第二十四話 彼と彼のエールについて

 少しだけ悲しくて、ずっとずっと嬉しかった。彼女の言葉が偽らざる本心であることは、自分にもなんとなく分かった。

「俺には、星空さんの気持ちは分からない。俺は、一番になったこともないし、一番になり続けたこともないから」

 だから、全力でぶつかることを決めた。いや、元よりそのつもりではあったのだけど、いっそう腹が括れたというか。

 目の前に横たえられているのは、努力の意味を見失った昔の自分だった。

 何を取り繕うこともしない。言いたいことは決まっている、それを包み隠さずぶつけて、それで駄目だったら、彼女の邪魔になったことを誠心誠意謝るしかない。

「ごめん。だから、言いたいことがあって来ただけなんだ」

 最後に告げた言葉が、偽りのない俺の本音だった。彼女を見ているのは、少しだけ辛くて、けれどそれでも胸が熱くなる気がした。

 彼女を取り囲むようにして立つ三人の男たちは、白い仮面の下から自分を睨みつけて、しかし微動だにしない。背後にいる秋晴さんが何をしているのか、想像するだに怖くて、振り向く気はないけど振り向けなかった。


 一歩、前に進む。


「俺に聞いたよね、なんで勝てないことが分かっていて勝負を続けるのかって」

 深く深く沈み込んだ時の苦い思い出を噛みしめながら、言葉を続ける。今思えば、あの時点で星空に嫌われていてもおかしくはない。とすればこれは随分滑稽なことだろう。三文小説もいいところだ。

 だが関係ない。傍から見てどんなに無様だろうと、それは自分にも、彼女にも関係のないことだ。

 それに。自分が好かれているかどうかなど、ここに来た理由とは何も関係ない。自分は何も、自分の恋のためにここに来たわけではない。

「思い出したんだ。俺がそう決めた理由を、そう決められた理由を」

 自分がここに来た理由は簡単で。お節介で、余計なお世話で、それでも。自分に光を示してくれた人に対する恩返しだった。



、それは努力をやめる理由にはならないからだよ」



 伝える。

 かつて彼女に示された光。彼女が見失ってしまった光。彼女の中にある光。それを見せられた者として。それに魅せられた者として。

 今度は自分が言う。目を向けさせる。かつての彼女が既に得ていた、どんな暗闇の中に落ちても、必ず見つかる眩い答え。

 そう。どんなに他人がケチをつけようとも、その努力は、星の光にも穢されずに輝き続けているはずだということを。

 もう一歩、もう一歩と前に進む。

「人を、勝手に見下ろすなよ」

 普段は、こんなに目を合わせてはいられないというのに。今日の自分は、いやにしっかりと彼女の目を見据えていた。月も星もない夜の湖の底のように、暗い暗い瞳は、まるで光を失ったかのようで。

 けど、天文台さん。

 たとえ月のない夜空でも、星のない夜空でも。貴女は貴女であるだけで、眩しく輝いているんだ。

「俺が幸せか不幸かは俺が決める。天文台さんが決めることじゃない」

 彼女に恋をしたあの日、自分はまだ不幸だった。自分を自分で憐れんでいたからだ。けれど、今は違う。

 自分の人生を生きるのは自分だし、自分の人生を評価するのは自分だ。誰にとっても最悪な人生だったとしても、自分が満足できればそれでいい。個人主義(エゴイズム)と言われようと、俺は、努力し続ける俺の人生が、諦めない俺のことが大好きだ。

 また一歩、前に進む。

「俺は一番になれない。君の周りにいる人は一番になれない。そんなの、分かんないだろ」

 だからこそ、今の彼女は違うと思う。根拠なんてない、これが彼女の本音で本質だとすれば、自分は相当に人を見る目がなく、また最悪な振る舞いをしていることだろう。

 けど、多分違う。彼女の本質は、やっぱりこれじゃない。

 そうだとすれば、俺の話を聞いている彼女がこんなに苦しそうな顔をしているはずがない。

 ただその正義と信念を以って、一言に俺を断罪すればいい。余計なお世話だと、勘違いにも程があると。

「俺はまだ諦めない。いのりちゃんだって、まだ諦めてない」

 その名前に、彼女の顔が驚きに染まるのを、俺は確かに認めた。

 ああそうだ、あなたがそうしないのは、きっと。

「仮にそうだったとして、それで君を恨むのはお門違いだ。恨まれてると思うのも傲慢だ」

 体を寝かせるためだけに作られたのであろう、ガラクタでできた寝台(ベッド)。その上に無造作に横たえられた彼女の身体は、まだピクリとも動かず。けれど、俺の目を真っすぐ見つめるその瞳から、一筋の涙が零れて。

