INTER MISSION02:彼女の衝動、彼の代償(2)


「生体接続手術が出来る医師を紹介して欲しい。か……」



 本が山のように積みか去った合間、ライテック社アキダリア支部長室の中央で。


 アグラインは真っ赤な赤毛の下にある、端正な瞳の間に深い皺を刻みつつ。甘い匂いのする焼き菓子に手を伸ばす。



「出来るだけ早く、腕のいい医者を紹介して欲しい」



 別にディサイドは、アグラインと話すのが嫌なわけではない。しかしそれはそれとして、今は一秒でも早くとは言わないけれど。可能な限りスピーディにネットワークに主観クオリアを直結させる能力が欲しいのだから。


 駄目なら駄目で、他の伝手を頼るのだからそう言ってもらえた方が有難い。



「そうだね、ならその候補として目の前にいる僕はどうだい? ディサイド」



 ぱっとアグラインは手元のタブレットに医師免許を表示する。確かに火星統一機構マーズユニティのロゴが刻まれた正真正銘本物であった。


 ネットワークと接続した機器の中で、こうしたロゴを無認可で使用した場合。大きなペナルティが課せられる。そのペナルティを受けてまで偽物の医師免許を提示する理由はない。



「そりゃ、アグラインがやってくれるってなら。信頼は出来るけど」


「じゃあ、まずはカウンセリングから始めようか」


「いや、出来れば料金の話からしておきたい」



 一般的に生体接続手術を行うには2~3万CASH程度。ちょっとしたアームド・マキナを購入して有り余るレベルのコストがかかり、だからこそ一般的にはデータストレージに意識を移植する方が普及している程。


 払えなくはないが、安くはない。だからこそなぁなぁで流してしまいたくない。



「別にどうでも、いや…… そうだな」



 確かにライテック社アキダリア支部長ともなれば、数万CASHなどはした金なのだろう。これは友人だから時間を割いてもらえているという事になるのだろうか?



「——実は君の父親のモカ・マーフには、大きな借りがある」



 別にユニティ法の上でディサイドと、モカ・マーフは親子ではない。けれどアグラインはそう思っているし、ディサイドもそうありたいと思っていて。


 故人と取引が出来ない以上、その代替を引き受けるという行為はCASH以上の価値があるのだろうと分かる。


 少なくとも、アグラインがそれを求めるならば。モカ・マーフからアグラインへの貸しを、息子である自分が今回の手術の代金として支払いたいと思えた。



「具体的な内容は? 無料タダで手術をする方便じゃないよな」



 その上で、もしそれがただの親切心からの方便というのなら受け入れたくはない。もしそれを受け入れてしまえば、対等な友人ではなくなってしまう。



「……話したくはないが、一つだけ返せなかった借りがあるんだ」



 少しだけアグラインは、今でも未来でもなく過去に視線を向ける。



「そうだね、まぁ別に標準医療報酬でも構わないけどさ」



 別に絶対に返したいというほどではなく。けれど彼にとって数万CASHはした金よりも価値がある。そういう借りなのだとディサイドは納得した。


 ならば無理にその内容を聞き出す必要もない。



「分かった、じゃあそれをチャラにするって事で」


「OK、これで君と僕は手術が終わるまでは医者と患者の関係だ」



 すっと、アグラインが手を差し出してくる。そういえば友人と思っていたが一度もその体に触れてないなと思い返しつつ。ディサイドはその手を握り返した。



「けど、アグラインさんって偉い人ですよね? 手術の経験って――」


「ここ200年で1000件という数字は、生体接続手術に限れば火星で一番だよ?」



 ディサイドの持つタブレットに、ここ300年の火星人類マーズユニティにおける医療データが表示される。合計件数約1万件の中でその10%を個人が担当しているというのだからその言葉に嘘は無さそうだ。



「成功率は…… 100%?!」


「そりゃそうだよ、無理そうな人はカウンセリングで弾いているからね」



 確かに技術的に問題がないのなら、主観クオリア周りで十分な確認を行えば

生体接続手術に失敗しないというのは理屈ではある。



「それでも、一度も失敗していないってのは……」


「ああ、自分の体で何度かやったからね」



 赤毛の男は、恐ろしいことをさらりと口にする。



「自分の遺伝子をベースにしたクローンを?」


「その上で、ちゃんと主観クオリアまで教育で同期させている」



 確かに法的には問題はない。主観クオリアを同期して番号を共有しているのならユニティ法上では完全に同一人物として扱われる。だからといってこの話を聞けば多くの人は眉を潜めるだろう。



「無論、倫理的な問題を回避する為培養した10人の中からランダムで選んだしね」


「……生き残った個体は?」


「何を隠そう、この体はその時に対象にならなかった1体さ」



 余りにも倫理から外れた上で、非合理な選択ではある。ただそういう酔狂をやるタイプの人間なのはなんとなく。いやこの部屋に積みあがった紙の書籍が示している。



「そもそもオリジナルの肉体は100年前に失われているからね」



 では、何が。アグラインという個人を規定しているのか?



