第二十話 俺と波乱の朝について/2

 翌日の朝のことだった。いつも通り朝早くから登校してきた流星は、ホームルームの開始前から、やたらに落ち着かない状態だった。

 周囲の喧騒が全く耳に入らない状態で、何度も何度も教室の前に備え付けられた時計の時刻を確認する。

 というのも。

(天文台さんが来てない)

 流星の目は星空の姿を決して見逃しはしない。というか、見逃すことができないようになっている。目を皿のようにして何度も何度も見渡してみるが、やはり教室の中に天文台星空の姿はない。

(まさか、俺の顔を見るのが嫌で休んだとか……いや、さすがに考えすぎか。ただの体調不良だろうけど)

 幾分か悲観主義ペシミズムに寄りすぎな予測に囚われそうになっているところ、教室の戸が開き、担任である壮年の数学教師が顔を覗かせる。時刻はきっかり朝のホームルームの開始時間。学級委員の号令の後、担任は点呼代わりに教室をぐるりと見回し、不思議そうに眉をひそめた。

「ん? 天文台がいないな。……誰か、連絡があった人は?」

 その瞬間、流星の内側で、罅が入るような猛烈な違和感があった。いかに星空が万能の天才とはいえ、風邪の一つ引かないほど人間離れはしていない。

 しかし、そうであるならば必ず学校に連絡があるはずだ。天文台家は地域でも一番の名家。半分は直感的なものだったが、流星には、星空やその両親がその手の連絡を怠るといったことは、いよいよもって想像がつかなかった。

「珍しい。っていうか、星空ちゃんが遅刻するなんて初めてじゃない?」

「体調不良の連絡し忘れただけだよ」

 流星の後ろの席で、女子二人がそんな軽口を叩いているのが耳に入る。ありえない、と流星は断じた。特別な事情がない限り前者は論外、後者もおそらく論外。

 いや。正確に言えば、そうした理屈から事情を推測しているわけではなく。虫の知らせ、第六感、胸騒ぎとでも言うべきもので、流星はこの星空が学校に来ていないという事実に、強烈な不安を抱いていた。

「ごめん。頭痛くて保健室行くから、先生に伝えておいてくれ」

 ホームルームが終わって、しばらく一人で考え込んだのち。隣の席の友人にそれだけ言い残すと、流星は教室を飛び出した。手には、いま一番連絡を取りたい相手に繋がるためのスマートフォンだけを持って。


 流が丘高校は、数年前に行われた大規模な改修以来、きわめて開放的な構造になっている。正方形スクエアに近い敷地のうち、正門の反対側に位置する新校舎は一階と二階の一部が柱だけで構成された吹き抜けピロティになっており、あえて柵などの防犯設備が作られていない。

 名門中の名門でありながら、伝統と格式を重んじるある種の選民思想的な発想に対するアンチテーゼとしてのデザインを採用した事実は、翻って流が丘高校が誇る強固なセキュリティについての自信の表れとも解釈できるものだった。

 もっともその強固さは、あくまで外から内に対するものであって、その逆については必ずしも同様ではない。

「秋晴さん。ごめんなさい、急に連絡して」

 申し訳程度に用意された腰の高さより低い鎖を悠々飛び越して、辺りの視線を軽く伺いつつ、ようやく繋がった電話に対して流星は頭を下げた。

 そう、穂積秋晴。

 仮に流星の想像通りの状況であるなら、いま星空に電話が繋がるわけがない。繋がったとして、確実に状況を悪化させることになる。

 餅のことなら餅屋。星のことは星屋。もっとも、そんな商売があるのかは流星には分らなかったが。

「いえ。こちらこそ、一昨日の晩から少し立て込んでおりまして申し訳ありません。『星祓い』のことは残念ですが、流星さんがそうおっしゃるなら――――」

 電話越しの秋晴は、今までの余裕ある声とは違って少しだけ忙しさを感じさせる様子だった。流星が何用で電話してきたのか確認せず、学校があるはずの時間であることも追及しない。何かが起こっているのは確定的だ、と流星は冷静に推測する。

「あの、天文台星空のことなんですけど」

 だから、切り込む。意図的に名前を強調する形で口火を切る。電話口の先で秋晴が黙り込んだ感触が伝わった。当たりだ、と流星は確信する。

「今日学校来てなくて、もしかして、何か知ってたりしませんか」

 かなり長い沈黙が続いた。焦燥感にかられつつ、じっと秋晴の言葉を待つ。矢継ぎ早に責め立てるのではなく、彼女の側から何か話し出すことを。

「……なぜ、私に確認を? 確かに銀くんからお話は伺っていますが、直接面識があるなどと言いましたっけ」

 慎重に言葉を選んでいるのが、電話越しのやや粗い音質でも分かった。攻め時とみて、流星は深く息を吸い込んで言う。

「勘です」

 そう、結局のところ根拠は何もない。ただそう思うというだけ。だが流星には、不思議なほどにその直感に対しての自信があった。

 それはあるいは、星の知らせ、とでも言えるものか。

「どうですか」

 根拠のない、しかし自信に裏打ちされた虚勢――――それは結局のところ、人間観察と演技のプロフェッショナルである秋晴には容易に見抜かれていた。

 しかし、そうだとして。穂積秋晴には一つ絶対的な信念がある。


 噓をつかない。


 ただの格好つけや矜持ではなく。対外的に見せている自分というものを全て思うがままに作り上げられる秋晴が、元の自分を決して忘れないために欠かすことのできない足場。立脚点にして基準点。

 だからこそ自分が会話の主導権を握り、二者択一を迫るような事はなるべく言わせない。それが秋晴の立ち回りなのだが、隙を見せて問い詰められてしまった以上、やはり噓をつくことはできない。

