第9話 イケメン父の遺伝子
「ああ~気持ちいい~」
思わず声が出た。窓から見える東京の空は真っ黒で今と少しも変わらなかった。あれだけあった新しいビルが消えていて、というよりまだ建て替えられいないのに、なぜか夜景だけは現代と似たように見えるのが不思議だった。
お湯に浸かりながら、ふと自分と父親との共通点を探っていた。昼過ぎまで一緒にいた実の父親に、自分が息子であると名乗る事は到底無理な話だが、親戚だけあって似ていると言われたことに少し嬉しさを感じていた。
父とは子供のころに別れたきりだった。海外を
父にとって自分はどんな子供だったのだろう。自分は愛されていたのだろうか? 母親との仲たがいでとうとう別れることになったが、息子の俺のところには時々会いに来てくれていた。子供の頃、父に買ってもらったギターもまだある。
いつか父親を超えられるような立派な男になれるだろうかと、裕星は自分の事を振り返った。しかし、実際に会ったほぼ同年代の父親は、今の裕星の何倍もの才能と男としての器量があった。
俺はおやじにを追い越すどころか、足元にも及ばない。
そう思いながら、またザブンとお湯の中に頭まで
美羽は夕飯の支度をしていた。大型冷蔵庫にはたくさんの食材が入っている。家政婦が、洋子が戻ってこない間いつ来てもいいようにと毎週入れ替えてくれる食材のお蔭で、当分の間食事には困ることは無いだろう。
鼻歌を歌いながら、美羽は手際よくハンバーグをこねていた。
以前、裕星は子供の頃母親の作ったハンバーグが好きだと言っていたことがあった。きっと洋子の手作りというよりも、家政婦が作ったものだったのだろうけど、それでも子供の裕星にとって、母の味として思い出に残っているのだろう。
美羽は、ハンバーグを熱したフライパンに入れて水を入れて
サラダはあっさりとしたトマトとレタスにレッドキャベツも入れた。
「上がったぞ、美羽も入っておいでよ」
裕星がバスタオルを腰に巻いて、頭を拭きながらキッチンにやって来た。
「うん、ハンバーグはもう焼きあがったから、私がお風呂から上がったらまた温め直すわね! サラダは冷蔵庫に入れておいたよ」
恥ずかしさから裕星の方を見ずにそのまま風呂場に逃げるように行こうとする美羽の腕をグイと掴んで裕星が抱き寄せた。
「今日は本当にお疲れさま。この調子でいけば、二人をうまく誘導できるんじゃないか?
元々結婚する運命なんだから、もっとお互いを理解させるようにすれば、他の男のことで母親も悩むこともなくなるしな」
「うん、そうね……でも、裕くん、ちょっと放して。早くお風呂に行きたいから!」
美羽は裕星に抱きすくめられて嬉しさ反面、恥ずかしさでいっぱいだった。
――でも、まだ安心するのは早いわ。私が裕くんとこんなところでイチャイチャしてる場合じゃない。洋子さんは今頃もまだ病院で苦しんでいるのだから。
裕星がそっと腕を緩めた隙に、美羽は急いで着替えを持ってバスルームに消えていった。
*** タイムスリップ2日目 ***
美羽は昨夜ベッドの中で考えていた作戦を実行しようか迷っていた。
二人は忙しくて会えないせいで心が上手く噛みあわないのだ。それならば、仕事で会うことになればもっと手っ取り早いのではないだろうかと。
しかし、自分はマネージャーではなくただの付き人だ。洋子のスケジュールまで操作する権限も口出しする権利も全くない。それなら、どうすれば……。
すでに父親の仕事場へ出かけて行った裕星も、ここからどうやって二人の気持ちをもっと近づけようかと悩んでいたが、裕星の方がいち早く良い案を思いついた。
自分は父親とだけ接触してるから、母親との接点を持つことが難しくなるのだ。それなら、自分も母親に接触して、二人の共通の知人になればいい。
そう考えて、裕星はすぐさま行動に移すことにした。
今日は父親の海外から招待されたオーケストラをバックにバイオリンのソリストをするための打ち合わせがある。その会場にはマスコミも業界関係者も大勢招待され、打ち合わせと言えど本番さながらのリハをすることになっていた。
母親は確か今日は週に一度の友人との食事会、つまり社交会に行く日だ。昔からよく木曜日は夜中に帰宅することが多かったのを思い出していた。
――よし、俺は今日のリハには仕事がないから、思い切って母親の食事会に行ってみよう。あそこは誰を招待してるかも分からないくらい人でごった返しているところだ。
以前、裕星は、母親の食事会の記念写真を見て、その招待客の多さに驚いたものだった。
──あれは……、そう、白金にあるゲストハウスで行われていたな。
普段は結婚式場として利用される迎賓館で、ガーデンパーティにも最適の場所だ。裕星はリビングの棚の上に飾ってあった写真の建物を思い出した。
裕星はコンサート会場を出て、母の主催する食事会の会場である迎賓館に向かって行った。電車に乗るための小銭はまだこの時代でも使える。駅からはすぐのはずだ。
今日の裕星は父親のスタイリッシュな黒の細いネクタイとグレーのスーツを着ていた。
これなら迎賓館の客としても見劣りしないだろうと、選んだジャケットを裏返して確かめたブランドが超一流のものだったからだ。
裕星は迎賓館に着くと、両手で襟をキュッと引っ張って正し、フウーと息を吐いて気持ちを整えると、招待券なしのまま、正面エントランスから堂々と入って行った。
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