第8話 嵐の前の家族たち

 タクシーはほどなくして目的のレストランに到着した。

 美羽は胸を抑えてドキドキをしずめようとしていたが、暴走した鼓動は、今の美羽にはコントロールができないほど激しくなっていくばかりだった。


 個室に案内されて、ウェイターがドアを開けると、そこにいた裕星の父親を見て、美羽は思わず声を上げそうになって口を抑えた。


 ――そっくり! 本当に裕くんに良く似ているわ。


 しかし、裕星よりも少し大人っぽく、切れ長の鋭い目をしていた。裕星の潤んだ大きな瞳は、どうやら母親似らしい。

 また、女性二人を見てサッと立ち上がったその姿は、まるで裕星そのものを彷彿ほうふつさせるかのように、スタイリッシュな長身が眩しかった。


「こちら、さっき話した新しい付き人の……」


「あ、星野美羽と申します。今日はご一緒させていただき、ありがとうございます」

 さっきトイレで練習した甲斐あって、やっと声が出せた。


 海原はチラリと美羽を見たが、表情を変えずに「どうぞ」と椅子の勧めた。


 ――確かに、こんなに格好いい男の人なら、こっちの方が自信なくしそうね……。美羽は自分の方がこの場に似つかわしくないのではないかと、ソワソワして居心地が悪かった。


 運ばれてくる豪華なコースディナーを前に、何とか料理を落とさないように口に運ぶだけで精いっぱいだった。

 昼間は裕くんがお父様と接触を図っていたはずだったけれど、どうだったのかしら?


 美羽は今ここに来ている裕星の父親を見ながら、裕星が今頃何をしているのかと不安になっていた。


「何か僕の顔に付いていますか?」

 海原に言われ、裕星を思いながら父親の顔を見つめていた美羽はハッと我に返った。

「あ、すみません! 何でもありません。ただ私の知り合いの方にそっくりだったので……」




「知り合い? ああ、そうそう。今日は知り合いが多い日だな。そういえば、僕の事務所にも遠い親戚を名乗る男がやって来ましてね。彼はどうやら警備に僕と間違えられて、上の階の僕の部屋まで入って来たんですよ。──そう、さっきまで一緒でした」


「え? 裕くんが一緒に?」


「ゆう? その男は海原星かいばらしょうと名乗っていましたよ。ただ……親戚だと言われても、僕の親戚は沢山いるので確かめようがなくてね。でも、驚いたことに、本当に僕とよく似ていて、他人の空似そらにかもしれませんが、もしかすると、本当に血の繋がりがあるかもしれないと思えるほどでした」



しょう……そうですか」

 裕星が自分と同じく「星」を名前を使った偶然に思わず吹き出しそうになった。

 そして、裕星もまた親戚という設定にしたことを知った。


 美羽があまりに唯月いつきの話に食いつくので洋子が不思議に思って訊いた。

「彼の親戚の方にそんなに興味がおあり?」


「い、いえ、そういう訳じゃ……海原さんソックリとうかがって、その人が私の知り合いの人か、と……」

 何とか笑って誤魔化した。



「君の知り合いも僕にそっくりですか?  それじゃあ、もしかすると、彼が君の知り合いかもしれないですね。僕はあまり親戚付き合いをして来なかったので、親戚の顔も覚えてないですけどね。

 その彼が僕の下で付き人をしたいそうで……まあ彼の努力次第ですが、もう24で年齢的にもギリギリですし、どんな才能があるのかも分かりませんが、一応親戚のよしみで雇いましたよ」


