第十一話 俺と波乱の朝について
「流星くん! もう起きる時間、いい加減布団との蜜月は終わ、り……に?」
翌朝。鳥もまだ眠りに落ちている薄暗い時間のこと。
いつものごとく、自分の朝練に合わせて流星を起こしに来ためいろは困惑していた。
理由は明白。
「おはよう、めいろ。もう準備できてるよ」
常ならば、限界まで布団の中に籠城。
意味不明な供述を行い、最後の最後まで抵抗する極悪犯。
他人は絶対に見ることのない寝顔と寝癖と寝相を惜しげもなく自分には披露する幼馴染。
銀流星が、当然のように朝の支度を終えていたからである。
「ん、んん? 流星くんどうかしたの、早起きじゃん」
当然、流星くんは私が起こしてあげないと、なんて思考のめいろは困惑。
流星が自発的に起床するなんてことは、小学校以来、今日がただ二回目である。
「ちょっと目が覚めてな。ま、たまにはそういう日もあるよ」
少しだけ痙攣する流星の左目の目尻が、めいろの目にしっかりと映る。
噓をついている。もしくは、何か隠し事をしている。それがめいろにはハッキリ分かる。
流星は、(本人は無自覚だが、)感情が非常に顔に出やすい人間なのである。
「ふーん。ま、たまには手がかからないのも助かるけど」
と言いながら、めいろは内心気が気ではなかった。
それもそのはず。流星がただ一度、めいろに起こされる前に目覚めていたのは、右肘を壊して塞ぎ込んだ日だけなのだから。
流星は顔に出やすい。驚くほど、自然な表情しかしなくなる。
人間というものを精緻に模倣しようとした結果、人間の持つ綻びを持たない奇妙な違和感が生じるかのように。何もおかしな表情がない、そのあまりの自然さが、かえってめいろの内側に強烈な違和感を覚えさせる。
他の誰にも分からないことだとしても、めいろにはそれが分かる。
「りゅーくん。困ったことあったら、私に相談してくれていいからね」
意識せず、幼いころの幼馴染の呼称が口をついて出た。
流星はそれに少し驚いた顔をして。そして、自然と表情を緩めて。
「うん。ありがと、めいちゃん」
久しく口にしていなかった愛称で幼馴染を呼ぶ。
お互い周りに勘違いされたら困るだろう、と流星から言い出してやめになった渾名ではあるが、ふと口にすると懐かしい愛おしさがある。
流星がそんな、珍しい感傷に浸っている一方、めいろはと言うと。
熱湯に入れられた蛸のごとく、湯気を出しながら硬直。
「な、ななななな、なんか今更そう呼ばれると照れるね! うん、照れるね! えへ、えへへへへ……へ?」
顔を真っ赤にして頬に両手を当てて、身体をくねらせるめいろだったが。
ふと気づく。流星がいない。
「おーい、早く行こう。朝練遅刻するぞ」
部屋の外から、というか、もう階段の下から。
なんだか少し呆れているような、幼馴染の呼び声。
「……うるせーばか!!! すぐ行くわい!!! 流星くんのばか!!!!」
人の家の廊下やら階段を無意味に強く踏み鳴らして、めいろは階下へと駆け降りる。
「おお流星。どうした、なんか疲れてるな」
まだ人のいない校舎の階段を上っていると、見慣れたリーゼントが目に入った。
「ああ。なんかめいろがずっと機嫌悪くて、それでちょっと……てか、お前今日は珍しく早いな」
登校中ずっとむくれてそっぽを向いたままだった幼馴染に、思春期の女子の難しさを存分に味わい、流星は疲れた笑いを浮かべる。
真昼間正午は、流星とめいろのどちらが悪いのか確信的に理解したが、あえてそこを問い詰めはしない。
そんなことをしても、めいろ嬢の機嫌取りにはならないことを、幼馴染の流星以上に理解している。
「課題やり忘れてたもんでな。しかし、昨日は突然どうした? マジで驚いたぞ」
だからその話題には触れることなく、当たり障りのない話に切り替える。
「ああ、ちょっと町で勧誘みたいなのに捕まって。何もなく逃げられたんだけど」
