第18話 私にしてみない?②



 悪魔が住む世界を魔界と言い、天使や神が住む世界を天界と言い、エイレーネー達人間が住む世界を人間界と言う。

 生きていた王子の話はまた今度、と横へ置いたイヴが意外な事実を知って考え中のエイレーネーに近付いた。イヴ? と首を傾げるもイヴは距離を縮めてくる。逸脱した美貌が眼前に迫り、うさぎだった彼しか知らなかったエイレーネーは眉尻を下げて困って見せた。頬が熱いのは気のせいだと思いたい。



「レーネはこのまま、あの婚約者君と婚約を続けるの?」

「分からないわ。私は今の生活が性に合っているから、ソレイユ公爵夫人としての役目は果たせないと思うの」

「じゃあ、立場は抜きにして婚約者の事はどう思ってるの?」



 これまで何度かイヴが手を差し伸べても、ラウルへの気持ちが捨てられなくて拒んできた。邪魔をする者が誰もいなくなり、漸く昔のような関係を取り戻しつつある。ラウルを好きな気持ちは未だある。が、このまま婚約を続けても良いのかと悩む自分もいた。



「ラウルの事は今でも好きよ」

「でもこのまま婚約者でいてもいいのかとは思ってるんでしょう?」

「……ええ」



 イヴがある提案をした。



「私にしなよ」

「え」

「私は君をよく知っているし、そうしたらレーネは何の負い目もなく此処にいられる。此処にはダグラスもいる」

「で、でも」

「悩むくらいなら婚約を解消したらいいよ。婚約者君がごねたって、ダグラスさえ王国に留まれば大人達は納得するんだから」



 元々がダグラスを王国に留め、ダグラス譲りの魔力を持つエイレーネーを王家に取り込みたい思惑から結ばれたラウルとの婚約。解消されてもイヴの言う通り、ダグラスが王国に居続ければ問題は解決となる。当人達の気持ちは無視をされるだけ。


 ずっと女性だと思っていたイヴが男性と知っても戸惑いはしても、今はあまり気にしなくなった。友人を突然異性として見ろと言われてもエイレーネーには無理だった。イヴが正直エイレーネーをどう思っているのか、この際だからと訊ねた。

 ラウルではなく、イヴにしろと言うのなら、好意的には見られている筈。



「イヴは私が好きなの?」

「そうではなかったら言わないよ」

「私がお父さんの娘だから?」

「それもある。だけど、ダグラスの許へ行った方が楽なのに自分から進んで苦しい場所に居続けた君に興味が湧いた。その理由が婚約者君と知った時理解に苦しんだ。報われない気持ちをいつまでも持ち続ける君に諦めさせる方法は幾らでもあった。しなかったのは、レーネの妹君と仲良くしながら君にご執心な婚約者君や妹と仲良くよろしくしておきながら婚約者君を捨てられない君が気になったから、かな」

「私を好きな理由とは結び付かないわ」

「そう? 人間の物差しで測ると何も分からなくなるよ」



 そうだった。イヴは天使(仮)だった。



「レーネの側にいると楽しいし、退屈しない。婚約者君とこのまま婚約をし続けたらレーネはいずれ此処を出て行くだろう? 正体を明かしたから、再びうさぎの姿で君の側にはいられない。此処に居ようよ、レーネ」

「イヴ……」



 エイレーネーとて、正体が男性と分かったイヴをうさぎの姿になっても連れて行けない。

 イヴがいてくれたから、味方がいないホロロギウム家での生活に耐えられた。


 ラウルを選ぶか、イヴを選ぶか。

 エイレーネーはどちらも選べない。


 けれど、ラウルとの婚約継続はやはり難しいと改めて知れた。


 瞳を閉じ、1度深呼吸をして、イヴを見つめた。



「明日の話し合いでラウルとの婚約解消を陛下やソレイユ公爵様に進言する。でも、イヴを選ぶとは言わない」

「じゃあ、どうするの?」

「お父さんと一緒に生活してある願いが出来たの。ホロロギウム公爵令嬢のエイレーネーより、大魔法使いの娘エイレーネーとして生きたいと。私は魔法使いとして生きていきたい」

「それがレーネの願い?」

「ええ」



 貴族として生きられないなら公爵となるラウルの側にはいられない。

 ダグラスの娘として、魔法使いとして生きていく。貴族でなくても魔法使いとして国で働ける。

「そう」と発したイヴが適切な距離を作った。どちらかが動けばキスする距離でいたと今更ながら気付き、顔全体を真っ赤にしたら不思議そうに見られた。



「どうしたの?」

「な、なんでもないわ。ゆ、夕飯の準備をしましょう」



 顔が赤い理由を誤魔化し、献立も考えていないのに夕飯の準備に取り掛かった。




 〇●



 待ち望んでいたエイレーネーとの時間は、日常生活よりも時間の流れがあまりにも早い。本心から楽しいと感じる時ほど、時間は早く流れるのだと実感する。ソレイユ公爵邸に着くと家令が待ち構えていて、執務室で父が待っていると伝えられ、屋敷に入ってすぐに父のいる執務室に足を向けた。ノックをして入室の許可を得て入ると奥の執務机で書類を睨む父ルーベンの青の瞳がラウルに向かれた。



