かしら? 洋子さんは私の気持ちを分かってくれたのかしら?」
美羽はカーテンの影で二人の華やかな舞台を複雑な気持ちで見守っていた。
数曲が終わると、洋子は本番の準備のために舞台の袖に
すると、唯月が突然駆け寄ってきて、
「洋子、本当に素晴らしかったよ。僕もクラシックだけでなく新しい音楽にも自信が持てた。ありがとう」と握手を交わした。
「この場を借りて彼女に伝えたいことがあります。本番前の時間を少しだけ僕に下さい」と周りに頭を下げた。
そして、これから何が始まるのか
「今まで寂しい思いをさせてきて、すまなかった。僕がソリストとして頑張って来られたのも君のお蔭だ。これからもずっと僕の傍にいて欲しい。君を心から愛してる。僕と結婚してください」
そう言うと、唯月は舞台上で上着のポケットからリングケースを出して洋子の前に差し出したのだった。
「わあ~!」
予期していなかった喜ばしき事態に、オーケストラのメンバーたちはもちろん周りスタッフたちがそれぞれに歓喜の声を上げた。そしてまたすぐに静まり返り、今度は洋子の反応をじっと待っている。
突然の異例の事態に、美羽も2人を静かに見守っていた。
洋子は驚きのあまり、両手で口を覆い言葉を出せずにいたが、唯月が真っ直ぐ真剣に自分を見つめている目を見て、次の瞬間フッと笑顔を見せた。
そして、微笑みながらゆっくりと唯月に近づいていった。
「唯月、ありがとう。……喜んでプロポーズをお受けします」
両手でリングケースをそっと受け取ったのだった。
「キャ―!」
「おおぉー」
様々な叫び声が周りから飛び交い、オーケストラやスタッフたちからは割れんばかりの拍手が湧き起こったのだった。
あちらこちらからの「おめでとう!」「お幸せに!」「お似合いです」の声に、二人は周りに皆に頭を下げた。
カーテンの袖でその一部始終を見守っていた美羽の目には涙が溢れていた。
――良かった。これで裕星さんはきっと助かる。洋子さんとお父様のプロポーズの場に立ち会えることが出来て、本当に良かった! でも……まだこの先が問題ね。
美羽は指先で涙を拭うと、舞台から戻ってきた洋子に駆け寄った。
「あの……ご婚約おめでとうございます!」
すると洋子は、今までになく優しい顔を美羽に向けた。
「美羽さん、心配掛けてごめんなさいね。さっきまでの私は、本当にどうかしていたわ。
あなたの彼を
きっと私、寂しすぎて、唯月のことを疑っていたのかもしれないわ。本当に結婚してくれるのかどうかって」
すると、唯月が美羽を見て言葉を掛けた。
「美羽さんも見ていたんですね? 僕も、ある男のお蔭でこうしてプロポーズする決心が出来ました。本当はこの指輪も勇気がなくいつもただ持ち歩いていたんです。なかなか彼女に結婚を切り出せず……。
君は知らないと思うけど、見習いの男のお蔭で、僕は思い切り背中を
彼は本心じゃなかったはずだろうに、僕のためにワザと酷い言葉で
しみじみと思い出すように言った。
「その彼が私の大切な人なんです。私と一緒にここにやって来たんです。お二人を見守るために」
美羽が安堵したように微笑んで続けた。
「でも、もう大丈夫ですよね? 私達はそろそろ帰らないといけません。最後に私から一つだけお願いがあるんですけど……聞いていただけますか?」
美羽はこの場が最後のチャンスとばかりに、洋子と唯月に向かって真剣に願い出た。
二人は顔を合わせて不思議そうにしていたが、洋子がふっと笑って言った。
「いいわ、何でも言ってちょうだい。貴女にはとっても迷惑を掛けちゃったし。何でもいいわよ。だけどデビューさせてって言われても、私にはそんな力はないけれどね」
「……私の叶えてほしい願いは1つだけです。洋子さんと唯月さんに、この場で今まで隠していた本当の気持ちを打ち明けていただけませんか?」
「はぁ? そんな公開処刑みたいなこと出来ないわよ」
「でも、さっきプロポーズを受けたじゃないですか? これから結婚される二人なんですから、ちゃんと改めてお互いの気持ちを理解し合ってほしいんです。
それだけ聞いたら私は帰ります。だから、最後にお願いしてもいいですか?」
「――分かったわ。遠くから来てくれた貴女へのはなむけだと思って言うわ。何でも願いを叶えると約束したものね」
周りではスタッフたちが足を止めて、いったい何が始まるのかと3人を見守っている。
洋子は、ん、んん、とこれから歌を歌うかのように咳払いをして喉を整えると、唯月に向き直って言った。
「唯月、今日はプロポーズしてくれてありがとう。ずっとこんなワガママな私のことを好きでいてくれて、本当にありがとう。
私、今まで結構恋多き女みたいに噂で世間を騒がせちゃって来たけど、本当はどの恋も実ったことなんて無かったわ。そう全部片想い。ふふ……でも、貴方に出逢って、私は変わった。ほんの少しだけどね……。
だから、もし何かあって別れることになったとしても、まあ、先の事は分からないから……。でも、今貴方を真剣に愛してる気持ちは本心よ。
私、さっきまで他の男性の事を好きだと思っていたの。
これって問題発言よね? でも、本当は貴方に振り向いて欲しかったからよ。ちゃんと捕まえていてほしかったからだって、やっと分かったの。私も美羽さんに背中を押されたわね」
そういうと、くるりと美羽の方を向いて、「ありがとう美羽さん」と改めて美羽に対して頭を下げたのだった。
美羽の瞳にはすでに涙が溢れ、洋子の言葉でポロポロとこぼれ落ちた。
「僕も洋子を心から愛してる。今まではカッコつけて気付かないふりして放置してきたが、これからはちゃんと気持ちを伝えていくことを誓うよ。――美羽さん、これでいいかな?」
「ありがとうございました。そして、お二人ともどうかお幸せになってください。絶対に後悔しないように……」そう礼を言うと、美羽は急いでその足で麗子のマンションで待つ裕星の元へと向かっていった。一刻も早く辿り着きたい一心で、大勢の人の行き交う夕暮れの歩行者天国の大通りを、息が切れるのも構わずひたすら走り抜けたのだった。
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