流星は事も無げに答えたが、正午の方は顔をしかめた。
「は、怖いなそれ。どんな奴だった? なんか怪しいものとか買わされてないか?」
無二の親友を案じる様子の正午に、ありがたい友達を持ったものだと内心深々感謝しつつ、流星は無用の心配をさせまいと言う。
「二十歳くらいの綺麗な人。特に何か買わされたってことは――――」
「おい。俺が心配している間に何羨ましい思いしてくれとんじゃい」
途端、菩薩の顔から般若の顔に。容貌と相まってちょっとしたチンピラでも避けて歩きそうな威圧感を放つ友人に、しかし流星は畏縮することはない。
「羨ましいったって、俺そういうの興味ないからな」
良くも悪くも、流星は自分の価値観に殉じて生きている。
そして、自分の身に起こった出来事はすべて自分の尺度でしか計らない。正午の言うこと、その物事の尺度がまるきり分からないではないが、そう言われても困る、というのが正直な感想であった。
「……しかし珍しい。流星、天文台さん以外に可愛いとか綺麗とか思うことあるんだな」
正午の方も、流星がそういう人間なのはとうに理解していた。だから、本当に変わらないなこいつは、などと思いはしても、それ以上追求することはしない。
「そりゃあまあ。俺が好きなのは天文台さんだけだけど、人並みの感性は持ち合わせ、て……?」
流星の言葉が途中で不自然に減速し、ぷっつりと切断される。どころか、階段を上り切って二年生の教室の廊下に出たところで、身体が完全に止まってしまう。
訝しんだ正午が木偶の坊と化した流星を回り込むようにして先を覗くと、あまりにも明白な答えがそこにはあった。
天文台星空。
今まさに教室に入ろうとしていた少女は、何か興味深い話でも聞こえてきたかのように、流星と正午の方を向いていた。
「お、おお、おはおはようっ天文台さん! き、今日もいい天気だね!?」
露骨。なかなかそこまではいかないだろうという露骨な誤魔化し。あまりの露骨さに、正午は頭を抱えそうだった。
対して星空は、しばらくの間滅多にないきょとんとした表情で二人の方を見ていたが、軽く会釈して、そのまま教室に入ってしまった。
扉は空けられたまま。だが、流星は一向に入ろうとしない。
「ど、どうしよう、どんな顔して入ればいいんだよぅ、正午お」
「普段から散々分かりやすいくせに今更怖気づくんじゃねえ喋り方も気色悪ぃし! さっさと行け!」
半ば正午に蹴りこまれるように、流星は二年三組の教室に入っていく。
結局。
予定していた星空に対する二回目の『朝の教室』作戦は、この極限緊張状況下で決行できるわけもなく。
まったく集中できない朝の一時間弱を過ごして、そのあとも特段の動きはなし。
比喩表現でもなんでもなく、胃に穴が開いていないか疑うほどの激烈な腹痛に流星は苦しんだ。
(どうしよう、ついにばれてしまった、いやばれてない可能性もある? いやばれてるよな、天文台さん頭いいし……)
正午やめいろが聞けば、そもそもなぜ今までばれていないと思うのか、と説教が始まるレベルの話ではあるが、流星は真剣に悩んでいた。
とはいえ部活以外では、流星からコンタクトをとらない限り話す機会のない関係性。無駄にそわそわしつつ、結局なんらイベントが起こることはなく、放課後を迎える。
(あー!!! よりにもよって今日部活に行けないとは、俺はなんと間が悪い!!!)
どう考えても何の罪もない昨晩の自分の見立ての甘さに憤りつつ、未練がましく星空の方に視線をやって、しかし気づかれるのが恐ろしいあまりすぐに逸らしてを繰り返し、流星は教室を飛び出した。
(……)
その背中を。天文台星空は、いつもより更に少しだけ感情が分かりづらい表情で見つめていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます