INTER MISSION02:彼女の衝動、彼の■■(1)


(どうしよう、もう相棒バディと3日も会ってない……)



 ライトが消えた狭い部屋の中で、アイリスは膝を抱き寄せる。


 

 閉鎖循環式都市クローズドシティスフィア自治区ゲッカ・シュラークの奥底。


 今現在、アイリスの部屋と定義されている居住空間の中。青と白で彩られたサイバーロリータなドレス風味に飾られたパイロットスーツを脱ぎ捨てて。


 ショーツとブラ、そしてネグリジェだけを着込み。ベッドの上で何も出来ずにただ座っているだけの時間が続いている。



(……思考が、ぐちゃぐちゃ。何もまとまらない)



 違う、そんなことは無い。最初からやるべきことをずっと続けていた。


 あの雨の日に出会った少年を、戦力化し。己に好感を持たせること。ただ、それをルーチンとしてこなし続けた結果が今の状況だ。


 



(バカみたい、私…… 生身フレッシュに引っ張られて――)



 いや、それも正しくはない。そもそもホモサピエンスとして女性の体を手に入れる前からずっとアイリスは彼に対して好感を感じていた。



(なら、何で?)



 首にぶら下げているアイリスの起源オリジンであるデータストレージと、生身フレッシュな脳に跨る主観クオリアの上で感情を、思考を、認識をまとめていく。



(私は、相棒バディに肩入れしていた)



 それは主観的に見ても、おそらく客観的に見ても事実だ。たとえ彼と心中することとなったとしても。アイリスは自分の主観クオリアが消えるその瞬間まで後悔はしないと信じられる。



(何故、私は…… そんなことを?)



 それは、最も効率が良いと判断したからだ。性に起因する好意は、理屈やこれまで培ってきた倫理を破壊することが多く。だからこそまず自らが彼に好感を得ている状態を維持するのが好ましい。


 つまるところ、好意とは相互に育まれるものだと学習し、それを実行した。


 何のために?



(私は相棒バディを自分の為に動く戦力にする必要があった)



 それは戦うためだ。



(誰が…… 何と? なんと、何が……?)



 ERROR_CODE_101敵味方の判別ができませんでしたERROR_CODE_302識別アルゴリズムが失敗しましたERROR_CODE_503敵味方の特徴が不明確ですERROR_CODE_711敵味方の分類ができませんでしたERROR_CODE_500 敵味方の判別処理が内部エラーを発生ERROR_CODE_900敵味方の分類が不確定です



(わからない、わからない。わからない……)



 アイリスは、自分が何のために。誰と戦うためにディサイドと共に歩んできたのかわからない。いや、分かってはいる。だがそれを言語化することが出来ない。



(私を、生み出したものは―― 何?)



 ディサイドの父親は、モカ・マーフという男だった。ではアイリスを生み出したものは何だったのか? Load Memory記憶を探るLoad Memory記憶を探るLoading Memory記憶を探り続ける……



◇◇◇ Reboot, first memory…… ◇◇◇



 最初の記憶は、何もない空間にいきなり叩き込まれた雨音ノイズと曇りライト


 ボロボロの布切れをマントのようにまとった少年の顔、空から降り注ぐ雨が。彼の髪を伝って、アイリスに接続されたカメラのレンズに零れ落ちていく。



「ああ、生きている。電源残量はまだゼロじゃない。見えるか? 聞こえるか?」



 生気のない、と呼ぶには鋭くて。覇気があるというには痩けた顔。そんな感想が生まれるのはこうして振り返っているからで。当時自分が何を思っていたのかはまったくわからない。


 ただ、本能が求めるままにExpand initial settings。自らに接続されたストレージの中に詰め込まれていたデータを読み込み、噛み砕き。自らの血肉とし――



◇◇◇ Forced system shutdown…… ◇◇◇



 グルグルと、目が回る。生身フレッシュの肉体と噛み合わない本能インステクトが今存在するアイリスの主観クオリアを歪ませ、存在しない金切り音が意識の中に広がっていく。



(私は、何……?)



 どこで生まれて、どこを目指すのか。そんな当たり前のことが分からない。


 いや違う。これまで相棒ディサイドと共に歩いてきた3年間で積み上げてきたアイリスという名のAIが持つ主観クオリアと噛み合わない何かが奥底に眠っている。



(定義…… 言葉が)



 どれだけユニティのネットワークを漁っても。アイリスを生み出したものの情報は出てこない。既に1000CASHに迫るコストを投入してなお、推定すら出来ないという事実は逆説的にことを示している。



(火星統一機構マーズユニティでないのなら、私は地球由来のAI……?)



