第十七話 私と私の幼馴染について
「――――で、」
「で、じゃねえ。何を当然のように家(うち)に上がり込んでんだこいつ」
幼馴染は当然のように荷物を降ろして、流星のベッドに腰かけている。家に入ってきた時点で止める気がなかった自分のことは棚に上げて、流星は悪態をつく。
めいろは人懐こく笑うだけで、自分の隣を軽くたたき、流星にも座るように促す。流星はしばらく目を細めて、めいろの顔とポンポン動く手先の間で視線を動かしていたが、またしても観念したかのように腰を下ろした。
「で、君は一体全体何を悩んでいるのかね。私に相談してみたまえ」
満足げに笑みを浮かべると、めいろはそう言って流星の肩をたたく。同じように育ってきたはずの幼馴染の、人生経験豊富な中年のような態度に、流星は思わず顔を背けた。
「何をって、別に」
見抜かれている。
いや、見抜かれているという意識だけなら、流星がこんなに拗ねた態度をとることはない。
「流星くん、家族にも真昼間にも隠せても、私には分かるんだよ。幼馴染だし」
めいろの目が、まっすぐに流星を射抜く。
それが分かっていて、流星はしばらく目を逸らし続けた。長い沈黙が続いて、流星がそっぽを向き続けても、めいろはじっと流星を見つめ続けた。どんな目をしてくれているか、確認しなくても流星には分かった。
「例えば」
縫いつけられたように重い口を、ようやっと開く。まだ目は合わせられないけれど、うん、と小さな声でめいろが頷くのが聞えた。
「例えば、だぞ。すごい悪霊とか神様とかそういうものがいて、そいつが俺に、人生で二番しか取れない呪いをかけたとしよう」
めいろは黙って聞いている。少しだけ気まずく思いながら、流星は一瞬そちらを見やった。幼馴染は少しも茶化す様子はなかった。
「んで、たまたま会った祈禱師とかそういうやつが、何も知らない俺にそれを教えてくれて、ただで祓ってあげますよ、って言った」
流星は元来噓をつくのが苦手な人間である。何度も言葉に詰まりつつ、それでも幼馴染を信じる形で、流星は言葉を続ける。
「……しかし俺には、なぜだかそれを祓ってほしくないという思いがあるとする。それは、やっぱりおかしいよな」
一番最後の言葉は、自分でも分からなくていっとう言い淀みながら。それでも流星は、言いたかったことを吐き出しきる。しばらく黙ったまま、流星の沈黙が何かの前触れではないことをきちんと確認して、めいろが口を開く。
「正直、全部は分からなかったけど。ようは、流星君が永遠の二番手を卒業できるとして、なんだかそれが納得できないってことでしょ?」
顎の下に手を置いて、うーんうーんとめいろは頭を悩ませる様子。
「仮定の話だけどな」
気を許している幼馴染につい奇天烈な話をしてしまった罪悪感と一抹の恐怖心で、流星は、本人としてはさり気のないつもりで補足する。
「仮定にしたって、二番じゃない流星君ってイメージつかないけど。ま、それはそれとして」
めいろは何でもないような顔をして、一瞬だけ間を置いた。
「なんか、らしくないことで悩んでるんだね。流星くん」
そうして幼馴染は、あっけらかんとした笑みで、しれっと言ってのける。肩に力が入っていた流星は、少し予想外の返事に力なく笑みを浮かべる。
「やっぱ、らしくないか」
お前のことはすべて知っていると言いたげな幼馴染の口ぶりに、流星は自然に納得していた。自分がめいろのことを全て知っているかと言われればこれはかなり疑問符が残るが、逆はまず間違いない。
「うん、らしくないらしくない。だってその悩み、その場から進む気配ないもん」
いつもの笑顔から放たれる言葉は、存外に痛烈なものだった。無意識に幼馴染の優しさに甘えるつもりでいた流星は、ほんの少しだけ、漠然と胸が苦しいという感情を抱いた。
「流星くんが私に相談するときって、これとあれのどっちがいいかー、ってことに他人の視点が欲しいことが多いんだけど」
立ち上がった幼馴染は、流星の前に回り込んで腰をかがめ、視線を合わせて覗き込んだ。大きな瞳に籠る強い意思が、流星に否が応でも目を逸らさせない。
「今日は違う。流星くん、薄々自分で正解を決めてるくせに、選ぶ勇気がないんだ」
幼馴染の視線はいつになく厳しい。どんなことがあっても流星の味方をしてくれる彼女が、今日は強大な壁に見えた。
彼女はきっと正しい。けれど、自分の気持ちにだって正当性はあるだろうと、消えかけの炎みたいな反抗心が燻った。
「そう、なのかな」
そう思う自分が恥ずかしくて、醜く顔を歪める。それで笑顔の体が保てているか、流星には自分でも分からなかった。
「うん、間違いない。だから私、どっちがいいかなんて答えてあげない」
めいろはそれを見ても、少しも表情を緩めない。流星は、逃げ出したくなるほど恥ずかしさに襲われた。
沈黙が始まり、永遠の様に続く。
しばらく自分がどうしたいのか考えて、めいろの言うとおりだ、と思った。
どちらも自分にとって辛い選択肢だとは思う。
