第十二話 俺と過去の俺について
「あ、銀くん。こっちですこっちです」
指定された場所は、町はずれに位置する丘の上の公園だった。
流星が約束よりきっかり五分ほど早く到着した時には、秋晴は既にベンチに腰掛け、何事か手帳に書き付けているところであった。
流星が声をかける前に秋晴は待ち人に気づき、手を振って傍に招く。
「すいません、遅くなって」
「いやいや、来てくれただけで嬉しいですよ――」
どうぞ、と勧められるままに、流星は秋晴の隣に腰を下ろす。
「――こんな怪しい女に興味を持っていただけるなんて(はぁと)」
流星は黙って立ち上がり、踵を返す。
「あーっ!! ストップストップ、冗談ですよぅ!! お気を悪くしたならごめんなさい!!」
流星は、切れ長の目をより一層細めて、じとーっっっと秋晴をねめつける。
「冗談でもやめてください。俺、好きな人いますし」
かなり不機嫌そうな流星に、秋晴は両手を合わせて頭を下げる。情けない謝罪の態勢を見せる秋晴に、流星はため息を一つつき、もう一度ベンチに腰を下ろした。
「もういいですから。本題に入ってもらえますか」
目を潤ませながら頭を上げる秋晴に、なぜだかこちらが悪いことをした気にすらなりつつ、流星は頭をかいた。どう考えてもこちらに非がなくても、相手に泣かれるのは気分がよくなかった。
「ええ。では率直に聞きますが、『二番星』を手放される気持ちになりましたか?」
涙を軽くぬぐうと、秋晴の笑顔が、ビジネスの真剣さを帯びたもの、ないしはそれを緩和させるために意識されたものに変わった。
「まだ決めたわけじゃありません」
それを察知して、相手の話術に巻き込まれないように気を張りつつ、流星は慎重に言葉を紡いでいく。
「どういうメリットがあるか。どういうデメリットがあるか。そして、あなた方はなぜ俺にそんな話を持ち掛けてきたのか。そういうことを教えて貰ったうえで考えます」
おそらく彼にとって最高の餌を垂らしても、そちらに気を取られている様子はない。
少なくとも、秋晴に分かる形では。
(いやー、さすが頭のいい子は一筋縄ではいかないな)
内心そう思いつつ、秋晴は狼狽えない。そういうタイプの方が、一度陥落してからはかえって楽だということを、秋晴はこれまでの例から認識している。
「ええ、当然ですとも、お話します。そのためには少し、こちらが調べた流星さんについての情報に触れさせていただきますが――――ま、引かないでくださいね?」
どことなく不穏な言葉とともに、秋晴は手帳を開いた。
「先にデメリットからお伝えするんですが、正直少なくはないです」
ショートカットの髪を耳にかける秋晴に、流星は緊張の表れとして姿勢を正す。
「銀くんはこれまで、『どうして二番しか取れないんだ!』と憤ってきたことと思うんですが、銀くんが前聞いてくれたように、二番を取り続けられるというのは得難い才能でもあるわけです」
秋晴は手に持ったボールペンをくるくると回し、空を指すような形でぴたっと止める。
「本来明らかに才能がないはずの領域についても、確実に二番という結果が出る。世の中の多くの人にとっては垂涎ものですよ」
言われてみれば、流星は決して勉強が得意なほうではないと自覚している。そもそも中学時代の成績は下から数えたほうが早いくらいだったし、物覚えは人並み以下で、理解力にも乏しい自分が学年で二番を取り続けているというのは、才能というものの存在を前提にすればやや異常だろう。
「ま、そんな大層なものを譲ってくれと言っている私ですが(はぁと)」
ペン先を頬にあてて、露骨なほど可愛らしさを強調した振る舞いを見せる秋晴に、流星は若干の戸惑いと不機嫌さを浮かべた。
「とはいえ、なんでもかんでもというわけではありません。銀くんの場合、勝負だとか順位を強く意識すると二番手になってしまう」
流星はふと、己の普段の生活を回想する。確かに高校に入って受けた模擬試験はずっと二番だし、球技大会やらのおよそ順位が着くものはほとんど二番。商店街のくじなども二等しか引かない流星だが、本当に何でも二番を取ってきたというわけではない。
