第10話 闇堕ち衣装

 悪の組織、地下5階。お抱え天才科学者のドクトル・マッディは、アッシュグレーの髪を肩あたりまでモサつかせた、いかにもソレっぽい猫背で白衣の青年だった。


 俺と菫野さんが「合格」の出たメイド服を手に扉を開けると、ドクトルはやや充血した蒼い瞳をにやり……と細める。

 目の下のくまが濃くて、肌は蒼白で、「ああ、また実験用のネズミが死んでしまったな。ふふふっ……!」とか今にも言い出しそうな表情。

 だがドクトルは、俺たちを視認すると瞬きの後ににこ!と破顔した。


「あ~おっかえりぃ! 待ってたよぉ。おつかいご苦労様~♪ いつも悪いねぇ、ボクは外が苦手で買い物できないから助かるよぉ」


「た、ただいま戻りました……」

「ただいまぁ~」


「もう、万世橋くんはカッタいなぁ。ボクはキミらの五つ上。いわばお兄さんみたいなものなんだから、菫野さんみたいにタメ口でいいのに~」


(いや。まぁ……だったらその血のついたメスをしまってくれよ。ナニ切ってたの? 成分分析用の悲骸かな? 怖すぎる……)


「今日は万世橋くんの慧眼のおかげで素晴らしい闇堕ち衣装が作れそうだよ。総帥とも話していたんだ、『元執事なら闇堕ち衣装はメイド服でしょう!』って。でね、さっそくそのコスプレ服をメインに装飾を施して、紅乃さんに試着してもらって、動きやすさとかいい感じだったら専用の防魔素材生地で作っちゃおうかなって思ってるの」


 そう言ってドクトルは、血のついた手を実験台に付属している水道で洗って、今度は針と糸、ミシンを取り出した。


「チクチクチク~っと。こんな感じかな?」


 ほんと、生物兵器(人造悲骸獣くん)の開発からヤバイ薬、果ては裁縫までマルチにこなせるんだな、この人は。

 ドクトルの淹れてくれたビーカー入りのコーヒーを飲んでソファでまったりしていると、今日一日試着しどおしだった菫野さんはうとうとと俺の肩に頭を預けて寝息を立て始めてしまった。


「あっ。ちょっと、菫野さん……!?」


 やばい。あったかい。全身がしなだれかかって柔らかい……!


 思わぬ感触に慌てふためいていると、服の仕立てを終えたドクトルがによによと顔を近づけてきた。眼鏡を取るとイケメンなんですよ(総帥談)という端正な顔立ちが、「くすっ♪」と色っぽく嗤って、俺の耳元で囁く。


『菫野さん……Gカップだよ♡』

「!!」


「なっ……なんで今そういうこと言うんです!? そもそもどうしてドクトルが知って――!?」

「だってボク、皆の衣装作ってるし」

「ズルっ!」

「あははっ! なんとでも言えよ青少年~♪」


 菫野さんに寄り掛かられて動けない俺に、ドクトルはドーピング剤(即時マジカル強化薬)の入ったフラスコをちゃぷちゃぷと揺すりながら、楽しそうに追い討ちをかける。


「今日のデート、どうだった? たまには白雪ちゃん以外ともいいでしょ?」

「……なっ! デートって……俺は別に、おつかいで……」

「じゃあさぁ。今日一日の、菫野さんのホルモングラフが泉くんと一緒にいるときよりオキシトシンとセロトニンの分泌量が多かったって言ったら?」

「…………」


(……は????)


「ああ、オキシトシンとかセロトニンっていうのはね、いわゆる人間にとってのハッピーホルモンで、嬉しいときとか幸せだなぁってときに出るものなんだ。マジカルは感情で強化されるから、その変化には注意が必要で。キミらの感情グラフの推移を把握したいから、渡した腕輪ブレスレットには測量計が仕込んであって……って。万世橋くん、大丈夫?」


「正直大丈夫じゃないです。俺、偏差値43なんで」


 急にセロトニンとか言われてもわけわからんし。

 だが、ドクトルはどこか得意げに。


「要は、菫野さんは万世橋くんとデートしてハッピーだったってことだよ」


 なぁんて、笑顔で言い放ちやがった。


(え。うそ。菫野さん……セロトニン……え。マジ?)


「で。コレ。試作できたからさぁ、紅乃さん呼んできてもらえる? 万世橋くん、教育係でしょう? 菫野さんはほら……こっち抱っこさせてあげて。彼女、寝るときは何か抱いてないと落ち着かないんだって。おかげで泉くんが寝不足で死んでる。まぁ、好きな子に毎晩腕抱かれてたらね……あはは!」


 ドクトルは、仮眠に使っている手術台の上から、人ひとりくらいの大きさがある抱き枕を投げて寄越す。そいつと入れ替わるようにしてソファから抜け出した俺は、傷心で部屋に籠り切っている紅乃をなんとか引き摺り出した。


 ノックのあとに、そろりと開いた扉に片足を突っ込んでこじ開ける。

 やり方はちと強引だが、今の紅乃にはそういう強引さと、人とのコミュニケーションが必要なんだと総帥は言っていた。

 俺は、俺の足をぎちぎちに締め出そうとする紅乃の腕を掴んで、長めのシャツ一枚の部屋着姿な紅乃から視線を逸らしつつ廊下を突き進む。


「なっ……私は、新しい服なんて……!」


「いいから着ろ、総帥命令だ。お前のために新宿を駆けずり回った俺と菫野さんの苦労を無駄にすんじゃねー。ったく、いつまでもうじうじと部屋に籠りやがって……たまには外の空気吸えよ」


