第八話 俺と三月ウサギについて

 夕陽の色に同化していく街を、何をするでもなく流星は歩く。大通りを行き交う人々の中で、カップルばかりがやたらに目につき、気分が少しずつ暗くなっていくのを感じる。

 幸福そうな人々へ羨望を覚えつつ、流星はひたすらに一つのことを思い悩んでいた。

(しかし、これ以上どうやってアプローチすべきか)

 正午やめいろほどには明瞭でないにしろ、自身のアプローチが現状なんの実も結んでいないことは、流星自身理解していた。

 異性と交際した経験はなく、星空の気持ちを慮るには些か知識が足りない。

 友人、雑誌、インターネット。どこにもそれらしいアドバイスは散見されるが、相手の性格次第で正解は千差万別。

 一通り試したつもりではいたが、そのどれも結実はせず。

 しかして諦める、という発想は露ほどもなく、流星はただ、次の手が思いつかないことにひたすら思い悩んでいた。

 そうして、周りへ注意が少しずつ薄れていき、答えが見つからない問いにぼんやりと潜っていたところ。


「あ、ちょっとそこの少年。少しアンケートに協力してもらえませんか?」


 ふと、思索の底に沈んでいた意識が引き戻される。

 流星が振り向いた先には、ウルフカットの女性がにこやかに笑みを浮かべていた。

 チューブトップにジャケットを合わせた出で立ち、黒髪の中に一房だけ際立つ白いメッシュ。年のころは大学生くらいだろうか。その手には木製のバインダー、質問項目が列挙されたと思わしき紙が挟み込まれている。

 綺麗な人だ、と珍しく流星は思った。

「はぁ。少しだけなら」

「ありがとうございます! いくつかこちらからご質問するだけなので、お時間は取らせません」

 無意味に散策していたとて、有意義なことは見つかりそうにもないし、と。半分は生来のお人好しで学生鞄を背負いなおして向き直ると、女性はいっそう笑みを深めた。

「まず一つ目。貴方は、何かで一番になった経験がありますか?」

「……いえ」

 質問用紙に書き込む形ではなく問答形式であること、くわえて予想外かつ今の自分にはとても刺さるような質問に面食らったものの、流星は素直に回答する。

「ああ、お気を悪くされたら申し訳ないです」

「大丈夫です」

 無意識のうちに少しだけぶっきらぼうな言い方をする流星に、女性は言葉と裏腹に顔色一つ変えることなく、質問を続けていく。

「ご自身で運がいいと思った経験は?」

「福引や懸賞は、かなり当たりますけど」

 妙なことを聞いてくる、と気にかかりつつも、やはり流星は正直に答える。内心、目の前の女性に若干の怪しさを覚えてはいたが、反対に、彼女を疑う必要はないという根拠のない感情が沸き上がってきてもいた。

「二等ですか?」

「はい」

 流星にとっては非常に悩ましく、安易に人に話せないはずの内容だったが、親に手を引かれる子供のように、今度は迷いなく流星は答える。

「なるほど」

 興味深げに頷く女性の所作には、年相応以上に不思議な雰囲気、単なる色気とも怪しさとも違う、聖女のようで、それでいてどこか妖艶な雰囲気が潜んでいた。

 心の中にあるざわめきは、胸騒ぎとも高鳴りでもなく、宝箱の中を覗き込まれているような、心臓に優しく触れられているような、十数年間の人生で一度も経験したことのない不思議な感覚があった。彼女の指先、口元、瞳、その一挙手一投足から目が離せない。


「では、ご自身が欲しいものに限ってどうしても手に入らない、そんな経験は?」


 確かに何かをその笑顔のうちに織り込んで、彼女はそれでも表情を崩さなかった。その内側にあるものをちらりと見せびらかして、流星がそこに飛び込んでくるのを待っているかのようで、理性は確かに彼女への警戒を呼び掛けた。


「――――あの、これいったい何のアンケートなんですか。質問が散発的で、意図が」


 だが本能は、その魅力に抗えなかった。彼女がそう言わせたがっていることに確かに気づきながら、止められなかった。

 しばし沈黙を保った後、せめてもの抵抗として表情を険しくして流星が切り出す。

 対して女性は余裕を一切崩さず、慣れた仕草で名刺を差し出した。

「申し遅れました。私こういう者です」

 訝しむ姿勢ポーズを取りつつも、流星はそれを受け取る。

穂積(ほづみ)秋晴(あきば)、と言うのが女性の名前らしい。

「財団『夜空よぞら』。聞いたことがないですけど、メディア関係ですか」

「まあ、何でも屋と考えていただいて。かえって不信感を持たせるかもしれませんけど」

 ふふ、と軽く緩んだ口元は、先ほどまでと違う不思議な真剣さを帯びて。

 流星と彼女の間にある空気が急に張り詰める。気がつくと、先ほどまで歩いていたはずの人々の姿はなく、大通りの真ん中には流星と秋晴の二人だけが立っていた。


「妙なところで運が良かったり、どんなに苦手なことでも二番が取れたり」

 かつかつ、と彼女の歩く音が妙に響くのは、履いているヒールの高い靴のせいだけではないように思えた。

「その癖、得意なことでも一番にはなれなかったり、一番欲しいものは手に入らなかったり」


 芝居がかった口調。

 それでいて、決して冗談だとは思わせない雰囲気。

「それが、あなたの、なんて言ったら信じます?」

 道化のような語り口で。

 けれども噓偽りを許さぬ厳粛さで。

 一房の白いメッシュに、流星はいつか読んだ御伽噺の白いウサギを想起する。


「あなたの『二番星』、私たちに渡していただけませんか」


 怪訝な顔をする流星に、秋晴は無垢の聖女のごとく微笑んだ。

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