第六話 『一番星』と『二番星』について
話は現在に戻り、その日の放課後。
ほぼ全ての校舎が近年建て替えられたばかりの流が丘高校の中で唯一、戦前の姿を残した木造の校舎の一室。元は何かの教室として運用されていたらしく、黒板、生徒用のロッカー、いくつかの古い椅子が置かれているが、今となってはその由来を知る教員も学生もいない。その他には、通常の教室にはない横長のテーブルが二つくっつけられて部屋の中央に鎮座し、今にも倒れそうなほど大量の宇宙や星にまつわる書籍を収めた本棚、いかほど前に運び込まれたのか不明なくたびれたソファ、机上の金属製の重厚な天体模型。
詰まる所、その古めかしく埃っぽい秘密基地こそが、天文部の部室であり。今日は天文部の二年生部員四人が揃い踏みし、めいめいに部活動に勤しんでいた。
とはいえ、そもそも天文部の活動内容は、時折行われる天体観測会を除いては文化祭での出し物くらいしかなく。半分は雑談あるいは暇つぶしのためとなる、自由で規則の緩い部活なわけで。
星空流星は数学の参考書を開き、先日一時間ばかり睨みあった問題に再度挑戦し、なんとかこれを打ち倒す途中。
迷小路めいろは宿題を終わらせようとノートを開いてはいるものの、五分に一回は天体模型を弄って遊んでいる。
真昼間正午は棒付きの飴玉を咥えて、ソファに深く全身を横たえて眠ったように目を閉じたまま。
天文台星空は簡素な椅子の一つに腰掛け、辞書のように分厚く古めかしい装丁の本を机に置き、特に苦もない様子で読み進める。
全員がてんで好き勝手なことをする沈黙の中、やおら覚醒した正午が、辺りをぐるっと見回して重々しく口を開く。
「先月の真剣模試、返ってきたな」
旧校舎の空き教室を占拠した不良のようにも見える正午の言葉に、わずかに部室の空気がひりつく。
「あ、あはは……そうだったっけ? あ、あはは」
めいろは、俯いてがくがくと震え。
「……」
星空は、いつも通り棘のない微笑を浮かべるだけ。手元の本から一瞬視線を挙げたものの、何かを話し始める気配はなく。
「なんだよ、自分から言い出すってことはよかったのか?」
流星は、親友をからかうようにおどけてみせる。その表情に、わずかな陰りが隠れていることを、正午は見逃さない。
「俺はいつも通りよ。けど、お前と星空さんの勝負もあるし、いつも見せ合ってるし、今回もそうかなと」
親友とその想い人を交互に見やり、何となくその結果をイメージできつつも、正午はそう言ってベッドから起き上がる。足元に雑然と置いたスクールバッグに手を突っ込んだ正午は、取り出した模試の結果を中央の机に放り出す。
キリよく取り組んでいた問題を終えた流星、宿題から逃げ出したい気持ちでいっぱいなめいろ、正午の視線を感じ取ったのか書籍を閉じた星空。三者三様に正午の周りに集い、机の上を覗き込む。
「……うん。コメントしづらい普通の結果だな」
「それを面白くするのがお前の腕の見せ場だろうが、いいコメントしろよな」
学年平均とほとんど変わらず、教科ごとに大きな凸凹もなし。外見の尖り方からは想像もつかないような平凡極まりない結果────もっとも、それは流れが丘高校内での結果であり、全国的な水準からすれば神童そのものなわけだが、当人たちは感覚が麻痺しているためそれをよく理解していない。
笑顔で切り捨てる流星に悪態をつきつつ、正午は他の三人を急かす。
「おお」
机に並べられた結果の一つに、正午は思わず感嘆の声を漏らす。
「めいろ、お前」
「最下位じゃないなんて! って言うんでしょ分かってるよ、どうせ私は学年一のアホだよ」
一学年二百人のうち百九十番代の順位に苦笑しつつ、流星が割って入る。
「でも今回は最下位じゃないし、順調に努力が実を結んでるってことだろ」
不機嫌そうな顔をして正午を威嚇しつつ、なだめる流星には返す言葉なくめいろは引き下がる。
「大きな進歩だと思うよ」
星空もまた、棘のない笑顔でめいろをなだめる。その言葉に嫌味や優越感は全くなく、純粋な励ましだけが籠っていた。
「うう、嬉しいけど、二人に慰められるとかえって自分のちっぽけさが嫌になる」
褒められたことの喜びと羨望とが
正午がわざわざ起き上がったのは、めいろが恥を忍んで結果を開示したのは、何もそれ自体が目的だったわけではない。本題は別にある。
遡ること一年ほど前。
入学式の日に星空に一目惚れした流星は、高校生活二日目から早速星空へのアプローチを開始。
『天文台さん! 今度遊びに行かない?』
『ごめんなさい、私、放課後は習い事で忙しい日が多くて』
するも、失敗。