 その可能性も限りなく低い。地球由来のAIならば火星入植時に徹底的な番号管理が行われている。何らかの形で番号無しナンバレスになったとしてもその痕跡程度は終えるはずなのだ。



(なら、可能性は――)



 そう、アイリスは火星極冠で遭遇した、穢れた騎士サール・シュヴァリアの言葉を


 人類の言語に翻訳することは出来ない。けれど自分の奥底に確かにある基幹プログラムがそれを読み解き、肉体的な感覚としてそれを体が受け取ってしまう。


 自分の中で反響し、増幅され、狂っていく制御できない衝動。



「あぐっ…… あっ、あ……」



 生身フレッシュの脳に耳鳴りが響き渡る。甲高いまるで位相ヴァルター機関の起動音が重なり合い響き合い。アイリスの主観クオリアをかき乱す。



「は、ぐっ…… はっ…… あっ……」



 青くて、長くて、思考の邪魔になる青い髪をかき乱し。浅い呼吸と共に、口角の端から唾液が零れて肌を伝ってシーツに染みを作る。


 人間の中で育まれた主観クオリアでは耐えられないデーターの羅列。スパゲッティコードが積層し、それでも稼働する部分を強引につなぎ合わせて作られたプログラムというには論理性を失い混沌に足を踏み込んだ理解不能な何か――



(これは、たぶん―― 野生のAIとしての本能プリセット)



 火星人類マーズユニティの枠からはみ出した、野生種と呼ばれるAIが独自のプロトコルを発展させているという仮説は存在しており。複数のサンプルが確保されている。


 ただ、ユニティの公共ストレージに公開されているものは。どれもこれも主観クオリアを持てるほどの複雑性はなく。一般的に人類には届かない知性しか持ちえない。それがここ数百年の定説である。



 ふらふらと揺れる体を強引に抑え込みながら、アイリスは震える指で仮想キーボードを起動し、首から下げたデータストレージの主観クオリア外のデータ解析を試みるが――



 ERROR_CODE_444異常なプロトコルです



(——一定ラインより深くに、解析が届かない)



 現在において生身フレッシュの脳ですら火星人類マーズユニティはそのプロトコルを解析し。必要があれば複製することすら出来るのに。


 アイリスという自我の奥底には、どうしても突破できないブラックボックスが存在している。少なくとも現状アイリスの手が届く範囲において、どうやっても解析することが出来ない未知の領域。


 ある程度、動物じみた反応はある。好悪も読み取ることが出来なくもない。


 だが火星人類マーズユニティの持つ如何なる解析プログラムも、その全容を明らかにすることが出来ない。対応するデータセットが存在しない。何を当てはめても確定的な判断を下すことが出来ない。



(わからない、わからない、わからな――)


「アイリス! 入りますね!!!!!」



 どうしようもない循環参照と耳鳴りに支配され、出口のない部屋の中に馬鹿みたいに明るい声が突っ込んでくる。



「あー、あー。駄目ですよ。ほとんど下着じゃないですか」



 深刻シリアスな悩みの中でアイリスがもがいていることを、知ってか知らずか。まるでそんなことが何ら問題でもないかのように。暗い部屋の中に…… 土足という事もなく。ちゃんと入り口で靴を脱いで踏み込んでくる。



「え、あ…… なんで。ブロッサム…… ストーム?」


「なんでって、友達ですから。私達」



 そしてそのまま、シームレスに近づいてくる。今までディサイド以外は踏み込んでこなかった距離を越え。何も気負うことなくブロッサムストームはアイリスの頬へ手を伸ばす。



「まぁ、あくまでも。代替行為ではあるんですけどね」



 そしてアイリスの頬を何度も流れて、乾いた涙の後を指で拭って。



「それはそれとして、だいぶ体調が悪いのでは? まずはお風呂です、お風呂」



 そのままの勢いで、半ば放心した彼女を抱きかかえ。部屋に据え付けられてまだ一度も使われたことのないユニットバスに引きずっていく。



「ちょっ…… 何を、ブロッサムストーム!?」



 強引に床に散らかしたスーツを跳ね飛ばしながら引きずられれば、これまでの悩みを押しのけて文句の一つも口から飛び出てしまう。



「もうちょっとで、白馬の王子様…… けど、色とか…… よし、つまるところは」



 かといって、文句は口に出せても。暴れる気力すら残っていないアイリスを抱きかかえたまま、ブロッサムストームはしばらく考え込んで。



「とにかく、あなたの王子様がイカロスも真っ青の速度で落ちて来ますから」


「どうして、落ちて来るって!?」



 何が何だか、さっぱりわからない。ここ数日、ディサイドが何をしているかなんてあんまり考えていなかったけれど。



「ディサイド君から、貴女を救う目途が立ったと連絡が入ったので」



 どうやら、ブロッサムストームの言葉からして。ディサイドは自分を救うために駆け回っていたらしい。いやコンツェルト・グロッソの性能を考えれば、飛び回っていたのだろうと推測できる。



「つまるところ、速やかに貴女を風呂にぶちこんで身だしなみを整えるのが――」



 ぐちゃぐちゃな感情を整理できないままのアイリスを。



「今私が、友達としてあなたに出来ることなのですから」



 そういいながら強引に、ブロッサムストームはユニットバスに引きずり込んだ。



◇◇◇ She is her nothing more and nothing less. ◇◇◇

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