第十四話 『導の星』と『夜空』について/1
「『
音もなく。何者かが姿を現す。
前髪で目を隠した、黒を基調とした服装の青年。秋晴の同僚の一人で、キャリアウーマン風の女性と二人合わせて、今回の仕事のサポート役。視線は長い前髪に遮られて秋晴には見えないが、こちらを向いていることは分かった。
その言葉に悪意はないが、善意もない。あえて隠しているのか、初めから込めていないのか、そこに感情は見当たらない。
「嫌だなあ、知っての通り、私の力にオンオフは効きません。彼は既に堕ちている。そのうえで彼がとる態度が、
秋晴はからからと笑い、そうして、ほんの一瞬目を細める。強い光に思わず目を眩まされたかのように。
『導の星』。本人の意識無意識を問わず、秋晴自身が正解と考えている方向へと、他者の選択や行動に強い指針を示す力。その前には、どんな意志の強い人間であっても思うまま――――それが、秋晴の知る己の力についての全てだった。
流星の言動は、確かにその影響を撥ね退けたかのようにも思えるものだった。『二番星』を渡す、という選択を延期して見せた。しかしそれは、彼という人間が決断に際して必ずそうした冷静な立場を取り繕う性質を持っていただけだ。
秋晴は、自分自身をそう納得させる。
「冗談。彼、随分と
青年の口元が、僅かにだが確かに、軽口だったと示すように緩む。流星を評価するかのような口ぶりは、しかし、本質的には秋晴の『導の星』に対する絶対的な信頼の裏返しとしてのものだった。
「ま、それは否定できませんが。関係ありませんよ」
そう。彼が偶々、見かけ以上に猜疑心が強い人物であるだけ。秋晴はそこで、意識的にも無意識的にも思考を止めた。
流星と同じく、人の身には過ぎたあまりに強い星の光に照らされながら、秋晴はそれでも笑う。その光が招く先導者としての在り方が、己にとって正しいものであると主張するかのように。
「人の歩みが如何なるものだとしても。星の光に、抗えはしないんですから」
慈愛と、憐憫と、諦念と、憧憬。既に立ち去った流星に向けて、呟くように見送る言葉をこぼす。青年はその横顔をじっと見やり、口元だけで器用に笑顔を表現してみせた。
「多弁だね、珍しい。いろいろ我慢してた分、いま喋ってるのかな」
口調はあくまで丁寧で、しかし、話している内容を聞いた秋晴には、それが多分に皮肉を帯びた言葉であることが嫌というほど分かった。
「あら」
だから敢えて、こちらも白々しく返す。熱心に仕事に取り組んでいるところを腐されたようで、決して気分はよくない。
「『一番星』、天文台星空さんのことですか? この前もそんな話をしましたが、まだ接触はしていないでしょう、噓をついたとは言わせませんよ」
事前調査の担当はそちらだろう、という言葉は口に出さず、わざと仮面の如く一様に整えた笑顔を浮かべる。人の感情に働きかける点において、彼の手腕は決して自分には及ばないということを、傲慢でも自負でもなく事実として秋晴は認識していた。確かに、それは間違いではない。
「そうだね。でも」
だがそれは、あくまで対等な条件で競い合った時の話。
「苦虫、嚙み潰したような顔してるよ」
微かな風に、青年の長い前髪が揺れた。それでも瞳は見えない。合わない視線に僅かな苛立ちを覚えつつ、己の表情を確認する。間違いない、絶対に崩れていない。これは、ただのフカシだ。
「そういうこと言う男はモテないって、前に教えてあげませんでしたっけ」
オーバーに首をかしげて見せても、青年は特にリアクションを返す様子はなかった。言いたいことだけ言って返事は求めない、彼の小さな美点にして大きな欠点。長い付き合いの同僚のあまりに進歩も変化もない様子に、思わずそっぽを向いて思い切り顔をしかめる。
そう。『夜空』の一員としてのキャリアは青年の方が長く、彼の底知れなさは秋晴を上回るものだった。そうして彼もまた、人を欺く手練手管に長け、決して背中を見せることのない隙のない男。
「『
沈黙というには張りつめすぎて、睨み合いというには互いに敵意がない。そんな時間をしばし共有したのち、やおら青年が口を開いた。緊張の糸がほぐれ、秋晴はあらまぁなんて少し年より臭い反応。
「『不夜城』ですか。まったく、上手く両獲り! とはいきませんねぇ」
『不夜城』。『夜空』とは対立関係にある組織で、(名目上とはいえ)『生まれ星』の所有者の意思を尊重するという理念を掲げる『夜空』に対して、強制的な『生まれ星』の収集を厭わない狂信団体。
彼らが動き出したということ、そして青年たちがそちらに対処するということは、『一番星』の身柄についても危ぶまれるということ。深刻そうな言動は微塵も匂わせず、しかし秋晴は、彼女を強く思う一人の少年の存在を確かに思い返す。
西日が明るい時間から始まった流星との会合だったが、既に太陽は落ちていた。流星の顔が脳裏をよぎったが、その意味を穂積秋晴は考えない。
同僚の青年は、いつの間にか秋晴を残して歩きだしていた。本当に好き勝手な奴(ひと)だと不満を垂れつつ、秋晴は彼と共にその場を後にした。
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