第九話 俺と『二番星』について

「つまり、俺が二番ばっかりとるのは、『二番星』って星の下に生まれたからってことですか」

「おっしゃる通り。いやー、さすが頭のいい子は理解力があって助かるなあ。というかこれ美味しいですね」

 中心街から少し外れた、裏通りにある喫茶店。

 一抹の怪しさを感じ、真昼間正午に

【夜まで返事がなかったら警察呼んでくれ】

 なんてこっそり連絡しておいたりしつつも。

 結局流星は秋晴に連れられるまま店に入り、彼女と対面していた。

「言っていることを全部信じれば、ですよ。正直、半信半疑どころか不信です」

 妙に高揚した気持ちを抑えようと、あまり飲まない珈琲に口をつける。

 苦い。

「えぇー。こんな美人に捕まって不思議な話をされたら、大抵の男の子は信じるものでは? いや、にしてもケーキ美味しいなあ。私、甘いもの大好きでして」

「俺はそこまで単純じゃありません。……というか、めっちゃ食べるなこの人……」

 不満げな言葉とは裏腹に秋晴の表情はにこやかで、流星の反論も意に介さない様子。先ほどから悠長にショートケーキを貪り食っている姿は、およそ先ほど見せていた末恐ろしい雰囲気を纏っていた女性と同一人物とは思えない、と流星が思い込もうとしていたところ。

 秋晴はテーブルの端に置かれた角砂糖の瓶から、角砂糖を二つ。

 特に断りも入れず、流星のカップに落とす。

「この方が美味しいと思いますよ」

 心の内を見透かされて。いや、彼女の前ではあらゆる心の防壁がそもそも機能しない気がして。

 いっそう警戒を強めつつも口に運んだ珈琲は、ちょうど流星の好みの甘さになっていた。

「美味しいでしょ? 私もブラックは苦手でして」

 秋晴はにこにこしたまま、角砂糖が一つだけ入った珈琲をあおる。

 心の中にするりとぬるりと入り込まれそうな危機感と、相反する安心感が流星の胸の内に沸き起こった。

 店内は広く、その割には客もまばら。

 めいめいに話に花を咲かせており、流星と秋晴に注目する者は誰もいない。

「あ、気が利く女性だなって思いましたね。うんうん、その通りです」

「本題に入ってください。で、あなた達は、その『二番星』が欲しいんでしょう?」

「せっかちなのはよくないですよ」

 掌で転がされているような感覚と、それを悪くないと感じている自分が、流星にはたまらなく恐ろしかった。振り払うように声を尖らせて、会話の主導権を獲ろうと意気込む。

対する秋晴は余裕を隠すことなくわざとらしく首を横に振って見せたのち、最近会った面白い話でも語るような気軽さで口火を切る。


「『不幸の星の下に生まれた』。ありふれた表現ですが、実に的を射ている」


 マルチ商法のような状況だ、と流星は思った。都合のいい突飛な話を吹き込んでくる、控えめに言っても客観的に美人な女性。ただ一つ違うのは、その口ぶりだった。

 流星の理解では、詐欺師という連中は、引き込むような熱意ある喋り方だったり、あるいは危機感を煽って突き放すような喋り方、そうした演技ポーズを使い分けて、心の弱った人を取り込んでいく。

 しかし目の前の女性は、誰もが知っている芸能人だとか、万人の心象に共通する思い出話だとか、あるいは自分の身の上話だとか、実際にあることをあるがまま話しているというか、地に足がついているとでもいうべき何の高揚感も非日常感もない話しぶりが、かえってその不可思議さを際立たせていた。

「人間はみな何かの星の下に生まれてくる。そんな中で、一際強い輝きを持つ星に愛された人々が、特別な才能を発揮したり、乱数ランダムでは考えられない外れ値エラーを計測する」

 秋晴の右手のフォークが、最後に残されたショートケーキのイチゴを摘み上げる。イチゴを頬張って思わずといった様子で表情を緩めた秋晴は、はっ、とわざとらしく慌てふためき、急に表情を真剣なものとえた。

「分かりやすい例でいえば、一国のトップとか、超一流の芸能人とか……ああそうだ、プロ野球選手もそういう人がいますね」

 流星の肩が、ほんの少しだが確かにピクリと跳ねる。秋晴の目が、流星には気づけないほどの本の一瞬だが僅かに細められ、流星の動揺をとらえる。

 しばし、沈黙。


「俺も、同じだって言うんですか?」

 おそるおそる、と言った口ぶりだった。底の見えない沼に片足を踏み込み、その深さを探るような。その慎重な姿勢が、秋晴にとってはひどく幼く可愛らしいものに感じられていた。

