第三話 幼馴染と後輩の密談について
「めいろ先輩、銀先輩無事でした! 多分すぐに起き上がります」
聖歌が更衣室に入ると、めいろはすでに着替えを終えていた。これが仕事なら怒られるであろうという特に何の根拠もない報告を挙げたが、めいろの方は気にする様子もなく、当然といった顔で頷く。
「うん、ありがとう。流星くん頑丈だから絶対大丈夫だと思うけど、万が一ってことがあるといけないからね」
わざわざ指定して獲得した憧れの先輩の隣のロッカーに荷物を放り込んで、聖歌もぱっぱと着替えに移る。
「けど、毎日一緒に登校する幼馴染がいるなんて羨ましいです」
ユニフォームを手に、やたらとゆとりのあるサイズで作られたロッカーの前、聖歌は羨望と気遣いの両方を本心として朝から不機嫌そうな先輩を持ち上げる。
「そうかな? 私は、流星君がいるのが当たり前だからよく分かんないかも」
めいろの方ではそんなことには気づいていない様子で、不機嫌そうな様子はすぐに引っ込み、照れと喜びを半分ずつ滲ませた表情。
「くーっ! いいですねそれ!! 『当たり前にそこにある』って感じが最高です! 幼馴染ならではの言語化しづらい感情なんだろうなぁ……」
最愛の先輩をなだめようとしていた聖歌だったが、めいろの発言と表情になにやらクるものがあったらしく、当初の目的をすっかり忘れて早口で身悶えしながら興奮状態へと突入していく。
「聖歌ちゃん、大丈夫? 色々漏れ出てるけど?」
こうなってしまうと困るのはめいろの方で、幼馴染に引きちぎられた逆鱗のことも忘れて、自分の世界にトリップしていく後輩を揺すったり叩いたりして現実へと引き戻す。
「はっ、すいません……けど、私以外の目から見ても十分羨ましいと思いますよ。だって相手はあの銀先輩じゃないですか」
すぐさま意識を取り戻した聖歌は、推しバレというオタクにとって良くも悪くも最大の問題を引き起こしかけたことで内心パニックだったものの、それでもなんとか取り繕い、先輩をおだてる態勢に戻る。
なお、実際にはしっかり推しバレ済みで、その点では流星を前にしためいろよりも好意の隠し方が下手だといっていい聖歌であった。
「顔はイケメン、背も高くて、性格はまあ、ちょっと残念だと思うときありますけど優しいですし……そうそう、超優秀な一般生の中でトップ、成績は常に学年二番手! 絵に描いたようなハイスペ男子ですよねぇ」
指折り数えて流星を褒めちぎる聖歌に、めいろはやや苦々しさを含む笑顔ながら、それでも鼻が高い様子。
「んー、まあ。それは確かに。流星くん、傍から見てたら欠点という欠点ないよね」
勢いづいた聖歌は、止まることなく更に言葉を続ける。
「そうですそうです。本当に、なんであれで彼女がいないのか不思議なくら――――あ」
そこまで言ってしまって、聖歌は自分が踏み抜いた特大の地雷の存在に気付いた。苦々しいながらも喜びを隠しきれていなかっためいろからは完全に生気が失われ、ブラック企業勤めのアラサーOLのような、それ以外の表情を忘れてしまったがための笑顔だけが残渣として残っている。
どう控えめに評価しても
「ほ、ほら! でも全然相手にされてないって聞きました! 孤高の高嶺の花なんてそのうち諦めて、めいろ先輩の大切さが分かるパターンです」
部活開始前にしてすでに本日最大の修羅場確定の大やらかしをカマした自称デキる後輩こと奏聖歌、大慌てに大慌てを重ねながらも、明らかに無理がある飛び切りの笑顔で魂が抜けかけの先輩を励ます。
「ううん……流星くん、高校になってからすごくモテ始めたから、その内他にいい人見つけるよきっと……」
しかし、平素の熱烈なアタックと表裏一体の自信のなさを備えた最愛の先輩は、完全ノー勉の期末試験前日と宿題が山積した夏休み最終日が同時に来たような顔のまま。普段なら推しポイントとして数えている先輩のめんどくささに、この時ばかりはさすがに聖歌も頭を抱えた。
「い、いかに銀先輩がモテるとはいえ、あの人を除けばめいろ先輩がトップに決まってますよう! なんてったって幼馴染なんですから!」
なんとか二個目の地雷を踏まないように婉曲的な表現を心掛けつつ、心のうちとは裏腹なハイテンションで先輩の背中をバシバシ叩く。普段なら絶対にしないことだが、今回は非常事態なので手段は選んでいられないのである。
「聖歌ちゃん知ってるでしょ、幼馴染って、たいていの場合ぽっと出てきた運命の人に競り負ける当て馬なんだよ……」
そして、そんな決死の思いでの励ましも、完全に自分の世界に入り込んでしまっためいろには届かず。妙に少女漫画や少年漫画の展開に造詣が深い先輩に違和感を持つ余裕もなく、聖歌はいよいよ進退窮まっていた。
(な、なんて面倒くさい……恥ずかしがって直接アプローチできないくせに、銀先輩の恋愛関係の話を聞くとこれ……でもそこが可愛い!)
背水の陣、というかもう腰のあたりまで浸水したような心持でいっそそんなのんきなことを考えつつ、はっ、とわざとらしく声を上げて、聖歌は人差し指をぴんと立てる。
「た、確か銀先輩って、スポーツも万能なんですよね? 運動部入ってないの、もったいない感じがします」
精一杯『なんでなんですかー銀先輩に一番近い立場の幼馴染サンに教えてほしいなー』という雰囲気を醸し出して、めいっぱいの後輩的あざとさを詰め込んだ小首傾げで、聖歌は最後の勝負に出る。
「……中学までは野球部だったからね。私がチア始めたのも、流星くんの応援するためだし」
一度は絶望と倦怠の海に沈んだ迷小路めいろの魂は、彼女の核心を構成する部分を刺激されたことで辛うじて輝きを取り戻し、未だやや重い口調ながらも、確かに聖歌との対話に応じる態勢をとっていた。
「それは初耳です! ってかその話、もっと詳しく――――」
おそらく今日イチになるであろう難局を乗り切った興奮でアドレナリンがドバドバ出た脳内、聖歌が再び勢いづいて先輩を盛り立てようとしたところだった。
バッッ!
それ以上の勢いで、めいろの腕が聖歌の目の前に突き出される。まさか殴られるのか、という突然の驚きで聖歌の身体は硬直。
「聖歌ちゃん、時間やばいよ! 早く行こう」
しかし、優しい優しい可愛い可愛い先輩がそのように無軌道で暴力的なことをするはずもなく。よく見ればめいろは、左手首の可愛らしい腕時計を見せて、練習開始時間がすっかり差し迫っていることを示していただけで。
そう、二人が乱痴気騒ぎを引き起こしている間にも、肝心の朝練の開始時間は刻々と近づいてきていたわけであった。
「天の助け! 行きましょうめいろ先輩っ」
なんとかかんとかご機嫌を直させていよいよここから、という所に、言葉とは裏腹になんだか水を差されたようなちょっとした残念さを感じつつも、子犬系後輩こと奏聖歌は忠実に大好きな先輩の背を追いかけて飛び出した。
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