「法的にも、主観的にもあんまり意味はない。せいぜい――」



 そもそも生まれたままの体で百年も二百年も生き続けることは出来ない。仮に生身ウェットを維持しているように見えても。ホモ・サピエンスの脳は生き続ける限りどこかで限界リミットを迎えて。


 それを何かで置き換える必要が生まれるのだ。



「まぁ、生まれた時から使っていたタオルケットを捨てたのと大差ないよ」



 生きる限り人は、かつて沼男スワンプマンと呼ばれた問題に直面する。


 だからこそこの火星ほしの人類はその定義を番号ナンバーとクオリアテストに求め。数百年それで社会を回し続けてきたのだ。



「……さて、カウンセリングを再開しよう」



 改めてアグラインは深く椅子に腰かけ、顔を傾けこめかみを軽く指で叩きつつ――



「君は生体接続手術がどういうものか理解はしているかい?」



 ディサイドにそんな質問を投げかけてくる。



「78%くらいは、生体脳内の主観クオリアとネットワークを接続する手術だろ?」



 生きている脳内に構成されたシナプスのネットワーク上にくみ上げられた主観クオリアを、火星人類マーズユニティが作り上げたネットワークに接続する。


 無論、タブレット端末を通じてユニティの情報にアクセスすることは。ネットワークに生体接続していないディサイドでも可能だ。


 入力ディバイスを工夫し、AI等を補助に使って。火星中のネットワークを一般的な『人間』と同程度にそこにある情報を収集出来ている自信はある。


 けれど、それでは足りない。



「その結果、何が発生すると思う?」


「……概算で俺のネットワーク上の作業効率が900%くらい上昇する」



 視覚と聴覚で接続できる範囲では、ネットワーク上に存在する気配を探れない。


 どこまで効率を高めても、完全な生身ウェットでは届かない領域がネットワークの上にはあって――



「……その理解で間違いはないよ。けれどね」



 アグラインは少しだけ、寂しそうな顔をする。



「手術が成功してもネットワークに接続することで、失われるものもある」


「たとえば、なにが……?」


「一番大きなものは主観クオリアの強度だ」



 自分と他人を分けるもの、生身フレッシュな個体であれば気にする必要がないどこまでが己なのかという当たり前の感覚。



「ネットワークに繋がっただけで、自分が分からなくなると?」


「ユニティが規定する主観クオリアに大なり小なり影響は出るね」


「ただ、処理能力と知識が多くなるわけでは…… ない?」



 手術自体の成功率には不安があったけれど、成功して問題が起こるというパターンはディサイドの意識の中にはなかった。



「最悪の場合、生体の脳が情報を際限なく取り込み主観クオリアが崩壊する」


「……情報過負荷で廃人になるってことか」



 理屈としては理解も実感も出来る。視覚や聴覚を用いた間接的な情報を得る一般的な学習ですらやり過ぎれば頭が痛くなって寝込むことがあるのだから。



「そしておおむね幼くて優秀な個体であるほどその傾向は強くなる」


「そこまで俺は優秀じゃない」


「20歳を越えずに登録傭兵マーセナリーズになれる人間には才能があるよ」



 どうやらアグラインは、ディサイドのことを過剰に評価しているように思える。

そもそもの話、自分一人では絶対に登録傭兵マーセナリーズになんてなれなかったというのに。



「主観崩壊が起こる確率は、有為なデータが足りずに出せないが――」


「そもそも、失敗する可能性がある相手には手術をしないからか?」


「ああ、結果としてイレギュラーなデータは集まらない」



 発展しすぎてしまった故の、莫大なデータが蓄積されてしまったが故の問題。外れ値をそもそも測定する機会がなくなってしまう。すべてを予測できる神がサイコロを振る必要がないように。


 だがサイコロを振り続け、物語がどう動くかまでは確率は導いてくれない。



「私の直感でいいなら、君の場合は成功率は8割を切ると思うよ」


「意外と高いな」


「君という評価できる存在を賭けるにしては分が悪い」



 本気で心配をしてくれているのは分かる。



「個人的には、位相転換読込機ヴァルタースキャナを使った方がマシだと思うよ」



 ただ単に、意識をネットワークと接続するならそれが一番早いし確実に主観クオリアは保障される。同意を持ったうえで精度の高いものを用意すればデメリットはほぼないに等しいのは理解できる。



「けれど、肉体を失うだろう?」


「……私が今の君と同等の肉体を用意するとするなら?」



 確かに、理屈の上ではそれがベストだ。クロームでもなく、樹脂レジンでもなく、ちゃんと生身ウェットな肉体を用意してくれるのだろう。払える金額ならそれこそ自分が出すという選択肢すら存在するのかもしれない。



「そちらの方が手間もないし、成功確率は100%だと保証できる」



 アグラインは間違いなく、善意でこの提案を行ってくれている。実際に主観的にも、客観的にもそれは生体接続手術を成功させるのと差は無いのだろう。


 だがその上で――



「悪いなアグライン、俺はまだガキだから」



 そう、ガキだ。まだ20年も生きていない子供でしかなく。一般的に数百年単位で命を繋ぐこの火星ほしの人類としては未熟であるからこそ。



「お気に入りの毛布を持ったまま、抱きしめたい相手がいるんだ」



 この体で、アイリスの隣に居たい。そのために多少のリスクを背負ったとしても、致命的な自己矛盾コンクリフトを起こしている彼女に手を伸ばすため、生体接続手術を受ける。


 生身フレッシュでは届かない、ネットワーク上の主観クオリアに手を伸ばすために。



「先ほどの言葉を訂正しよう、ディサイド」



 アグラインはため息をつき――



「君は、愚かだ。だからこそ手術は成功するよ」



 にやりと、楽しそうな笑みをディサイドに返してくれた。



◇◇◇ Love is mostly stupid and precious. ◇◇◇

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