第7話 実父、来る



 世間で言えばメルルとダグラスは不貞を犯した。仮令、元は婚約者同士だったとしても。メルルの生家がダグラスの弟との婚約を結び直したのだから、メルルの婚約者は代わった。それでも2人が関係を続けたのは真実……心の底から愛し合っていたからだ。


 叔父と姪の立場でも、少しでもいいから、ガブリエルのように優しく接してほしかった。母が亡くなった後、見せ付けられた3人家族の光景。エイレーネーに見せていたのも、ガブリエルに向ける愛情もどれも本心からくるもので。エイレーネーだって愛されたいと願った。

 渇望するまでに欲しいと抱かないのはイヴの存在が大きい。メルルが亡くなったと聞くも、エイレーネーを引き取る事が出来なかったダグラスが苦肉の策としてイヴを寄越してくれた。

 不思議な存在ではあるがエイレーネーにとったら数少ない友達。絶大な信頼を寄せている。



「レーネ。今出て行けば、責められるのは公爵家になる。ダグラスの気配が近いから、行くなら今だよ」



 思わず「え? そうなの?」と口に出しそうになったのをぐっと堪え、声を荒げ過ぎたせいか肩で息をするロナウドと対峙した。



「そうさせて頂きます! 私だって、私を大事にしてくれない人達しかいない家に何時迄もいたくないので!」

「なっ! な、なにを」

「なにを? 貴方が出て行けと言ったのです。だから、言う通り出て行くんです」

「成人も迎えていない貴族の娘が外の世界でどうやって生きていくつもりだ。まさか、ダグラスに助けを求める気か? 無駄だ。あいつは魔法以外に一切の興味を示さない。血の繋がった娘でもだ」

「だとしても、私を悪者にしてお父さんへの鬱憤を晴らす人とこれ以上いたくありません!」

「っ!! お、お父さん、だと? 1度もお前に会いに来ないあの男を父親だと言うのか!!」



 1度も会っていなくてもイヴを通して実父からの愛は受け取っている。

「レーネ。そろそろ行こう。ダグラスが来た」隣にいるイヴの言葉で今度こそ声を出してしまい、駆け出したイヴがロナウドとガブリエル、侍女達を退かして部屋を去って行き。エイレーネーも追い掛けた。

 背後から届く怒声と悲鳴に構わず、イヴの後ろを追い掛けた。玄関ホールまで行き、勝手に開いた扉の外へ出て足が止まった。「レーネ!」と大きな声で呼ばれ、エイレーネーは再び走った。


 屋敷と正門の中間地点にいる男性。遠くても目立つ圧倒的美貌の男性は、毛先に掛けて青が濃くなる青銀の髪を煩わしげに掻き上げた。エイレーネーの姿を認識すると体毎向きを変えた。


 瞳の色は黄金色。

 髪も瞳も同じ。瓜二つと言われても仕方ないくらい、男性はエイレーネーにそっくり。いや、エイレーネーが男性にそっくりなのだ。


 目を凝らすと門番は門に凭れるように眠っている。

 男性――ダグラスの目の前で漸く止まったエイレーネーは乱れる息を整える。間近で見るとそっくり度が上がる。呼吸がマシになった辺りでダグラスが声を発した。



「エイレーネーか?」

「は、はい」



 初めて聞いた実父の声は随分と色気に溢れ、どこか気怠さが感じ取れた。濡れた色香を漂わせ、口から漏れた溜め息が色っぽい。

 その間、イヴはダグラスの足元を回っていた。



「メルルに似たな」

「そう、ですか? 私はずっとお父さんに似たと言われ続けました」

「髪や目の色が同じだからだろう。俺からすれば、メルルにそっくりだ」



 髪や瞳の色だけではなく、他の要素についても似ていると言われ続けたのに、初めて母に似ていると言われ喜びが胸に溢れる。母を一途に愛した実父に言われたのが感動を与えた最大の理由だろう。



「お、お父さん、あの」



 イヴは理由を話してくれているが、自分の言葉でダグラスの許へ行きたい理由を話したい。話し出そうとしたエイレーネーは手で制された。



「お前との話は悪いが後になる」



 気怠さを纏った黄金の瞳はエイレーネーの後ろを見ていた。釣られて見てみるとイヴに退かされた人達も慌てて出て来ていた。特に1人、今にも飛び掛かりそうな気配に包まれダグラスを睨み付けていた。

 エイレーネーを庇うように前に出たダグラスは小さな欠伸をしてロナウドへ「久しぶりだな」と放った。



「お前は変わらんな。俺を嫌うのは結構だが、無関係なエイレーネーにまで当たるな」

「無関係だと? ダグラス、お前の血を引いている時点で無関係なわけあるか!」

「俺とお前の問題であってエイレーネーは関係ない。メルルが生きていた頃は、彼女からエイレーネーの近況を聞き、亡くなってからは俺の友人が頻繁に様子を見てくれたお陰でこの子について知らない事は殆どない」



