第二十三話 彼と彼女の再会について

 町の外れの外れ、山の中腹にある廃工場。申し訳程度に立ち入り禁止の柵が設置されただけの、見捨てられた過去の遺物。

「……銀くん。幸か不幸か、大当たりです」

 多くの従業員を迎え入れていたであろう門の柱に身を隠しながら、秋晴は流星に微笑む。他の候補地を当たっていた仲間から、どちらも外れたとの連絡。秋晴たちによほど大きな誤算がなければ、流星の願いはとりあえず叶いそうだと言ってよかった。

「ここまで来た以上は敢えて問うこともないでしょうが、それでも聞きます」

 今にも身を乗り出そうとする流星を片手で制しつつ、秋晴は問う。流星もまた、襟を正す心づもりで秋晴に向き直る。

「分が悪い賭け、なんて都合のいい表現はしません。天文台星空さんにとってのベストは、まず間違いなくこのまま彼らに身を委ねることでしょう」

 最後の最後でこのような話を始めたのは、流星を苦しめたいわけでも、流星を諦めさせたいわけでもなかった。

 むしろその逆。

「それでも、行きますか?」

 ここに至って、穂積秋晴は自覚する。自分はこの少年に、どうしようもないほど期待して、希望してしまっているのだ。

 これまでに、星の宿命さだめに引きずられて苦しむ人々を、何人何十人となく見て、その光から解放してきた。そのことを悔いたことはないし、今だって間違えたことをしたなどとは思っていない。

 それでも、それでも。やはり見てみたいと、思ってしまうのだ。

「はい」

 流星は迷わなかった。どこか苦しそうで、不安そうで、ただ情熱と自信だけではなく、けれど迷わなかった。

「俺は、ベストはそうじゃないって信じているので」

 笑顔は眩しさだけでなく、影のある感情を含んでいた。きっと確証などなく、頼りにしているのは自分自身だけで。そんな状況でも、銀流星は引き下がらなかった。

 綺麗だと、そう思った。その道行の果てがどうであれ、彼が駆け抜ける姿がとても綺麗であることに変わりはないのだ。




 月のない夜に泥沼の奥底から空を見上げているような、そんな夢だった気がする。とにかく目が覚めた時、私の頭は靄に覆われたような感覚で、鈍い痛みを訴え続けていた。

『乱暴な真似をして済まない。ただ我々は、君の助けになりたいがために、こうせざるを得なかったのだ』

 初めに目に入ったのは、顔全体を覆う白くのっぺりした仮面にフォーマルなスーツという、如何にも不審げないでたちの男たちだった。思わず悲鳴を上げそうになったが声が出ないし、私の身体は瞼以外私ではないようだった。

 頭の中を様々に残酷な想像がよぎり、冷や汗が噴き出るのを抑えきれなかった。しかし彼らはずっと紳士的な態度を取り、言葉も態度も丁寧で、何かされるといった雰囲気はなさそうだった。

 三人の男たちのうち、リーダー格といった男が、私のリアクションを期待してかせずか、どうして私がこのような目に遭わされているのかを説明した。正直言って、『生まれ星』だの『一番星』だの『不夜城』、荒唐無稽すぎて妄想に付き合わされているのかと思ったが、それにしては妙に論理的で、真剣だった。

 彼らは私を解放してくれるのだという。そうすれば私は、一番であり続けるという運命の傀儡ではなくなるのだという。王座に据えられて、その為に蹴落とされる他人の姿を見ることもなく、もっと自由に自分の人生を歩めるのだと。

 男は、自分が語る内容に酔っている様子はなかった。その癖して、私の返事に期待する様子も少しもなかった。自分が正しいと信じている人間は往々にしてその正しさの中に溺れるものだとお父様が言っていたけど、だとすれば彼は、数少ない例外かあるいは飛びぬけた異常者なのだろう。