「そもそも私は、行方不明のお嬢様を探すために組織に身を置いているのであって、誰が貴様らの悪事に加担など……戦力として扱われては困る!」


「……とは言ってもなぁ。俺だってこんなこと言いたくないけど、そんな、自分は手ェ貸さないでお嬢様の情報だけを得ようなんてムシがよすぎるんじゃねーの?」


「うぐっ……!?」


「だからコレを着ろ」


 研究室で紅乃を引き渡した俺は、ドクトルがにこにこと手にした『清楚可憐でそこはかとなくエロティックな背徳的闇メイド服』を指さす。


 すげぇ。まだ着てないのに、見ただけでドチャクソエロいのがわかる。

 普段は男装のためにさらしで巻いていたという胸はC。白雪や菫野さんと比べるとややもの足りないが、脇から太腿にかけてクロスに編まれたリボンが、「女は乳だけじゃないぞ」というドクトルのこだわりを遺憾なく発揮している。


「お前の分の闇堕ち衣装だ」


「なッ――! こ、こんなもの……セクハラだ、セクハラ!!」


 紅乃は顔を真っ赤にして抗議する。

 しかし、いくら暴れようが泣きわめこうがそんなものは無駄だと、白雪のことで学んだ俺は動じない。ドクトルなんて、「この反応を待ってたんだよぉ」みたいな顔してやがるし、なんだかんだで俺らって、性根が悪の組織だよなぁ。


「そもそも、私は執事だ! メイド服なんて着ない!」


「いいからいいから。あんまりピーチク抵抗してっと総帥が――」


 あ。総帥。


 研究室の扉をウィーン、と開いてやってきた長身端麗な男。

 真っ黒な長い髪をさらりと、軍服の肩で揺らしてやってくる。


「あ。やばいやばいやばい……」


 俺は、先日「白雪の衣装が食い込み過ぎ(主に尻と兎尻尾しっぽが)なのをなんとかしてください」と直談判して「あの程度で何を騒いでいるんです? いいから言うことききなさいメテオ」を食らったばっかりだ。

 いくら風通しのいいアットホームな組織でもなぁ、やっぱ一番上は一番強いんだって思い知らされる。あと、多少の理不尽も統制の為にはしょうがない。


 俺は慌てて、闇メイド服をドクトルからひったくって紅乃に押し付けた。


「早く着ろ! 総帥が実力行使メテオする前に……!」


 アレ、手加減してんのに三枚重ねの盾で受けても衝撃がヤバイんだよ!


 総帥は、獰猛な蒼い瞳で見上げる紅乃をぬらりと見下ろして、微笑む。


「紅乃さん……我々の用意した衣装、気に入りませんか?」


「当たり前だろう! このっ、こんな……肌を晒すような服……」


「でもぉ。白雪さんのバニーより露出度10%も低いよ? 白雪さんは70、菫野さんは65、このメイド服は60だもん。これでも、恥ずかしがりやの紅乃さんに配慮したんだからぁ」


「し、しかし……脚も胸元も丸見えじゃないか……!」


「仕方ないよぉ。メイド服ってそういうものだし」


(いや。全然そういうもんじゃないと思うけど……?)


 だが。こうやって紅乃がぐずぐずするから。総帥がしびれを切らしちまった。


「紅乃さん。悪の組織われわれが闇堕ち衣装を纏うのは、『明確に魔法少女と敵対している』というのを表すためなのですよ。一目で悪とわかる出で立ちをすることで、人々に『悪の組織が来た=戦闘=危ない、離れよう』という意識を植え付ける……コレは、そのための手段に過ぎない。決して男性陣の趣味セクハラではありません」


(うーん……じゃあどうして闇堕ち衣装のデザイン会議、男子だけでやるんだよ? ぜってー嘘だ。こんなんじゃあ騙されなくね?)


悪の組織われわれのルールにどうしても納得できないのでしたら、私を倒してみせなさい。そうすれば、貴女のお嬢様に関する情報を与えた上で衣食住を提供する……貴女にとことん都合のいいように手をお貸ししてさしあげます」


(あ。やば)


 ノッちゃダメだ。ノッちゃダメだ。ノッちゃダメだ……!


「いいだろう! 私は、ご病気で戦えないお嬢様に代わり剣を振るう騎士シュバリエだ。お嬢様と契約をしてマジカルを手にし、この手でずっと数多の悲骸を退治してきた。白金台の百合獅子をナメるなよ!」


 紅乃、終わったな。


  ◇


 数分と経たず、実験部屋で模擬戦闘を終えた総帥が、汗ひとつ流さずに出てくる。


「はぁ。学園の成績上位10番に入る白金台の百合獅子もこの程度ですか。どうです? 私の『言うことききなさいおしおきメテオ』は」


「ぐっ……うぐぁ……はぁっ……なんなんだ、アイツは。私の剣がかすりもしなかった。おまけに上方からの隕石だなんて……」


「笛の音で瓦礫――周囲の物体を操る【笛吹き男のハーメルン】。俺たちのボスだよ」


「なんであんな奴が、学園に反旗を翻す……!?」


「コレを着たら、教えてさしあげます♡」


 目の前に差し出された闇メイド服に、紅乃は顔を真っ赤にして袖を通すしかなかった。金糸の髪をひとつに纏め、恥じらいながら極短のスカートの裾をおさえる様子がドチャクソエロい。

 総帥とドクトルが「わぁ、似合う!」と拍手する中、菫野さんがあくびをしながら起きてきて……


「わ! 可愛い~!」


 と満面の笑みを浮かべた。


 執事という職業上、同世代の友人が少なかった紅乃は思わず面食らう。


「似合ってるぞ、紅乃」


 素直に感想を述べると、紅乃は顔を赤くしたまま俯いて、同僚からの言葉に「う。あ……ありがとう……?」と絆されながら頷いたのだった。






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