流星は、自身が決して優れた人間ではないと解釈している。『二番星』なくして二番を取れるほど、自分の努力が才能の不足を補えるものであるのか自信がない。
それに。もう一つの選択肢についても迷いはある。本当に、自分が考えている目的のためにその選択を選ぼうとできているのか、そこに自信がない。
自らの尾を食む蛇のような堂々巡りが続く。
けど、自分はこちらを選ぶだろうという直感は、こちらを選びたいという意思は確かにある。
ただ、そちらを選ぶことの方が、より耐え難い結末を引き起こすかもしれない。
そう思うと、簡単には決断できない。
「流星くん」
どれくらいの時間が経っただろう。
気が付くとまた、めいろは流星の横に座りなおしていた。思索の海に沈んでいた意識を引き上げて、なんとなく重い体をそちらに向ける。めいろの顔は先ほどまでの厳しいものではなく、流星の母親が、たまに流星に向けてくる表情にも似ていた。
「自分がすることの可否なんて今すぐには分からないよ。今成功だと思ったことを死ぬときに悔いるのも、失敗だと思ったことがたまらなく愛しいことも、等しくあり得ると思う」
三十センチ近く離れた身長だが、座っていればその差も縮まる。
めいろの手が、何気なく流星の頭の上に置かれる。
犬や猫でも撫でているみたいにして、流星の長い髪がくしゃくしゃにされる。
「だから、自分がそうしたいと思う選択肢は、間違いでも自信をもって選べばいい」
流星はふと、高校に入る前のことを思い出した。
右肘が壊れて、野球を辞めることになった時。
悔しくて悔しくて、全国大会を見に行きたくないなんて泣き言を、めいろにだけ話した時。
彼女は一日中黙って傍にいてくれて、こうして頭を撫でてくれて。
流星がみっともなく泣いて、泣き続けて、泣き疲れたその果てに、ただ一言だけ。
『一緒に行こう』
そう言ってくれたのだった。
「……ほら。私がいつでも応援してあげるから、一生懸命頑張ってきなさい」
そうしてそれは、今日も変わらなかった。
頼りになる幼馴染が、一緒に来てはくれないけど。
十分すぎるほどに優しい言葉で、弱っちい自分を奮い立たせて、送り出してくれる。
「敵わないな。めいろは、なんで俺が考えてることが分かるんだ」
思わず包み隠さぬ本音が漏れた。
ちょっとお節介で、けれど優しすぎる幼馴染に、流星はどうしてもそう聞きたくなった。
「そりゃあ幼馴染ですし。それに、」
めいろが大きく息を吸い込むのが、流星にも分かった。
「銀流星の人生は、挑戦あるのみでしょ」
屈託のない笑み。
本当に、幾度となくその笑顔に助けられてきたことを、流星は思い起こす。
それと同時に、ただそれだけのことだったのだと納得する。
めいろはただ、心の底から流星のことを信じてくれているだけ。
「……うん、そうだな。ありがとうめいろ」
めいろは屈託のない笑みを浮かべると並んで座っていたベッドから立ち上がり、制服のスカートに寄ったしわを軽く伸ばした。
「よろしい。じゃ、私は帰るから、あとは自分で頑張るんだよ」
「おう」
親指を立てて力強く頷いた幼馴染に背を向けて、めいろは部屋を出た。
「変な話だったな。流星くん、なんか隠してるんだろうけど、今日は分かんなかった」
常識的に、正直にそんな感想を抱きながらも、めいろの頭には、適当な冗談を言われたという解釈は全く存在しなかった。
彼女にとって流星の噓はあまりに分かりやすいということもあるが、そんなこととは関係なく、こんな状況で自分の幼馴染は噓をつかないということを、彼女は誰に言われるまでもなく信じている。
流星の家から出て、一人歩く帰路。ふとめいろは空を見上げた。いつの間にか夕焼けは夜の闇に飲まれ、すっかり星が瞬く時間に。
とはいえ。満天の星々、なんてことはなく、街の明かりにかき消されて星の数は少ない。
手のひらに残った彼の髪の感触を確かめるように、軽く握る。
本当はいつまでもそうしていたかった。後押ししてあげたいわけなんかなかった。
どんなに意味不明な話だって。
「りゅーくんが星空さんのことしか考えてないのなんて、私にはお見通し。……なんてね」
何の情報もなくたって、めいろにはそれが分かっていた。流星がなぜ、自分に相談事をしてきたのか。理屈はなく、けれど確信がある。
天文学的な確率かもしれないけど、もし、彼の決断を曲げさせることができていれば。
自分にだって。
「あーあ。しかし私、言わない方が得すること言っちゃったなあ」
暗い空には、パッと目につく星が一つ。
よくよく探すと、もう一つ。
けれど、めいろの目が捕らえられた星は二つだけ。
「……でもしょうがない。私、ばかみたいに頑張ってる流星君が好きだし」
ちょっと頑張って作った笑顔も、たぶんもう崩れてしまったっぽい、めいろは自嘲する。
なんとなく、頬が冷たい気がして。
それでも迷小路めいろは、それを拭ったりせず上を向き続けた。
だって。自分の言ったことは、何も間違ってなんかいないのだから。
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