 当事者である私の意見を求めないほどには自身の正義を信じていて、ただその背後にあるのは、心酔ではなく理性。その方が、よほど怖くはあるけど。

 ひとしきり話し終えて、男は話の長く複雑なことを詫びた。特にそんな風には思わなかったので首を横に振りたかったが、やはり体は動かなかった。そのことも、次第にどうでもよく思えてきた。


 このまま、彼らに身を任せてみようと思った。


 彼らの言うことが全て本当なら、私はようやく自分を楽しく生きられるかもしれない。やりたいこと、好きなことを全力でやって、嫌いなことや苦手なことで人並みにくじけて。それはきっとしんどいことなのだろうけど、とっても幸せだろう。そうなったら、〇〇〇とまた勝負してみるのもいいかもしれない。

 彼らの言うことが全て噓で、私がこれから想像もつかないようなひどい目に遭うとしても。それはそれで、私みたいな恵まれすぎた、他人から奪いすぎた人間への罰なのだ。賛同はできないけど、納得はできる。けど、そうなったら、〇〇〇は悲しむだろうか。それは少し、申し訳ない。


 目を、瞑る。


 遠くから声が聞えてくる。

『薬の追加はいい。このまま監視を続ける』

『よろしいので?』

『納得している様子だ。ならば、礼を失した行為は最小限にとどめる』

 確実に耳に入ってきているのに、意味を咀嚼する気になれなかった。身体が縄か何かで縛られるのを感じる。一方的だが乱暴ではない。もう放っておこうと思った。あまり、考えたくなかった。意識が無意識の中に沈んでいく。疲れきった日の夜のように、速やかに眠りの中に落ちていく。


 だけど、なぜだろう。全部全部、私にとって望ましいことのはずなのに。

 どうして、少しだけ苦しくて、少しだけ悲しくて。

 少しだけ申し訳ない、そんな気がしているのだろう。

 私は誰に、そう思っているのだろう。




「天文台さんっ!!」


 どれだけの間眠っていたのだろう。静けさで埋まった空間が、無遠慮で不釣り合いな大声で切り裂かれる。深い水底に強引に手を差し込まれ、私の意識は水面に浮上する。横たえられたまま、ゆっくりとそちらに視線を向ける。

「銀、君」

 誰が来たのかは、見なくても分かった。その声を聴きさえしなくても、なんとなく想像がついた。でも私は、そちらを見ずにはいられなかった。

「なんで」

 慣れ親しんだ声だった。見たことのないほど狼狽した表情だった。本当に誰かを想っている人間にしか存在しない切迫感が、確かにそこにあるのが分かった。

 だからこそ、胸が苦しかった。外側から押しつぶされて、内側から張り裂けそうで、本当にどうしようもない。

 呻き声すら絞り出せなかったはずの喉から、零れるように言葉が出てくる。

「なんで、来ちゃうの」

 なぜ彼がここにいるのか。なぜ彼がここに来たのか。そんな細かい部分ディティールには想像も及ばないけど、ただ、自分は彼の気持ちには応えられないだろうと、それだけは分かる。

 だって、彼は。

 あんなにも真っすぐで、諦めない瞳で、私を見ていて。

「私、分かんなくなっちゃったの。なんで努力してきたのか、なんでこんなに幸せで、なんでこんなに苦しいのか」

 同情でもなく、軽蔑でもなく、ただ真剣な眼差しだけがそこにあった。それがかえって苦しかった。そこに立っているのは、昔の私だった。

 運命なんて知りもしなくて、何をするにも馬鹿みたいに全力で、そうすることでしか得られないものがあると思い込んで、そうすることで失うものの存在なんか気にかけもしないで。だから、もう放っておいてほしかった。

 彼が、そうあることでどこかに羽ばたいていけるとしても、私にはもう無理なのだ。私は、私がなれなかった私の姿を見ていることになんて、耐えられはしないのだ。

「もう、楽になりたいよ」

 最後に零れ出たのが、偽りのない私の本音だった。彼を見ているのは、少しだけ楽しくて、ずっとずっとしんどかった。

 だけど、なぜだろう。もう放っておいてくれと、そうは言わなかったし、そうは言えなかった。

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