(『二番星』の力が、ここまで強く機能している? 『導の星』でも抑え込めないなんて)

 不自然なほどに自身を確実に追い込む流星の口ぶりに、その頭上で輝くあまりに眩しい星の存在に想いを馳せつつ。

「身柄は安全ですので、ご安心ください。今日はこのまま学校をお休みなさるでしょうが、明日にはいつも通り登校されるでしょう」

 それでも、誤魔化しはする。『導の星』に道を引き返させるほどの力がないとしても、道を逸らさせることはできる。落ち着いて待つように説得できれば、彼女に無事に帰ってきてほしいという彼の願いは叶う。こちらにも損失はない。

「何か危ないことに巻き込まれたんですね」

 そんな秋晴の見立ては、あまりに脆くも崩される。今度は推測ではなく指摘として、流星は厳しい声色で問い詰める。彼の過去について言及したとき以上に激しさを感じさせる口ぶりに、秋晴にはその感情の大きさのほどが推し量られた。

「個人情報ですから、詳しいことは話せません。ただ、身柄の安全については我々が保証します」

 額に冷たい汗が浮かぶのを感じつつ、電話口の声はあくまで冷静に冷静に保ち、秋晴は暗に拒絶の意図を伝えんと力を込めた。

「保証って、それで納得しろっていうのは無理な話でしょう」

 対する流星も、強い熱量を以って言い返す。ここにきて秋晴は、明確に『導の星』が機能していないことを感じ取った。星の光を前にしてここまで鋭い批判を向けることは、ただの人間には明らかに不可能であると、二十年余りの人生に星の光を受け続けてきた秋晴はよく理解している。

「ひょっとして、天文台さんも何かの星の下に生まれている、とか?」

 その直感はすぐに確信に変わる。

 秋晴が一番隠そうとしていた事実に、流星は一言で切り込む。彼と彼女の関係性、彼の聡明さから考えれば、その結論に思い至ることは然程(さほど)不自然ではない。とはいえ、それは『導の星』の存在を考慮しなければ、という条件の下でのこと。

 噓をつかない。

 その信念との間でほんの一瞬思考のラグが生じ、今度という今度こそ、意図したものではない沈黙が二人の会話の間に横たわった。


「秋晴さん。今どこにいますか、直接会わせてください」

 流星はもう待たなかった。二人の間の主導権が、明確に流星の下に転がり込む。ある場所に向けて進める歩みを止めないまま、秋晴に詰め寄る。

「直接って、銀くん今学校でしょう?」

 秋晴にはもはや、焦りを取り繕うだけの余裕も、冷静に状況を分析する時間もなかった。相手を慮る余裕もなく、流星は声を荒らげた。

「天文台さんに何かがあって黙っていろなんて無理です。この前の喫茶店まで行きますから、すぐ来てください!」

「あ、ちょっと銀く――――」

 秋晴の返事を最後まで聞くことなく、流星は電話を切った。人影まばらな朝の大通りを、はばかることなく駆け出す。


「……全然言うこと聞かない。頭のいい子のはずなのに、なんで」

 電話口の向こう側では、眉をひそめた秋晴が独り言ちていた。『導の星』すら上回る強い意思の根幹を、秋晴はまだ理解できない。

 いや、理屈の上では理解できる。銀流星が天文台星空に向けている想いなど、『夜空』はとうに把握している。必要に応じてはそれを利用するつもりもあった。

 だが、たかだか十代の男女の間で生じた関係性と感情が、『導の星』を、これだけの強い輝きを押し返してまで人を突き動かすということが起こりえるのか。それでは、それではまるで――――――――

 椅子に深く腰掛ける秋晴の両側から、二人の同僚が顔を覗かせ、停止した秋晴の思考回路が回転を再開する。老境の男性と、うら若い少女。キャリアウーマンといった風貌の女性、前髪で目を隠した青年の姿は喫茶店の中には見当たらない。

「『二番星』か。やれやれ、ここに来て」

 極めて重々しく、また忌々しい口ぶりで男性が嘆息する。オールバックの白髪を軽く掻く様子には、若人の暴走を苦々しく思う老人の気苦労が透けていた。

「秋晴さん、どうします? 拘束して眠ってもらいましょうか」

 喫茶店の制服姿の少女は、ちょっとしたお使いでも頼まれようかという気軽さで物騒なことを口にする。振り向いた秋晴は、細めた目でじとーっとした視線を少女に向けた後、その額を無遠慮に小突く。

「そんなことしたら、ここまで築いた信頼が水の泡でしょう。今日の『星祓い』に間に合わなかったとて、『二番星』とはまだコネクションが必要です、あんなものいくらでもできるんですから」

 大きな大きなため息があった。制服姿の少女はちらと店長らしき男性を見やったが、秋晴に同意するような視線を返されただけで、しょげたように肩を落とす。

 確かに、次の機会はかなり遠いと言った。だが、近い遠いの概念などというものは所詮相対的なもの、秋晴が本気で思えば、一週間だろうと一か月だろうと遠いと言って噓ではない。男性も少女も、今更そこを指摘はしない。

 しばらく黙り込んだ後、意を決したように秋晴は立ち上がった。スマートフォンを取り出し、同僚に電話をかける。ツーコールの内に通話が繋がり、喧騒に押し負けそうな、しかしはっきりと届く声。

『どうしたの』

「『二番星』が介入してきます。残った三人で対応に当たりますので、最悪の場合そちらへの支援はないものと考えてください」

 必要な用件だけ伝えると、すぐさま電話を切る。

 自分の活動は利他ではあっても慈善ではない。本当に邪魔になれば、一般人であろうと切り捨てるのは当然のこと。そう自分を納得させながら、心のどこかで、秋晴は自分自身に対する苛立ちを感じていた。

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