第16話 俺が消える時

 洋子は、唇を噛んですがるように見つめている美羽をしばらく呆れたように見ていたが、フッと息を吐くと、


「貴女って、相当滅茶苦茶めちゃくちゃな人ね。――そう? 彼とあなたがお付き合いしてたのは分かったわ。

 でも、私が彼の事を諦めないと、彼も貴女も死んじゃうわけ? ふふふ、それもいいんじゃないの? だってそんな度胸どきょうなんてないでしょ? それにどっちを選ぶかは彼が決めることよ。


 彼はあなたの事、全然守ってくれてないじゃない? それほどまでに二人が愛し合ってるのなら、ここにあなたと一緒にいるはずよね?」

 洋子はそう言うと、すっと立ち上がって、美羽と真正面から対峙たいじした。



「美羽さん、あなたの言いたいことは分かったわ。それに私に彼を諦めてほしいという願いも。

 だけど、その願いばかりは無理な話ね。だって、もう私の気持ちは彼に向いちゃったんだもの」

 そう言うと、洋子はドアを開けながら「失礼、もうすぐリハだから行くわ」と美羽の傍をするりと通って出て行ってしまった。



 控室に一人残された美羽は、次第に絶望感に襲われ、両手で顔をおおって涙が溢れるに任せていた。

「裕くん、裕くん、お願いだから消えないで!」


 





 ***麗子のマンション***



 裕星はソファの上で、さらに半分消えかけた右足のせいで立つことも出来ずに横たわっていた。

「美羽……、うまくいかなかったみたいだな……」



 さっきから父親に何度も電話を掛けていたのだが、今やっと呼び出し音が消えて真一郎が出た。


「はい、どちら様ですか?」


「ああ、よかった! 僕です、しょうです」


「ああ、君? どうしたんだ? もうすぐ本番だというのに、ここにいないみたいだね。今どこにいるんだ?」


「ちょっと具合が悪くて帰宅しています。何も言わずに申し訳ありませんでした。実は……貴方にお願いがあって電話しました。

 どうしても今日中に解決しないと、もう俺は永久に消えてしまうかもしれないので」


「はあ? 何を言ってるんだ? どうしたんだ、これからすぐ直前リハが始まるんだ。もう切るぞ!」


「ま、待ってください! 俺の話を聞いてください。後少し待ってください。最後のお願いですから!」


「最後? 何を言いたいのか分からないが、早く言いなさい。私は時間が無いんだ!」


「俺ももう時間がありません。だから最後にお願いします! あなたの恋人の洋子さんのことです。

 あなたは本当に彼女の事を愛してるんですか?」


「どうして、そんなことを会ったばかりの君に言わなくちゃいけないんだ?」


「貴方は彼女の寂しさを分かっていますか? 彼女はずっと貴方を頼りにしてきたはずです。


 彼女はいつも一人でいます。強がりでプライドの高い人だから、自分からは貴方を好きだと言えないんだ。

 だから、他の男に気持ちが向いているふりをして寂しさを紛らわせてきたんだよ。

 貴方が彼女に気持ちを伝えずぐずぐずしていたら、彼女を永久に失ってしまいます! それに貴方の未来の子供も……。


 もし今すぐにでも彼女に意思表示しないのなら、──俺が彼女を奪います! それでもいいんですね?」 


 裕星は人生で最初で最後のハッタリを掛けた。

「彼女は恋多き女性です。俺が誘えば彼女なんてすぐに俺のものになりそうですしね。それに、俺は今までどんな女でも必ず手に入れてきた。真島洋子だろうがなんだろうが、俺の前ではただの尻軽女しりがるおんなですよ!」


 裕星はもう消えてしまった左腕をと右足のしびれで震えながら、精いっぱい不誠実で不敵ふてきなプレイボーイを演じた。



「な、なんだと! お前、本当は何者なんだ! ふざけるなっ! お前はそういう目的で俺に近づいたのか? 何が見習いになりたいだ? 俺の前から今すぐ消え失せろ! 二度と姿を見せるな!」


 真一郎の本気の罵倒ばとうを聞いて、裕星はなぜかホッとしていた。

 ――親父は本気で母さんを好きなんだ。俺がちょっとカマを掛けてやったら烈火れっかのごとく本気で怒っている。よし、これなら大丈夫だ。きっと親父は母さんにプロポーズして、お母さんをもっと強く捕まえていてくれる。


 裕星は最後にとどめを刺した。

「言われなくても俺は消えるよ。だけど、最後に忠告しておく。このコンサートが終わったら、必ず彼女を俺のモノにする。彼女の性格を知ってるだろ? もし貴方が先に彼女を捕まえておかなかったら、彼女はごうを煮やして俺を相手に選ぶはずだ!」


 裕星は最後の力を振り絞って、やっとのこと消えかけている右手の中の携帯に叫んだ。




「なんだと! お前の勝手にはさせない!」

 唯月は怒りが頂点に達したのか、持っていた携帯を楽屋のソファーの上に投げつけた。

 唯月は怒りで震えながら、コンサートホールへと向かって行ったのだった。



 裕星はソファの上で涙を流して力なく微笑ほほえんだ。

 ――もう俺の出来ることはここまでだ。親父には随分ずいぶん嫌われただろうな――。でもこれで母さんを救えるのなら俺は大好きな親父に嫌われても構わない。

 それに、俺の身体はまだ消えつづけてる。母さんはつくづく気の毒な女だな――。

 こんなに俺を愛してくれているのなら、俺が子供の時にそうしてほしかったよ。


 あの時美羽が言っていたタイムスリップの警告が現実になるなんて……母さんが俺にれるなんて……。一体俺たち親子は何やってんだか――。


 裕星はハハハと悲しげに笑いながら、体を起こして左手でテレビの電源を点けた。

 もうすぐ親父のバイオリン演奏で母親が歌う生放送音楽番組が始まる。俺がこの世に存在するのはこれで最後かもしれない。最後に見届けて記憶に刻んでおこう――。

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