第5話

 山ガールさんが孫のトウコちゃんに誘われてこのゲームを始めたのは、3ヶ月ほど前のことらしい。ほやほやビギナーのオレにとっては大先輩だ。

「この歳になって元素周期表とにらめっこすることになるなんて、ねえ」

 そう言ってコロコロと笑う。オレもまさか、こんな形で化学式と再会するとは思わなかった。高校卒業と共に縁が切れたと思っていたのに。


 元素猫をゲットすると、手持ちの元素表の該当箇所が明るく表示される。

 エーちゃんに捕まえてもらった元素猫は7種類。

 一方、山ガールさんの元素表は明るい部分が全体の半分に近かった。その中にレアメタルに分類される元素が2つある。

 ストロンチウム猫(Sr)は花火大会で、チタン猫(Ti)は陶芸体験に参加したときに手に入れたそうだ。

「すごいですね」

 ぽろりとこぼれた言葉は社交辞令ではなく、本心だ。

 積極的にイベントに参加する行動力と、引きの強さ。どちらも今のオレには欠けているものだ。

「たまたまですよ。運がよかったのでしょう」

 スマホの画面を指でなぞりながら、山ガールさんはさらりと流した。

『物欲センサー』という単語が頭をよぎる。

 欲しい、とい気持ちが強すぎると、かえって対象に逃げられるらしい。引きが強い人というのは、たいていの場合欲の無い人なのだ。


 彼女のパートナーは窒素猫。どこにでもいるありふれた元素猫だ。

 10種類以上の元素猫をゲットすればパートナーを変えることができる。

 分子猫、レア元素猫。さまざまな猫を手に入れたけれど、

「やっぱり最初に出会った子が一番だから」

とおっしゃる。

 ギンガムチェックの首輪をつけた窒素猫のちいちゃんは、前足をそろえてお行儀良く座っている。堂々として、何やら貫禄すら感じられるたたずまいだ。

 ――オレもエーちゃんに何かプレゼントしてやろう。

「まあ、背中にハートが。こんな模様も出るの?」

 さっきオレが作ったばかりの水猫を見て、山ガールさんがはしゃぐ。

 なんて珍しい。いいわねえ、可愛いわねえ、とやたらに褒めてくれる。照れくさいが、悪い気はしない。

「レア猫はね。もちろん魅力的だけれど、他の元素猫と組み合わせるのが難しいの」

 新しい猫が生まれる感動を味わえないのが残念なのだとか。

「たぶん世の中にある多くのものは、ありふれたものの組み合わせで構成されているのではないかしら」

 そう言うと、山ガールさんは自分のスマホをオレに手渡した。

「私の今のお気に入りは、この子たち」

 画面に1匹の猫の全身が大きく映し出されている。

 体の色は、淡い茶、水色、白。三毛猫だ。


 C6H12O6。


 グルコース。光合成によって生成される最もシンプルな糖類だ。


 6CO2+12H2O → C6H12O6+6O2+6H2O


 頭が痛くなるような反応式だが、ここに登場する元素は、C、O、H。たったの3種類。

 炭素猫と酸素猫から二酸化炭素猫を生成する。

 水素猫と酸素猫から水猫を生成する。

 ここまでの実績はオレも達成済みだ。分子猫の数さえそろえれば、あとひと手間でこの反応式の右側にいるグルコース猫を手に入れることができるのか。


 山ガールさんが手順を説明してくれた。

「猫ラボの第二実験室には大きな窓があって、とても陽当たりがいいの。そこを猫草でいっぱいにして、二酸化炭素猫を6匹と、水猫を12匹入れておくだけ」

 ぽかぽかと日の当たる明るい部屋で、猫たちは猫草をかじったりごろごろしたりして過ごす。

 反応はゆっくり進む。劇的な変化は起こらない。

 ただ、猫たちがまったりとしているだけだ。

「その姿をぼうっと眺めているのも楽しいのだけれど、忘れたころにふと見ると、ひょこっとグルコース猫が草の中から出てきたりしてね」

 どんな模様の三毛猫になるか。生まれるその時まで分からない。

 待ち時間はワクワクタイムでもある。

「なんだか、いいですね」

 スマホを返しながらオレが言うと、山ガールさんは嬉しそうに笑った。

「でしょう?」


 ふんわりと穏やかな気持ちで空を仰ぐ。

 青い空にふわふわと浮かぶ白い雲が、猫の形に見えた。

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