MISSION09:木星帰還者保護任務(中)



「……凄いな、こんなたくさんの」



 ライテック社のアキダリア支部に、降下ポッドを届けて依頼完了。


 当初の予定ではそのはずだった。しかしどうやら木星帰還者ジュピターリターナに気に入られてしまったらしく、事後報告アフターブリーフィング名目でオフィスに通されて――


 案内役の樹脂人形レジンドールが開いた扉の先には、デスクを囲むように乱立する書棚と、四方の壁に積み上げられた無数の書籍が待ち受けていた。


 端末で読む書籍ではなく、物理的に存在する紙面書籍ペーパーブックが積み上げられている光景が広がっていて。ディサイドはただ圧倒されてしまう。

 

 それこそ、その気になればネットワーク上でこの火星ほしに記録されているすべての書籍を閲覧することが出来る。それを考えればわざわざ紙にデータを印刷し製本して本として保管する行為は道楽でしかないのだが。



(蔵書数は―― 公開されています。総計65025冊)



 アイリスのでこの部屋の中だけでアクセスできるローカルデータストレージに書籍目録インデックスがある事に気づいて、ディサイドは端末を起動する。



(蔵書の傾向としては古典的なSF娯楽小説と、辞書辞典の類が多めですね)


「この棚は百科事典…… こっちは小説、星の王子様、伝説巨人、我は――」



 見知ったもの殆どない、むしろその題名の大半はディサイドが初めて見るばかり。けれどネットワーク上に存在する莫大な書籍データより、ずっと少ないはずのこの部屋に積み上げられた本ほうがずっと強い存在感を放っていると思えた。



「いやぁ、すまない。身だしなみを整えるのに時間がかかってしまって。ほう?」



 通信機から聞こえた木星帰還者ジュピターリターナと同じ声が背後から投げかけられてようやく、ディサイドは依頼者がやって来たことに気が付いた。どうやら思った以上に夢中になって、自動ドアが開く音すら聞こえなかったらしい。



「ああ、すいません。なんか、こんなに本があって…… ものすごいなって」


「いやぁ。嬉しいものだねぇ――」



 木星帰還者ジュピターリターナ生身フレッシュな男の姿で現れた。目に留まるのは炎のような赤いくせっ毛。



「ふふん、この火星ほしではエリシウムの大図書館に次ぐ蔵書数があるとはいえ」


 

 ディサイドよりも少し高い背、眼鏡をかけた整った顔立ち。しかし口元に浮かべた笑みと、光のない覗き込めば吸い込まれそうな瞳。そして纏った白衣が全体の印象を怪しげなものにしているが――



「そうも素直に目を輝かせてくれると、書籍狂いビブリオフィリアとして鼻が高くなるねぇ」



 その声色は買い取られなかったジャンクの中から、カッコいいものを集めて並べる子供のように弾んでいて。もう付き合いのなくなった、生きているかどうかすら怪しく、番号ナンバーどころか名前すら無かった隣人達を少しだけ思い出す。



「背表紙だけじゃなくて、ちゃんと読める本なんですよね…… これ全部」


「ああ、間違いなく。誤字脱字の類は、少しはあるが読める本だね」



 データではなく、印刷したものだからこそ修正が効かない不便さまで含めて紙面書籍ペーパーブックという存在を好んでいるのだろう。まだ半日も付き合っていない、いやから数分しか経っていないのにそれがよく分かる。

 


「ふむ、折角だ。何冊か読んでみるかい?」



 今の時間はあくまでも事後報告アフターブリーフィング名目であり、少なくとも無関係な本をを読むなんてあまりにもそこから逸脱しているというのに。



「そう、ですね。ならお言葉に甘えて……」



 どうにもそれを受け入れさせる魔力というものが、この赤毛の木星帰還者ジュピターリターナには。いや、この部屋に積まれている紙面書籍ペーパーブックにはあるのかもしれない。


 それでも、最低限の理性であまり時間のかからない。例えばレオ・レオニのような絵本の類が良いかと端末に作者名を入力して――



「っと、並行植物?」



 端末から見る書籍目録インデックス上のデータでは文庫本らしく、絵本ではない。作者は確かにレオ・レオニだがこれだけ妙に浮いているように見えた。



「ふむ、それに目を付けるとは趣味が良い―― この本だね」


 

 ディサイドのつぶやきに応え、木星帰還者ジュピターリターナはその単行本を差し出して来る。


 この数万冊に及ぶ本がどこに入っているのか理解しているのか、それとも単純にネットワークに接続された主観クオリアでさっと検索して場所を特定したのか。普通に考えれば後者の筈なのだけれど。


 もしかすると本当にこの大量に積み上げられた本の場所をちゃんと記憶しているのかもしれない。そう思えるほどに、彼の動きは自然だった。



「あっと…… ありがとうございます」



 流石に全部読むのは時間がかかりそうだし、最初の方だけ軽く読んでみようとディサイドは生まれて初めて触る紙の本のページを開いて――



◇◇◇ Boy is addicted to reading ◇◇◇



 ふと、甘い匂いが鼻をくすぐって。ディサイドは顔を上げた。



「おっと、読書の邪魔をしてしまったかな?」



 気が付くと紙とインクのにおいの中に、香ばしい焼き菓子と紅茶の匂いが混じっていて、それを追って視線を巡らせると。


 クラシカルな木目のデスクの上に、ケーキやクッキー、そしてキラキラとした砂糖菓子が並べられた鳥かごのようなものと、品の良いティーセットが並べられていた。



「え? って、時間は――」


「まぁ読み始めてから一時間、そろそろティーブレイクでもと思ってね」



 どうやら黙々と本を読む姿を楽しんでいたらしいが。端末で確認すると既に一時間半近くの時間が過ぎ去っており。随分と長い時間、依頼者を放置して本に読み嵌ってしまったのは流石にやらかしてしまったとディサイドは感じてしまう。