幸いにして同じ部活に入ることには成功したものの、友人以上に昇格することはなく。気が気でない幼馴染や、なんだかんだ世話焼き体質な親友による手厚いバックアップを受けつつも、その攻撃はすべて迎撃され分厚い障壁に傷一つ付けられず。
一向に距離が縮まらないまま気づけば半年が経過し、校内の木々が赤々と燃え始めたころ。そんな時に正午からの入れ知恵で始まったのが、星空と流星のテスト勝負だった。
『お前の頭なら天文台さんとも勝負ができるはずだ、いつも以上に頑張れ。そしてデートに誘うんだ』
ルールはいたってシンプル、勝った方が負けた方の言うことを一つ聞くというもの。
『天文台さん! 今度の試験で勝負しよう。負けた方が勝った方の言うこと聞くなんてどう?』
『ええ、いいわよ』
星空は、この勝負をあっさりと受けた。
『星空ちゃん、勝ったら流星くんをこっぴどく振るんじゃない……?』
星空の側には大してメリットのない勝負を引き受けられたことに幼馴染は懸念を示したが、流星はというと、そんな心配はどこ吹く風で猛勉強。
そして。
これまでの結果は、定期テストと模試、授業中の小テストまで含めて全て星空の勝利。約束を吹っ掛ける以前まで確認しても、ただ一つの勝利もなし。
もっとも勝負が始まってからは、学年全体を眺めても流星と星空を上回る人間はいない。つまり一位と二位の争いであり続けていたわけだが。
今回の模試は、流星と星空、その記念すべき百回目の勝負。必然、めいろと正午、何より流星はいつも以上にその結果に注目しているわけで。卓上の二枚の紙切れに、めいろと正午の視線は釘付けになる。
流星は理系で学年一位、総合では二位。
星空は文系と総合で学年一位。
教科別に全てを見比べても、両者が受験した科目については星空が一位で流星は二位。
「こっちもいつも通りとはいえ、やっぱすげぇな」
感嘆の声を漏らす正午に、星空は微かな微笑みのままに首を横に振り、流星は苦々しげな笑顔。
「……今回は自信あったんだけどな。やっぱりすごいや」
不満や文句とも、悔しさとも、賞賛とも取れる言葉が流星の口をついて出る。星空の方は、流星の結果をちらと見ても表情を変えることはなかった。
「偶然だよ。私の得意な問題が多く出たから」
事も無げにそう言う星空の口ぶりには、勝者の優越も満足もない。言葉とは裏腹に、生まれてこの方勝利して当然、そういった先天性の強者からしか生まれない独特の雰囲気が滲んでいた。
「とか言って、天文台さんが苦手なものなんて見たことないぞ」
親友への気遣いで正午が会話に割って入るも、星空は調子を崩されることなく、寸分の綻びも見えない笑顔で言ってのける。
「私にだって、できないことはいくらでもあるよ」
それが流星に向けられた言葉なのか、そうでないのか。雲を掴むようにどこか捉えがたい口ぶりだった。机の上に置かれた古めかしい天文学の本に栞を挟むと建付けの悪い本棚に丁寧に戻し、星空はさっと荷物をまとめる。
「それじゃあ。今日は予定があるから、お先に失礼するね」
軽く会釈して、星空はそのまま部室を出た。
重い扉が軋みながら閉じると、正午とめいろは流星を取り囲むように頭を寄せる。
「しかし、今回も駄目だったか。残念だな」
「
流星は顔を険しくし、腕を組んで黙りこくる。
しばしの沈黙の後、常とは異なる弱弱しい調子で流星が口を開く。
「……悪い。今日は俺も先に帰るよ」
「あ、ちょっと流星く――――」
めいろの慌てた声に返事はなく、代わりに重い立て付けの扉が閉じられる耳障りな音だけが返ってくる。
残されためいろと正午は、顔を見合わせてため息。
流星と星空の勝負には、敗者が勝者の言うことを一つ聞く、といったルールが定められている。そして、勝者であり続ける星空はというと。
『特にしてほしいことはないから、また今度言うね』
この一言、その一点張り。
流星はそのたびに対抗心とやる気を燃やしたが、傍で様子を見ているめいろと正午はうっすらと感じ取っていた。
天文台星空は、銀流星を眼中に収めてすらいない。
どんな鈍感な人間でも、これだけアプローチを受けていれば相手からの好意には気づく。
その気になれば、約束を逆手に取り、言い寄ってこないよう命じることもできるし、流星はそこでごねるような人間ではないと、星空ほどの聡明さならば理解しているはずなのに。
それはつまり、わざわざ切り捨てるという選択肢すら用意していないということ。
流星はそれに気づいている様子はない。
百回目の勝負を終えて、ついに約束についてすら持ち出してこなくなった星空を前にして。その事実を伝えるべきか否か、正午とめいろは未だ結論を出せていない。
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