 また一歩。もう少しで、手が届きそうな距離。

「俺は、俺たちは、それでも努力が無意味だなんて思わない。努力がどれだけかっこいいことか、教えてくれた人がいるから」

 星空さん。貴女だって、ひたむきに努力する自分のこと、好きだろう。かっこいいって、胸を張れていただろう。本当は、今だってそうだろう。

「笑ってピアノ弾いてるところが好きなんだって、いのりちゃんが言ってたよ」

 長い黒髪の少女の、屈託のない笑顔を思い出す。『一番星』なんて御伽噺を聞いたら彼女は、事故はお前のせいだと、星空さんを責めるだろうか。

 いいや、そんなことはない。俺には、分かる。なんでとか、そういうのは言葉にできないけど、それでも分かる。彼女はそれでも、星空さんのことが好きで、ピアノを弾く星空さんの笑顔が好きだろう。

 一通り言いたいことを言い終えて、言葉をどう結ぶか、てんで考えていなかったことに気づく。全く、我が事ながらあまりに無計画というか。これでは、秋晴さんに対して切った見得も台無しというものだ。

「俺は、星空さんがちゃんと笑ってるところ、まだ見たことないけど」

 結局、格好良く締めるのは断念した。どうせ、駄目でもともと、言いたいことを言えればいいと、半ばヤケクソでお節介にもここまで来たのだ。だったら最後まで、それを貫いてしまえばいい。

 彼女が手を伸ばしてくれれば、もうそれを取れそうな距離だった。

「きっと、同じように感じると思う」

 自分でも流石に照れくさくて、思わずはにかんでしまう。これで言いたいことは全て。あとは、彼女の答えを待つだけだった。



「世迷言を」

 だが、それでは終わらない。流星の行く手を阻むかのように、両脇から男たちの腕が伸びる。流星には見覚えがないものだったが、握られているのが本物の拳銃であることは、容易に察しが付いた。

「人の光が星の定めを覆すことなどありはしない」

 降伏を促すかのように、流星の頭と心臓をそれぞれ狙う形で拳銃が突き付けられる。後方に立つ秋晴の表情が、焦燥に歪む。

 星空の後方に立っていた男がゆっくりと回り込み、説得するようにして、流星の後方から肩に手を置いた。

「この少女の努力が賞賛されるものであるのなら、尚更『一番星』など捨ててしまうべきだ」

 悪意のない言葉だ、と流星は率直に思った。自身の利益を第一に考えている人間には、どう繕ったところでこんな話し方はできない。彼らはみな、本心から星空の幸福を願い、彼女を連れ去ったのだ。



「いいや、間違ってる」

 だが。流星はそれでも断言する。そこには僅かばかりの迷いもない。

 握りしめた拳は、込められた思いのあまりに震えて。流星は、胸の内側で煮えたぎる思いを込めた力強い声で言い放つ。

「それは、彼女が自分で決断すべきことだ。あんたたちが勝手に決めるな」

 その気迫の前に、黒服の男たちも。

 穂積秋晴も。

 天文台星空も、動けない。

 銀流星だけが、もう一歩前に進む。その歩みを止めようと背後から延ばされた手を、なんでもないもののように振り払って。その道を阻もうと突き付けられた拳銃を、なんでもないもののように押しのけて。

「誰かに示された道や与えられたものが、必ずしも悪いものとは言わない」

 星空を、星空だけを見ている。

 星空もまた、流星だけを見ている。

 穂積秋晴も、仮面の男たちも蚊帳の外。いまがいつか、ここがどこか、そんなことも関係ない。ただ、いま、ここには流星と星空がいて、二人が向き合っている。それが、二人にとっての全てだった。

「けど君は、自分の歩く道を自分で決める人だと、俺は思うんだ」

 ここまできてもなお、やっぱり押しつけがましいかもしれない、という思いを流星は捨てきれなかった。

 自分が彼女を振り向かせたいなら、こうするべきでは、こう言うべきではなかったのかもしれない。

 だけど。

 自分が尊敬する星空は。憧れて追いかけ続ける星空は。なにより、生まれて初めて好きになった星空は。

 ただ一等星に輝くだけではなく、自らが輝くために、歯を食いしばって走り続ける人なのだから。

「これ以上、俺の好きな人を貶めさせたくない」

 それを知りもしない人間に、彼女の行く先を決めさせてたまるか、と。

 それが傲慢かもしれなくても、目の前の好きな人に、流星は手を伸ばす。彼女が望めば、間違いなく手が届く距離までは来た。


「星空さんがどうしたいのか、教えてほしいんだ」

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