第1話 家族のこと
その日、美羽のケータイに突然裕星から電話が入った。珍しく平日の昼過ぎに鳴った着信音に、たまたま午前の講義を終えて大学から帰ってきたばかりの美羽は、慌ててバッグの中からケータイを取り出し応答ボタンに触れた。
「あ、美羽、俺だ。実はさっき母親の秘書の
「
美羽は裕星に病院名を聞くと、急いでタクシーで病院に向かった。
正面玄関でタクシーを降りると、美羽は不安で心臓の鼓動が早くなっていくのが分かった。
都内で一番大きな大学病院の受付の前で裕星が待っていた。
「裕くん、
裕星を見た途端、さらに苦しくなった胸を抑えながら駆け寄った。
「ああ、俺も今着いたところだ。美羽は、大学の方は大丈夫だったのか?」
「私は大丈夫よ! それよりも真島さんはもう手術をしているの?」
「今、受付で確認したら、ちょうど手術中らしい。俺たちは手術室の前で待っているしかないな」
裕星に促され、美羽は震える足取りで受付前にあるエレベーターに乗り込み、二人は手術室がある5階へと向かった。
その階には手術室が何部屋もあり、母親がいる手術室の番号を聞き出した裕星は、ドア上に付いた番号を一つ一つ確かめるように進んで行った。
「あそこだ……」
裕星が大きなドアを見つけると、もうその傍には長年母親の秘書を務めている
「川谷さん、母はまだ中ですか?」
「ああ、海原さん、そうなんです。今朝方、急に胸の痛みを訴えられまして、突然倒れられたのです。先ほど精密検査を受けまして、医師から肺の
しかし、早期の手術で取り除くことが出来れば助かる可能性はあるだろうとのことですが、医師が言うには、本人の体力がかなり落ちているということで、生存の可能性も5分5分と言う話を聞いてまいりました」
川谷はまだ40代も前半だというのに、心労のせいか、少し年齢よりも
「……そうですか。ありがとうございます。後は僕がここにいますので大丈夫ですよ」と裕星が頭を下げた。
「しかし……私も秘書として真島さんが心配ですから……」
「いえ、さっき聞きましたら手術には数時間掛かるとか。川谷さんの仕事に差し
「そうですか――。分かりました。すみません、それでは、どうかよろしくお願いします。仕事が終わり次第また駆けつけますので」
深々と頭を下げると、川谷は足早に事務所に戻って行ったのだった。
「真島さんがまた病気を再発されていたなんて知らなかったわ……あんなに元気でいらっしゃったのに」
美羽が涙目で呟いた。
「美羽にまで心配掛けてごめんな。でも、何も言わずにいる方が心配を掛けるだろうと思って。……それに、こればかりは俺もどうすることも出来ない。あんな母親だけど、やっぱりたった1人の家族だしな、こんなことになって俺の方が不安だったからかもしれないな」
「裕くん……」
美羽は裕星の横に座って背中を
あれから病院の廊下の窓の外は、段々日が傾き、空にオレンジ色の夕雲が細長くたなびいていた。二人は緊張が解けぬまま、手術室のベンチで立ったり座ったりしながら待っていると、ようやく手術室のドアが開き、ガタガタと音がしてベッドが出てきた。
ベッドには酸素マスクをしたまま青白い顔をした
「お母さん!」
「真島さん!」
二人がベッドに駆け寄ると、看護師が「すみません、後から担当医師が参ります。今はすぐ集中治療室に入りますので失礼いたします」とベッドを止めずに一礼すると、急ぐように集中治療室へと向かった。
二人が真島のベッドを見送っていると、手術室からぞろぞろと数名の医師が現れ、最後に担当の医師が手術帽を脱ぎながらこちらに近づいてきた。
「母がお世話になりました。それで……母の状態はどうなんでしょうか?」
「真島さんの腫瘍は、前の手術で取り切れなかった悪性腫瘍が再発したものですが、今回の手術で全て取り除くことに成功いたしました。
しかし、かなり体力を消耗しており、意識が戻るまでは予断を許さない状況です。
これから集中治療室に入りますが、意識が戻りましたら病室に移ることが出来ると思います。
とにかく、本人の体力次第で回復を待つしかありませんね」
医師は丁寧に説明をすると、また一礼して去って行った。
「裕くん、集中治療室に行きましょう。部屋の中に入れなくても、もう少し傍にいてあげた方がいいわ」
裕星は虚ろな目で、美羽の言葉に頷くのが精いっぱいだった。
裕星の背中に優しく手を置いて、美羽は集中治療と書かれた部屋の前に立っていると、しばらくして部屋から出てきた年配の看護師が、二人の心配そうな顔を見てそっと声を掛けた。
「海原さんですか? あの……私は真島さんの担当の看護師長の佐藤です。先生が腫瘍を全部取って下さいましたよ。ご回復されることを祈っております。
実は、こんなときに、こんなことを申し上げてよいのか……。手術をされる前に真島さんが私に仰ってたんですが……。私などよりも大切なご家族の方にこの言葉を伝えなくては、と思いまして……。実は今朝の検査の合間に、真島さんがこう仰っていました──」
看護師の女性は、今朝、洋子と交わした会話を思い出すように、目を伏せてゆっくりと話し始めた。
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