 美羽はホッと胸を撫で下ろした。


 ――これで今日の私たちの使命はまずまず成功だわ。美羽は肩の荷が下りた気持ちだった。


 食事が終わると、海原は洋子と一緒に美羽を送ってくれた。もちろん、あのマンションには行けないため、近くの交差点で降ろしてもらった。


 マンションのエントランスを入ると、常駐じょうちゅうしているコンシェルジュが声を掛けた。

「お帰りなさいませ」

 1回で美羽の顔を覚えたのか、今回は丁寧に挨拶をしてきた。もう既に洋子の知り合いとして認識してくれたようだ。




 美羽は部屋に入るなり、バタリとソファに倒れ込み、今日の出来事を思い返していた。

 裕星の父親、海原唯月かいばらいつきは、美子の想像通りクールでスタイリッシュな男性だった。


 ──裕くんにソックリだったわ。でも、裕くんよりももっとクールで近づきにくい感じ。そして、大人の落ち着きもあった。今の裕くんより3、4歳は上だけど、それ以上に大人っぽく感じたわ。


 美羽が着替えもせずボンヤリ思いにふけっていると、ガチャリと音がして裕星が帰ってきた。



「ただいま~! いやあ疲れたよ! 今日は人生で一番疲れた日だった」


 裕星は美羽の隣にどさりと横になった。

「裕くん、実は今日、私、洋子さんとお父様と一緒に食事をしたのよ。とっても素敵なお父さまね!」

 ふふと体を起こしながら隣りで横になっている裕星に自慢じまんげに言った。


「――ああ、クールガイって感じだったな。自分にもどこか似てる気がしたよ。親父は俺の想像以上にカッコいい男だった――」

 しみじみと父親への思いに耽りながら、裕星はニンマリと口元がゆるんでいた。

「でも……やっと親父に会えたんだ。子供の頃に別れたきりで二度と会えなかったからな。貴重な体験だったよ。お前のタイムスリップは本当にスゴイな!」



「お父様に会えてよかったわね! 私は同時に裕くんのご両親に会っちゃったけど、お二人とも本当に絵になる素敵なお似合いのご夫婦よ」


「いや、正式にはまだ結婚してはいないからな。それに婚約もしてないから婚約者でもない」


「そんな細かいこと、どうでも良いじゃない! それよりも、明日から私は洋子さんの付き人をするのよ。これなら洋子さんと一緒にいられるし、二人に何かあれば、すぐに知ることができる立場だから」


「俺も、親父の見習いとして願い出たんだけど、考えたら俺、バイオリンすら持ったことなかったよ。どうしようかと思ったけど、口から出た後だったからもう戻れないな」

 横になりながら両手の甲を額に当てて苦笑いしている。


「裕くん、疲れたでしょ? 私がお風呂にお湯を入れてくるね! その後で夕飯にしようか」

 美羽はスッと立ち上がると風呂場へ行くと、バスタブに蛇口を捻ってお湯を入れた。


 ドボドボドボ……と勢いよく出てくるお湯を見ながら、風呂場の窓から外を眺めていた。

「ここって最上階だけあって、まるで東京タワーの上でお風呂に入ってる気分が味わえそうね」

 独り言を言いながら、お湯があっという間に半分まで達していたのをみて、裕星を呼んだ。


「裕く~ん! もうすぐお風呂に入れるわよ~!」

 呼んでも返事がしないので、裕星はあのままソファで疲れて眠っているのだろうと、キュッと蛇口を締めて、呼びに行こうとすると、もうそこには昨日と同じように上半身裸の裕星が立っていた。


「キャっ!」

 裕星が突然出てきたので、美羽は驚いて大きな声を上げてしまった。


「なんだよまた。俺は強盗じゃないぞ。ん? 一緒に入るか?」

 ニヤリとする裕星の脇の下をくぐり抜けて、美羽はやっとのこと浴室の外に出た。


「裕くん、冗談はやめてよ! 一人でゆっくり入ってね。ほら、窓から夜景も東京タワーも綺麗に見えるわよ。本当に素敵なマンションね」

 美羽は恥ずかしさで慌てて窓を指さして誤魔化した。



 裕星は、慌ててパタパタとリビングに走って行く美羽の後姿を眺めながら、ふっと笑うと、ゆっくりとバスタブに頭ごとざぶりと沈んだのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る