「お帰りラウル」

「ただいま戻りました、父上」

「エイレーネー嬢とはうまくいっているか?」

「ホロロギウム家にいた時とは比べ物にならないくらい」

「そうか。お前の鈍感ぶりには驚いたが……ある意味では仕方なかったのかもな」

「……」



 エイレーネーとの時間を邪魔する者はダグラスの屋敷には誰もいない。若干1名、気を付けないとならない人? はいるが、表立って何かをされてはない。エイレーネーといる時はダグラスもイヴもほぼ顔を出さない。

 それでも、だ。エイレーネーとの時間がホロロギウム邸を離れただけで簡単に取れるのなら、もっと早くから実行していたら良かった。不思議とラウルはホロロギウム邸から離れた場所でエイレーネーに会うという発想がなかった。デートの誘いは何度かしたがどれも無理矢理ガブリエルが付いて来て2人だけの時間は出来ず、以降は誘ってもエイレーネーからは遠回しの拒否の返事が来続け、ラウルも誘えなかった。その返事がエイレーネーが書いたかどうかは真偽不明。ラウルが来ても報せを受けないと言われた、公爵側が勝手に握り潰した可能性が高い。



「明日の話し合いには聖女様が陛下に同行する」

「聖女様が?」

「ああ。嘘をつけないようにだ」



 主にホロロギウム家の面々が、だ。



「ソレイユ公爵家からは僕とラウル。異存はないな?」

「勿論です」

「エイレーネー嬢との婚約だが、彼女がダグラスの許に行ってもソレイユ家側としては継続するつもりだ。ダグラス譲りの魔力を持つ彼女を王家に取り込みたいが為とダグラスを王国に留めておく為の婚約だからな。だがエイレーネー嬢側から、婚約解消の意思を出されれば受けるつもりでもいる」

「ど、どうして」

「僕やカルロッタからしてもエイレーネー嬢がお前の妻としてソレイユ家に来てくれるのはうれしい。だが、彼女自身が貴族世界で生きていくのを窮屈に感じたのなら、無理に留める気はない。エイレーネー嬢は見目や魔力だけじゃない、何となくだが中身もダグラスに似ている気がしてな」



 公爵令嬢としてよりも、魔法使いとしての自分が性に合っていると話されたばかりで。生き生きと魔法を使うエイレーネーの楽し気な姿が目に浮かんだ。

 膨大な魔力に見合う魔法の才能を持つエイレーネーなら、確かに魔法使いとして生きていくのが似合っている。

 もしも、もしも、明日の話し合いで婚約解消となるのなら、潔く身を引く覚悟をラウルは持たねばならない。



「ところで、今のところダグラスの結界に弾かれてはないな?」

「え? ええ」

「そうか」

「あの、父上。前に父上や母上が言っていた予想なんですが」

「明日ダグラスに確認する。予想通りだと思うがな」



 今までエイレーネーに会えず、ガブリエルばかりに会える状況に大した違和感を持たなかったのに今になって何故と強く持つ。その理由を両親がある予想を立てた。最初に思いついたのは父だが、母もダグラスとは面識があり納得していた。もしもそうなら、自分はエイレーネーにとって害だったのかと深く落ち込んだ。ラウル自身にその気はなくてもガブリエルや周りがそうはさせなかった。

「今夜は早く休むことだ。明日はお前にとっても大事な日になるのだからな」

「はい……」



 婚約をずっと気にしていては気が滅入り、朝起きられなくなるのは困る。苦笑する父に退室の意思を表し、扉を開けた直後「ラウル」と呼ばれた。

 ラウルは顔だけ向いた。



「はい」

「今度、領地に戻ってガブに会いに行くか? ガブに会えば、お前も少しは元気になるだろう」

「そうですね……ガブに最後に会いに行ったのは数か月前でしたね」



 金に近い茶色の毛に深い緑の瞳をした大型の狐の魔獣ガブは、父が王子時代に契約し、ソレイユ家の婿養子となっても契約を継続しておりラウルが赤ん坊の時から仲良しである。王都には連れて来られないので普段はソレイユ領で生活をしており、領地に帰る時は必ず最初ガブに会いに行く。契約年数が長く、元々の気質もあってガブは人懐っこく性格も穏やか。少々悪戯好きだが昔はよくガブと一緒になって悪戯をして叱られた。良い思い出だ。

 部屋に戻ったラウルはふと、初めてガブリエルに会った時を思い出した。髪や瞳の色、名前、ラウルに向ける人懐っこそうな姿。初対面の際、ついガブによく似た女の子だなと感動してしまい、無性にガブに会いたくなった。

 良いことが起きると悪いことも起きる。ガブリエルを紹介されて以降、急にエイレーネーとの距離が遠くなった。



「明日は絶対……」



 やっと取り戻せたエイレーネーとの楽しい時間をラウルは絶対に手放したくない。



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