第二十二話 私と過去の私について

「ど、っどどうしましょう! 秋晴先輩、『二番星』と行っちゃいましたよ?」

 喫茶店の中から二人の様子を伺っていた少女は、老人の方を振り返り、常になく慌てた様子で詰め寄る。

「吞み込まれたか……仕方があるまい、我々はここを動けん。奴に連絡を入れるしかない」

 片手で頭を抱えた体勢の老人は重々しくため息をつくと立ち上がり、片隅に置かれた古めかしい黒電話の前に立つ。

 じー、という音ともに、幾度かダイヤルが回る。

「……それで、秋晴先輩が粛清されちゃったら?」

悲痛な少女の言葉は、あるいは、その続きが分かっているからこそか。

「天命だ。『夜空』に拾われた時から、そうなる星の巡りだったまで」

 故にこそ、老人も取り繕うことはしない。取り上げた受話器を、そっと耳に押し当てる。




 生まれてこの方、普通とは程遠い人生だったと思う。

 親の顔を知らないこと、施設で育ったこと、将来を選ぶ自由がなかったこと。それらが飛びぬけての不幸だと感じたことは、実際一度もない。与えられたものに従って生きることは、特に難しくなかった。むしろ幸福だと感じるほどだった。

 けれど、普通になってみたいと思うことは、幾度かあった。

 たくさんの人と触れ合ってきた。星に愛された人々は、良くも悪くも誰もが普通から外れてしまっている。そうしてその大半が、普通ではない自分に苦しんでいた。

 もちろん、『夜空わたしたち』が接触する対象が、必然的にそうした人間ばかりになるという偏見バイアスはあるだろう。与えられた星の光を一身に浴びて光り輝く人々、そういう特別な人間が、世界の表舞台でも裏舞台でも大手を振って歩いていることは間違いない。

 けれど、正直に言えば――――普通になってみたいと思う人にこそ、私は同情していたのだ。

 突出した才能。無二の才覚。そんなものよりも、道行く人々が当たり前に持っている、その自覚すらない日常の切れ端の、なんと貴重なことか。

 『夜空』の狗として『生まれ星』を集めて回る日々の中で、人々を平凡の道に案内することに、私は確かに喜びを感じていた。

 だから普通にこだわった。普遍的な理想を追い求めた。追い求めるに足る平凡な結末を望んだ。私に与えられなかったものを届けることを通じて、私の中にもそれが満ちていくような気がした。

 だからこそ、彼を見ていると苛立ちが募った。

 彼が幸せになる道は明らかなのだ。彼女が幸せになる道はなおさら明らかなのだ。二番で居続けることが苦痛なら、凹凸のある人生になるとしても星を捨ててしまえばいい。一番で居続けることが苦痛だと分かっているなら、その座を降りる手助けをしてあげればいい。


 けれど彼は、それを受け入れなかった。

 永遠の二番手、もっとも追い求めたものすら星の光にかき消された悲劇の主人公。そして今、それを埋めるために追い求めている少女の背すら、二つの星の光が交差してその道行を阻んでいる。

 それでも彼は、その道をこそ走ろうとしている。

 それでも彼は、その道をこそ走らせようとしている。


 彼はただ、自分がそうありたいと願う形を、誰に否定されても曲げないだけ。誰に否定されたとしても、自分がそうありたいと願う形に、何ら恥じるべき点がないだけなのだ。

 そして。彼はただ、彼女がそうありたいと願う形を、彼女自身に否定されても曲げないだけ。彼女自身が否定したとしても、彼女がそうありたいと願う形を、ただ信ずるに足る『何か』がそこにあるだけなのだ。

 その魂の在り方の、なんと美しいことか。

 私が見たもの、私が聞いたもの、私が導いたもの、そして私。私の知らない、幸福の正解。いや、それは正解ですらなくて、ただ彼の人生は彼の人生であるだけで満足のいくものだと表現するのが、一番近いのだろう。

 そう、結局私は――――彼が羨ましかったのだ。



 真昼の町は、平日と言えど人目が多い。それらを避けるように、急いで、けれど決して目立たぬよう、流星と秋晴は駆け抜ける。流星に後を追わせながら、秋晴はどこか冷静に自嘲していた。

 大目玉、では済まない話だろう。

 有限会社夜空。人々の『生まれ星』を収集し、それらがもたらす苦悩からの解放を理念として立ち上げられた集団。その活動には、一つの大きな不文律が存在している。

 すなわち、その存在に纏わる痕跡の一切は、可能な限り秘匿せよ。

 裏路地を分け入りながら、背後を追う少年を振り返る。息は絶え絶えで、疲労に歪む顔には大粒の汗。それでも、眼光は鋭くその意思が揺らめく様子は一向にない。

 縛りつけておくのが正解だったのだろう、と、後輩の提案を一蹴したことを深く後悔する。これは明らかに組織としての理念に反している。如何様(いかよう)にでも誤魔化して、踏み入らせないべきだった。

 それでも、走り続ける二人は止まらない。一番星の少女を探し求めて、裏通りの裏通りを行く。

 秋晴はこの期に及んで自覚する。


 そうだ、自分は、本当はこうしたかったのだ。こうしてみたかったのだ。


 自身が想像する通りに幸せの線路レールを引いて、その上を先導するのではなく。自身の想像も及ばない、まだ誰も見たことのない答えを目指して走る。

 仕事だとか、使命だとか、『二番星』だとか、『一番星』だとか、『導の星』だとか。そういうことは全ていったん放り捨てて、ただただ楽しくて、穂積秋晴は笑った。誰にも遠慮せず、何も考えず、ただそうしたいから笑った。

「銀くん、予想地点の一つはこの近くです。急ぎましょう!」

「はい!」

 普通の高校生の、どこにそんな気力と体力があるのか。そう思うと、なお笑えてくる。秋晴は、運命という言葉をとても美しいと思った。

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