第4話 バブルって何?

「そうか……。分かった、それなら周りに迷惑を掛けずに行って来られるな。美羽に全て任せるよ」


「とにかく、私が必要なものは持ってきたわ。これよ」と言って見せたのは、大き目のバッグに入っている着替えや向こうで必要になるかもしれない小道具類だった。


「そんなに準備万端にして来たのか? 俺は何も持ってないぞ」


「そうなの、この日のために用意しておいたのよ。でも、裕くん、お金は持ってる? 24年前から変わらないお金なら使えるけど。あ、でもカードはダメよ! 発行日付が全く違うから」


「金か。24年前と同じ金って、お札は殆ど変ったからな、小銭くらいしか同じものってないじゃないか?」


「……そうよね。でも、それなら、いざとなったら、お父様の教会に駆け込みましょう。きっとどうにかなるわ!」

 前向きな美羽に半ば引きずられるようにして、裕星は地蔵の前に座らされた。


 裕星は美羽に言われた通りに一緒に手を合わせて祈っていた。やがて目の前がゆらゆらとしてきたかと思うと、軽く眩暈めまいを感じ、二人の周りに湯気ゆげのような白い煙が立ち込めた。


「あ……来たわ。裕くん、離ればなれにならないようにしっかり手を繋いでいてね!」

 美羽は隣の裕星に手を差し出すと、裕星はその手をしっかりと握って、さらに美羽の肩を抱き寄せた。



 すると、急に足元の地面が抜け落ち、二人はまっさかさまに落ちる感覚を覚えた。


「うわぁっ!」

 初めてのタイムスリップを経験した裕星は思わず大きな声を上げた。


「裕くん、大丈夫? もう少しで願った時代に着くと思うわ。ちょっと頭が痛いけど、大丈夫よ!」


 まるで姉のように裕星に優しく言葉を掛けると、美羽はギュッと目を閉じて、周りをビュービューと激しい風が旋回せんかいしている竜巻たつまきの中で裕星の体に腕を回してしっかりと抱きついた。


 裕星も美羽を胸に抱きしめながら、激しくなる頭痛と窒息ちっそくしそうなほどの息苦しさに耐えていた、


 やがて、すとんと足元が戻ってくる感覚を覚えると、二人は重力の戻った地面に、抱き合いながら自分たちの重みでバタッと倒れてしまったのだった。


「キャッ!」

 美羽が裕星の腕の中で小さく声を上げた。裕星が守っていたおかげで、美羽の体は地面にぶつかることなく裕星の胸の上に着地したが、裕星の方はどうやら背中から嫌という程、地面に打ち付けてしまったようだ。



「……裕くん、大丈夫? どこか痛くない?」

 恐る恐る裕星の胸から起き上がると、「イテテ、腰を思い切り打ったよ! これ、大丈夫じゃないぞ、結構乱暴なタイムスリップだな」

 起き上るなり腰をイテテテとさすっている。




 二人はよろよろ立ち上がると、周りをグルリと見回した。今まであった新しいビルが消えており、代わりに古いビルが窮屈きゅうくつそうに並んでいる。


「そういえば、前にお父さんが、教会の周りの昔からあった古いビルのほとんどが立て直しされたと言ってたわ。


 ほら、あっちの方にあった新しいビルもまだ建ってないわ。あれからどんどん新築のマンションや商業用のビルが新しく建ったのよね。あ、でも、東京タワーは変わらないみたい」

 遠くを見上げて、美羽が無邪気にはしゃいでいる。



「凄いな……。本当にタイムスリップしたのか……。まるで夢を見てるみたいだよ。

 さて、これからどうするんだ? そうだ、一応俺のいたマンションに行ってみるか。あそこなら俺が生まれる前から母親が住んでいたところだからな」



 二人が大通りを歩いていくと、何やら肩巾かたはばの大きな洋服を着てる人たちが多く目についた。


「この時代、いわゆるバブルがはじけたあたりかな?」

 裕星がしみじみ言うと、「バブルってなんのこと?」

 美羽がキョトンとしている。

 まあ仕方ない。美羽は世間とは無縁の無菌状態の子だ。裕星は一人納得しながらマンションに向かった。ここからならそう遠くない。一駅くらいの距離だ。




「あ、あった! あれはリノベーション前のマンションだな。外観がまだ新しいな――。

 でも、どうやって入ろう? あそこは俺が子供の頃住んでたから、部屋番号は覚えてるんだけどな」


 裕星はマンションのエントランスを入ろうとすると、すぐにコンシェルジュ(マンションの警備兼管理人)に呼び止められた。


「ちょっと待ってください。あなたはこのマンションの住人の方ですか? 見たことないですね。お部屋はどちらですか? それとも、どなたかを訪ねて来られたのですか?」


「俺は……海原かいばらと言います。あの、真島洋子まじまようこさんの知り合いで……」

 裕星は咄嗟とっさのことでつい本名を言うと、コンシェルジュの顔色が一瞬にして変わった。



「ああっ、これは、すみません! 海原さんでしたか! 私も週刊誌でしか拝見してなかったので、お二人がご婚約されることを今思い出しました。大変失礼いたしました! 真島様はここのところ、ずっと帰っていらっしゃいませんが、海原さんがいらっしゃいましたら渡して良いと言われていましたので。これがお預かりしている鍵です」


 裕星たちが呆気あっけにとられている内に、コンセルジュは大切なマンションの鍵を、厳重に鍵の掛かった棚を開けて、いとも簡単に裕星に渡してきた。



 裕星と美羽はエレベーターの部屋番号の鍵穴にもらった鍵を差し込んだ。するとエレベーターがグイーンと素早く上昇したのだった。


「すごいな、この時代からこのシステムか――。それにしても、よく確かめもせず俺たちの事をすんなり通してダメなコンセルジュだな。きっと俺と親父を間違えたんだな。俺は結構、親父に似てるらしいから」


「そうみたいね! 裕くんとお父さまを間違うなんて……本当は息子の方なのにね」

 まだクスクスと笑っている。


「なんだよ、俺も恥ずかしいよ。母親の恋人に間違えられるなんて……。まあ、実際にも今まで数えきれないほどあったけどな」

 頭をきながら苦笑いしている。



 エレベーターが最上階に着くと、そこは一戸だけの大きなドアしかなく、裕星は、早速コンセルジュにもらった鍵を使ってそのドアを開けた。

 最上階全てが真島の部屋になっているため、ドアを開けると中は広々とした玄関スペースになっており、家政婦が定期的に訪問しているのが一目で分かるこ綺麗さだった。


 玄関から中に進むと、大きな窓とリビングの白い革張りのソファが目に飛び込んできた。裕星は、一気に昔の記憶を取り戻し、懐かしさに浸った。


「俺がいた頃とほとんど一緒だな。俺が生まれてからも、このソファーは使っていたよ。それに、あの窓を見ててごらん」

 そう言って、裕星は壁のスイッチを操作した。すると、窓のブラインドが静かな音を立てて上がり始めた。

 そして、とうとう南側の壁一面に大きく東京のパノラマが姿を現した。

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