例えば音楽や美術では、人並み以下の適正しかないと自覚している。去年の合唱祭のクラス順位は二番だったが、個人としてなにがしかの表彰を受けたことは一度もない。
「ま、勝負だと思わなければいいわけですが、『シロクマのことを考えないのは難しい』というやつで。このままでは銀くんの人生、ここぞという大勝負はずっと次善の結果で終わるでしょう」
わざとらしく眉をひそめて肩をすくめて見せる秋晴は、いやというほど悲しみを前面に押し出して流星への同情をアピールする。初対面の時から一貫して芝居がかった振る舞いを続ける彼女に、しかし流星は、次第に不信感を抱けなくなってきていた。
「ただ、何度も言いますが、二番を取れるということは得難い才能ですし、『二番星』を手放すということは、あなた本来の人生のレールから脱線することと同じと言ってもいい」
その言葉に、流星は二番を取らない己の姿を脳裏に描いた。
努力は、誰にも負けないくらいしてきたつもりでいる。けれど、仮に結果が下駄を履かされたことで得てきたものだったと仮定すれば。その決断は損しか生まない。
「
秋晴の言葉は、そんな流星の思考を後押しするかのように紡がれる。流星の無意識の奥底に彼女の言葉が染み込んできて、流星自身も気づかないうちに、彼が目を向ける先を少しずつ捻じ曲げていく。
「世界は案外、少数の眩い星を中心に回っているもの――――夜空を見上げたとて、目につくのは無数の星のうちの一握り」
その通りなのかもしれない、と思う、思わせる。
そして。
一番を取り続ける少女を追いかけている以上。たとえ二番という軛から逃れられたとして、本当に一番を取れるかは分からない。
自身でも想像していたこととはいえ、改めて秋晴の口から示された未来予想図は、存外に明るいだけとは言い難いもので。流星の口からは思わず、小さな唸り声が漏れる。
「とまあ、デメリットはここまで。今度はメリットですね」
どことなく重苦しくなった、あるいは自身が重苦しくした空気を変えるように、秋晴が手をポンと打ち鳴らす。
「率直に申し上げると決して多くはないのですが、一番望んだものが手に入らない、という悩みからは解放されます」
事前に予習でもしてきたかのように、淀みなくすらすらと秋晴の言葉が続く。一番ではなく、一番望んだものという言い方に、流星は一抹の違和感を抱いた。
「銀くんの『二番星』は、必ずしも順位の上で二番しか取れないというものではありません」
その違和感に気付いたのか、秋晴はにこりと微笑んで言う。
「一番欲しいものが手に入らない代わりに、必ず次善の結果は手に入る。それが『二番星』の本質的な力です」
秋晴が自身の手帳を流星の方に向ける。小さく丁寧な文字で箇条書きされた項目を、秋晴がボールペンで指して一つずつ読み上げていく。
「どうしても百点を取りたいテストで九十九点をとる。優勝したい大会で準優勝する。一番好きな人に振り向かれない代わりに、多くの人から思いを寄せられる」
流星はその文字列を視線でなぞっていく。思わず覗き込むようにして前のめりになる流星の真横から、諭すような囁き声が耳に入り込む。
「そう。難しいのは、順位が出ない時です」
秋晴が持つボールペンの先が手帳から外れて、ゆっくりと流星の目の前に向けられる。思わず流星の先がそちらに誘導される。
「例えば――――全国大会のマウンドに登りたかったのに、チームは勝っても自分は肩を壊してしまう。とか」
既に春も盛りを迎えた時期だというのに、いやに冷たい風が秋晴と流星に吹きつけた。
流星の細い目が、大きく大きく見開かれる。その中に、驚愕の焔が灯り、後悔の嵐が焔を激しく揺らす。
激しい感情が渦巻く瞳を前にして、秋晴は表情を動かさない。そこまで初めから想定していたかのように。
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