21話

「ふぁーぁ。眠い……」


 あくびをしながら中庭の花壇にジョウロでお水を撒く詩音。

 花壇の花の花弁や葉に溜まる水滴が陽光に反射しキラキラ輝く花達の生命力溢れる美しい姿に思わず目を細める詩音。


 詩音はどんなに眠くてもこの光景を毎朝見る為に中庭の花壇への水やりは欠かさない。

 昨日黒瀬との友達記念の抱擁を『キヨ』に見られ、何時もの如く不安や嫉妬という仄暗い感情を抱えきれなくなった『キヨ』に空が白むまで腕の中から出して貰えなかったとしても。


 昨日?今日の『キヨ』との情事を思い出し、思わず腰をトントンと握り拳で労るように叩く詩音。


 じゃりっと地面を踏む音が聞こえ詩音は音のする方へ振り向くと、「おはようございます」と柔和な笑みを浮かべ挨拶を口にしながら白衣をたなびかせ歩いてくる保健医『由比 宗親ゆい むねちか』。


 亜麻色の髪を一つに束ね、蜂蜜色の瞳、白磁の肌にスラリとした体躯をしている。

 朝陽に照らされることにより色素が薄いのも相まり、淑やかな美丈夫に一見みえる。


「詩音さん。今日も合法ショタお可愛いらしいですね?今日こそ私に抱かれません?」


 開口一番、生徒に向ける言葉ではない。


「おはようございますっ!保健医さん!」


 変態対応の基本は相手のペースに乗らないこと。詩音は先程の性犯罪者の犯行予告を聞かないフリをした。


「ふふっ!つれないとこも最高ですね。ん?すみません……。首に歯型ついていますよ?」


 由比は淑やかな笑みを浮かべながら、何かに気付き自身の首を指差し詩音に問い掛ける。


 思わず詩音は心当たりがあり過ぎ、顔に熱が集まり動揺しジョウロを落とす。

 首を勢い良く片手で押さえ、あまりの羞恥に瞳を潤ませながら口を引き結び由比を睨みつける。


 そんな詩音に目を細める由比。


「どうされました?何か疚しい事でもありましたか?」


 首を傾げながら、柔和な笑みを浮かべたまま気遣わしげに詩音に近付く由比。

 その蜂蜜色の瞳は野獣の様に鋭い光を纏わせながら詩音を覗き込み、酷く空々しい違和感を覚える。


「あ、の、猫さんに噛まれましたっ!最近、ここに可愛らしい猫さんがやってくるんですっ!この前抱っこした時に噛まれたんですっ!」


 由比の何時もと違う嗜虐的な雰囲気に気圧され『しおん』は無意識に半歩後ずさる。

 空いた手を前に突き出しながら、考えついた言い訳を言い募る詩音。


 ぱちりと目を瞬くと由比は「そうですか」と納得した様子で白衣のポケットから大きめの絆創膏を取り出す。


「では、保健医として絆創膏を貼らせていただいてもよろしいですか?」


 首を傾げながら眉を下げた詩音を心配した表情で口を開いた。

 そんな表情で問い掛けられたら、詩音も無碍にする事もできず小さく頷く。

 詩音の返答に嬉しそうに顔を綻ばせる由比は詩音に首を出すように声を掛ける。


 詩音は押さえた手を退け、絆創膏を貼りやすい様に首を傾げ由比を待つ。

 音も無く近付いて来た由比は目の前に無防備に晒された、詩音の剥き出しの白く細い首筋に無意識にごくりと喉を鳴らす。


「詩音さん、痛みは?」

「えっと、もう無いですよっ!ご心配ありがとうございますっ!」


 そっと優しい手付きで歯型を撫でる由比。

 その瞳は深く昏い色をし、焼け付くように詩音の首筋に残された歯型を映す。

 撫でた手の熱さと壊れものを扱うような丁寧な手付きにビクリっと身を竦ませる詩音。

 そんな詩音を愛おしげに見つめ微笑む由比。


「あの……、この歯型を付けた猫って金色の毛色でした?」

「そう……、だったかも知れないですねぇ……。あははは」


 疚しい事しか無い詩音はついつい適当に返事を返す。

 由比はそのまま独り言の様に言葉を続ける。


「詩音さん。私には兄弟がいるんですよ。半分しか血が繋がっていない『弟』がね……。

 お互いに母親似で全く容姿も得意なことも似ていないのに……。

 でも最近……、1番譲れないモノを私が見つけたんです。その『弟』もその私が最近見つけた1番譲れないモノに魅入られていて……。

 全く似ていない兄弟だと思ったのに……、ふふっ、そこだけは似ていて皮肉ですよね……」


「えっとぉ、僕は兄弟がいないのでぇ、わからないですけどぉ……、保健医さんは似ていて嬉しいんですかぁ?」


「嬉しい?」


 初めて聞いた言葉の様にキョトンとした表情で詩音の言葉を繰り返す由比。


「はい……。何だかそんな風に保健医さんが思っていらっしゃる表情とか言い方だったんですけど?違いますか?」


 絆創膏を貼る手を止め、石像の様に動きを止める由比。

 暫く何かを考える様に長い睫毛を伏せると、突然肩を震わせだした。


「あははははは!そうですね!詩音さんの言う通りです!私は……、嬉しかった!」


 片手でお腹を抱えて声を上げ笑い出しながら、晴れやかな心からの笑顔で言い切った。

 その後はみるからにご機嫌になった由比は手際良く詩音の首筋に絆創膏を貼る。


「詩音さん!貴方の全てが欲しいですっ!

 やっぱりこのまま清晴なんかに渡せません!私の本気、覚悟して下さいねっ!」


 すっと身体を離した由比は詩音を真っ直ぐ見据え、真剣な男の表情をしながら詩音に宣戦布告をした。


「あっ……、結構です……」


 速攻で涼しげな表情で淡々とお断りのお返事をする詩音。


 由比はそのままそんな返答なぞ聞いていないか如く、投げキッスを詩音にし、踵をかえすと颯爽と去っていった。


 『しぐれ』又の名は「変態ホイホイ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る