第十話 『導の星』と『夜空』について
しばらくして、流星が立ち去った後の喫茶店。木製の扉が、レトロな鈴の音を鳴らしつつ軋む。扉をくぐって現れたのは、穂積秋晴。
フォーマルさを感じさせつつ、白メッシュの入ったショートカットと調和する、ややパンクなファッション。
「その後、銀くんの様子はどうでしたか?」
店内に客と店員は二名ずつ。
「九割九分連絡はあるだろう。さすがの舌先三寸だ」
店長と思しき老境の男性が重々しく答え。
「名刺の連絡先、すごい見てたし。本当に口がうまいわよね」
テーブルの一つにつきノートパソコンを開いた、いかにもキャリアウーマンといった風貌の女性が軽く手を叩く。
「秋晴先輩さっすが~! 私も見習いたいです! 人の騙し方!」
制服とエプロンに身を包んだ小柄な少女が、目を輝かせて秋晴に擦り寄り。
「……問題、ないと思う。さすが、『
窓際の席で読書中、前髪で目が隠れた青年が、暗く静かな声で結ぶ。
その全員が、秋晴の知り合い。いや、同じく財団『夜空』の
どうあってもその中にその活動を知られるわけにはいかない財団、その隠れ蓑の一つ。一般的な喫茶店として運営する一方で、『生まれ星』を収集するための前線基地の一つ。
「絶対に欲しい星ですから、これくらいはしますよ。ってか騙してないですけどね」
秋晴は屈託のない笑顔で、躊躇なく利己心を明かす。彼女にとって、考えの全てを明かさないことは何の不義理でもない。噓さえついていなければ、それは当然詐欺ではないということを、秋晴は心の底から信じている。
「確かに! 『二番星』が銀くんの邪魔になってるのは本当ですもんね、もっとどうしようもない邪魔がありそうってだけで!」
中学生か高校生かと思しき少女が、屈託のない笑みで先輩である秋晴の言葉に同調する。幼さゆえの純真や無垢とは違う、小さな昆虫の足を確固たる意志でもぎ取るような、平凡とはどこまでも交錯しないズレた思考回路は、しかして『夜空』の人間たちにとっては修正すべきものではないらしい。
「あら、『
えい、と少女の頭を小突く秋晴。視線が合って微笑みあう二人の姿は少し年の離れた姉妹のようにも見えたが、人の表情を見ることに長けた者であれば、あるいは少女の表情が作り物であることに、更に特異な才覚を有するものならば、秋晴の表情が計算されたものであることに気付くのかもしれない。
「そうよ、秋晴は断言しないために、情報の少ない今接触を図ったわけだし」
確認をとるように向けられた視線に、秋晴はただ沈黙をもって返す。仲間内とはいえ、それを口に出してしまうことは秋晴の中での線引きを超えた行為になる。女性もそれを理解しているからこそ、返答を求めることはしない。
そう、流星への提案は、間違いなく財団『夜空』にとっての利益になる行為であり、慈善団体でない以上主目的は当然流星の運命を変化させることではない。
だが、それと同じだけ。二番の宿命にとらわれた流星を解放しようという行いが、一点の曇りもない善行であることを、秋晴は心の底から信じている。『二番星』が彼にとって、必要なものであるはずがないのだから。
「さて――――呪われた星の下で二番に甘んじるか。定めの星を捨てて苦難の道を歩むか。銀くんは、どちらを選ぶんでしょうね?」
その日の夜。
自室のベッドに寝転がって、流星は一枚の名刺と睨み合っていた。
「冷静に考えて、おかしい話ではある」
一度それを放り投げて、目を閉じる。
街角で突然出会った女性に不思議な話をされ、興味があったら連絡しろという。
悔しくて肯定したくはないが、確かに多くの男子高校生からすると憧れのシチュエーションではあるが。
なにがしかの詐欺、あるいは勧誘と考えた方が賢いし常識的だ。
「でも、なぁ」
再び目を開き、名刺を手に取りなおす。
今時、検索しても何もヒットしない会社名。
念のためにと検索しても、同じくなにもヒットしない人名。
どうしたって怪しさしかないはずのそれを、迂闊に放り出せない理由は一つ。
「星空さん」
名前を呼ぶ。
苗字でしか呼び合わない距離感で、一抹の罪悪感と羞恥心を覚えつつ、いつか呼びたいと希う彼女の名を呼ぶ。
今の銀流星の毎日を大きく左右する存在。
平たく言えば初恋の人であり、好きな人。
もしも、その星の運命とやらのせいで、流星の恋が妨げられているのなら。
「……馬鹿馬鹿しいとは思うけど」
少し戸惑いながらも、流星は自分の中での天秤に向き合う。
片方には、平穏無事な日常。もう片方には、天文台星空。
どちらに傾くかは、言うまでもない。
「どんなことであれ、努力はしておくべきだ」
銀流星は、どんなに可能性が少ない馬鹿らしいことであれ、決して努力に妥協しない少年だった。
充電器に刺さっていたスマートフォンを手に取り、名刺に記載された連絡先へとメッセージを送信する。
心の片隅。不信感の陰に隠れて、無視しきれない大きな期待が膨らみ始めていた。
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