「そう、おっしゃる通りです。そして、我々は『二番星』を必要としています」

 秋晴の表情はなおも柔らかいものだったが、緩んでいた口元は結ばれ、真摯さや真剣さを感じさせるものに変わっていた。流星もまた、その変化に置いて行かれないようにと表情を険しくする。

「えぇ。貴方にはきっと、不要どころか邪魔なものでしょうから、win-winってやつではないかと」

 口調は先ほどまでと同様に軽く、しかし視線は凛と真剣に。

 秋晴は真っすぐに流星と向き合う。流星の内にも同様の真剣さを呼び起こそうとする、そんな意図をもって。

 別の点に思考を深めるあまり秋晴の意図には気づかず、結果として彼女の狙い通り、流星も秋晴に向ける視線に熱がこもっていく。

「仮に、あなたの言葉を信じるとして。どうして俺が、それを手放すと」

 未だに流星の言葉に警戒心は強かったが、それが秋晴にとってはかえって好都合だった。言葉への警戒は、態度や雰囲気への警戒を薄れさせるし、その逆もまたしかり。人間の警戒心は無限ではない、何かを疑った分ほかの何かを疑う余裕(キャパシティ)はなくなる。秋晴自体が信用できないと思われるほど、秋晴の話の背景にある不可思議な現象には違和感を持てなくなる。

 それでいい、とほくそ笑む。

 もっとも。そもそも自分には、せせこましい小細工を無に帰すほどに、強大極まりない鬼札ジョーカーの用意があるわけだが。

「貴方にとってそれは足枷ハンディにしかならない。ああ、誤解しないでくださいね。何度も言うように、半分は『夜空うち』の利益のためですが、半分は善意です」

 もう半分の利己心を否定はせず、されども注視されぬよう、決して詳らかに明かすことはなく包み隠して。

 善意を強調するかのように秋晴は笑う。

「……けど、なんでも二番になれるって、すごいことじゃないですか。人より恵まれて、」

 流星は食い下がった。

 確かに、流星の問いに対する論理的な説明を、秋晴はまだ一切していない。

 正当性に基づいた立場で言えば、圧倒的優位にいるはずの流星。それでも、子供が駄々をこねるかのような、切羽詰まった語り口。


「でも、?」


 またしても、沈黙。

 そうして、続ける言葉に悩んだ一瞬の隙を、秋晴は見逃さなかった。

 優しい笑みを浮かべたまま、断定的に。決定的に。強権的に言ってのける。

「どうしても一番欲しいもの、ありますよね。分かりますよ」

 流星の身体は、心の奥底を当然のように見透かされた驚きに硬直する。

 流星がしばらく何も言えずにいる様を黙って眺めた後、秋晴は荷物をまとめると、伝票を手にさっと立ち上がった。

「……え?」

「残念! 無料はここまでです(はぁと)」

 先ほどまでの張りつめた空気はどこへやら。有料サイトへの誘導を真似るような明らかにふざけた口ぶりで、秋晴は明確に底意地の悪いにやにやとした表情を流星に向ける。

「は、ちょっと。なんですかそれ」

 目の前に吊るされた人参が逃げ出したような、待てを繰り返されて我慢が利かなくなったような、居ても立っても居られなくなり思わず立ち上がった流星の方に秋晴の手が伸びる。静かに、と諫めるように、その人差し指がまっすぐに唇を塞ぐ。

「もし興味がわいたら、名刺に私の連絡先が書いてありますので」

 首をかしげて見せる様子に、今度は底意地の悪さや打算的な厭らしさはなく、天性の悪女ファム・ファタールという言葉が、流星の脳裏をよぎった。

「ここの料金はサービスです。――――じゃ、さようなら。銀流星くん」

 流星が名乗っていないはずの彼の名前で、親しい友人のように彼に別れを告げると、秋晴は身を翻した。

 あえてここで、彼の胸の内全てを看破してのけるような真似はしない。

 秋晴を信じるという最後の決断は、彼自身にさせる形でないと意味がないのだから。

 それでは。と言い残して。秋晴は躊躇することもなく立ち去っていく。流星が背中に向けて何事か言っているが、どうせ追いかけては来られない、と聞き流す。



(俺は、そんなこと求めていない……)

 その傍若無人な背中を呆然と見送りながら。先ほどの秋晴の言葉を、流星は幾度も噛みしめていた。

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