「200%申し訳ないです。あ―― 名前」



 更に、相手の名前を確かめていないという事実にも気が付いてしまった。自己紹介をする前に紙面書籍ペーパーブックで盛り上がってしまったからというのは、言い訳にはなっても、信用を売りにする傭兵としては良い事でもない。



「確かに、言われてみれば自己紹介もまだだったねェ」



 赤毛の木星帰還者ジュピターリターナは口元に笑みを浮かべ椅子から立ち上がり。



「私はアグライン、ライテック社の木星開発主任で――」



 立場は依頼に書いてあった通り。ただそうなると少しだけファーストコンタクトの時に、ポッドを回収しにくるのが社員ではなく傭兵であることを知らなかった事実に違和感は出てくるけれど。



「ついでに、仕方なくアキダリア支部長をやっている」



 しかし、オマケのように告げられた肩書が全てを吹き飛ばす。この火星ほしにおける最大の企業法人ドミナンスコングロマリットにおける支部長クラスとなれば、それこそ億単位の人間を動かせる。


 いや、逆に自分のオフィスを紙面書籍ペーパーブックで埋め尽くしている事実から見ればそうである方が自然ですらある。



「えっと、あ―― 傭兵登録番号マーセナリーナンバー0874です」


「ふむ、出来ればナンバーじゃなくて君の名前を教えて貰っても?」 


「押しが強いですね、アグラインさん」



 別に、ディサイドという名前はユニティに登録されている訳でもなく。傭兵としてそれこそ 傭兵登録番号マーセナリーナンバーを答えるべきなのだか。



「よく言われ―― いやそうでもないか。ここまで他人に入れ込むのは久々かな?」


「それは喜んでいいんですかね? まぁ、ディサイドと名乗っています」


「ふむ、どうかな? 無茶は言うが、損をさせるつもりはないよ」



 ここまで気安くされたのなら、名前を名乗るべきだし。それを嫌だと思わない程度にはアグラインに対して好意を感じていた。



「さて、折角だし。お茶とお茶菓子が冷める前にティータイムにしようか」


「……そうですね、頂きます」



 さて、これを自腹で買えばいくらになるのか? なんて無粋な事を考えながら席に座れば、そんなディサイドの心を見透かしたように。



「安心して欲しい、今この瞬間も事後報告アフターブリーフィングとして清算するさ」


「そこまでされると、少し裏が怖くなりますね」



 体を狙うような下心は無さそうだと思えた。若くて身綺麗で生身フレッシュであるというだけで、男女の性差に関わらずそういう目で見られることはあるし。ディサイド自身だって、他人にそう言う視線を向けた事もある。


 だからこそアグラインから自分に対して、その手の視線が向けられていないことも分かるし。それはそれとして、それを口にできる程度には気安さもある。



「まぁ、少しはあるさ。にはちょっとした下心があってね」


「依頼した、私……? あぁ、そういうことですか」



 木星開発主任とライテック社アキダリア支部長。同時にこなすには無理があるし言動に矛盾もあると思っていたけれど。ようやくディサイドはその違和感の正体を理解出来た。


 一つの名前と登録番号に、別々の主観クオリアで稼働する人格の記憶を集積。必要に応じて分離して別個体として活動する。


 並の思考や精神力では統一性を保てず崩壊する危険性が高い。けれど最大の企業法人ドミナンスコングロマリットの支部長クラスともなれば、それくらいのことが出来なければ務まらないのだろう。



「そう、だから名前を聞く前に。私は君の名前を知っていた事になるね」


「そんなに俺、有名な傭兵じゃないと思うんですけど」


「実は社内の広域戦略機動部隊と、木星開発部は仲が悪くてね」



 ライテック社の広域戦略機動部隊。確かにそういう社内で今回のようなポッド回収任務をこなせるチームが存在しているのは当然で。その上で、社内のいざこざの結果ディサイドにこの依頼が回って来たというのは理屈が通る。



「けど、ライテック社の広域戦略機動部隊…… 何か、聞き覚えが」


「ふふっ! はははははははははっ! こりゃ痛快で最高だねぇ!」



 ディサイドの何気ない言葉に、アグラインは手にした紅茶をこぼしかねない勢いで

笑い声をあげた。下品に片足を突っ込みかけた声を出しつつも、その整った顔立ちもあって妙に絵になっているなとどうでもいい事を考える。



「君達が準優勝を勝ち取ったオリンポス杯で、3位入賞すら出来なかった連中だよ」


「あー、成程。それは…… 僕の名前も覚えてくれますか」



 色々と、問題はある。少なくともライテック社内の政治的なゴタゴタに軽く巻き込まれた形になっている気はするが。



「折角だ、本の感想とついでに。オリンポス杯の武勇伝を聞かせてくれ」



 ただ、彼が心から楽しそうに本の感想と、レースの話を聞きたがっていて。



「結構、紅茶とお菓子作りには自信があってね」



 ついでに生まれて初めて目にする、色とりどりの焼き菓子の甘い香りに。とりあえず細かい事は後でアイリスと話し合いながら考えようと。ディサイドは一旦問題を棚上げすることにした。



◇◇◇ The boy is enjoying his first tea time ◇◇◇

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