 友人、というのはイヴを指す。

 ダグラスの友人を1度も見ていないロナウドははったりはよせと鼻で笑うも「特定の相手にしか見えない魔法を使っていたからな。お前は知らなくて当然だ」と指摘すれば、見る見る内に怒気に染まっていく。

 前から抱いていた。魔法の才能が無いに関しては先天的要素も大きい。魔法の才能溢れるダグラスを羨んでいたとイヴは語っていた。



「長話をする趣味はない。とっとと済ませよう。ロナウド、エイレーネーは俺が引き取る。ホロロギウム公爵家はこの子に一銭も金を使ってないが一応衣食住に困らない生活をしていた礼だ。俺が所有する鉱山をやろう」

「黙れ!! エイレーネーは我が公爵家の娘だ!! お前の娘じゃない!!」

「さっき、お前はこの子に出て行けと怒鳴っていたろう。1度放った言葉は2度と口に戻らんよ」



 何時から聞いていたのかと問うと「ロナウドが来た辺りから」と返され、声は風を寄せて聞こえたのだとか。



「ソレイユ家の公子との婚約は俺から王に話しておく。エイレーネーとの婚約が解消されようが、俺が王国に留まりさえすれば良いのだからな」

「な、何を」

「可愛げのない女より、愛想良く振る舞う女の方が可愛いのだろう? お前の娘と婚約を結び直したらいい。何だったら、俺が王国に留まる条件に付けてやってもいい」

「馬鹿にするな!! ガブリエルの愛らしさにソレイユの息子は惹かれているんだ! お前の可愛げのない娘と違ってな!」



 可愛げがないのは、実子のガブリエルよりも目立つ行いをするたびに怒鳴り声を散らすロナウドに辟易とし、地味に目立たずを心掛けていたからだ。ただ、ラウルも同じ気持ちでいたならラウルの前でくらい可愛げのある女の子になっていれば良かったのか。


 ダグラスの足元を回っていたイヴがエイレーネーの足元に移動し、後ろ足2本で立った。前足をエイレーネーに向けてくる。抱っこだと察知し、イヴを抱き上げた。



「無駄話は嫌いじゃないが長引くとエイレーネーを傷付ける言葉しか出ないぞ」

「そろそろ行くか。エイレーネー、お別れを言いたい奴はいるか?」

「婚約者にお別れをまだ言っていませんが……」



 話をする手紙の返事はまだ来ていない。ひょっとしたら、ガブリエルを迎えに来るついでに渡しに来る気なのかもしれない。

 その旨を伝えるとイヴが屋敷で待とうと提案をした。



「煩い口は塞いでおけば問題はないさ。そうだろう? ダグラス」

「俺は構わんがエイレーネーは良いのか?」

「私は……」



 大陸最高峰と名高い大魔法使いが来ていると知ったら、ラウルは腰を抜かしてしまうだろう。


 ラウルの気持ちを知りたい。

 でも、怖い。

 ガブリエルを選ばれたらと思うと怖くて話をしたいと言い出せない。



「……やっぱり、このまま、行ってもいいですか?」

「話をするんだろう? レーネ」

「そう、するつもりだった。ラウルがもしもガブリエルを選んだらと想像したら、暫く立ち直れそうにないの」

「無理強いはしないさ。レーネの気持ちも分からなくもないからな」



 再度ダグラスが良いのか? と目で問い掛けてくるも、ゆっくりと頷いた。

 青緑の目が冷めた色でロナウドや使用人達を見、すぐに逸らした。



「痛い目に遭うのは連中だからな。君の婚約者も巻き添えに遭うが仕方ないか」

「どういうこと?」



 聞き捨てならない台詞に聞き返せば、第1王子と聖女の小パーティーだと告げられる。ああ、と納得した声を発したダグラスは意味を悟り、仕方ないと言わんばかりの視線をエイレーネーに向けた。

 ラウルに何か起きるのなら、止めてほしい。

 イヴの名を呼び掛け、訴え、悩まれ、名を呼ばれる。

 会ってからダグラスと行けばいい、とも言われ。


 ラウルの気持ちを知るのは怖くて避けたかったが、逃げてばかりではダグラスの許へ行ってもずっと抱えるだけ。正直にラウルの気持ちを知ってからお別れをしたって遅くない。



「決まったか?」

「え、ええ」

「後で教えてやろう。ホロロギウムの屋敷に、また足を踏み入れるとはな」



 面倒くさそうに呟いてからエイレーネーの手を掴み、屋敷へ歩き出したダグラス。行く手を阻むロナウドを上空へやり、腰を抜かす使用人達も一斉に上空へやった。皆大口を開けているのに声が聞こえない。音を遮断して騒音を消し去られ、且つ、姿も見えないようにした。

 扉を開けて玄関ホールに入る。抱き合って顔を青褪めるリリーナとガブリエルがいて、2人側の使用人達もこの世の終わりを目にしたように顔色が悪い。



「だ……大魔法使い、様が何故」

「お前がロナウドの妻で、一緒にいるのが娘か。ソレイユの公子が来るまで大人しくしていろ」

「ラ、ラウル様はわたくしを迎えに来るんですっ、お姉様じゃないですっ」



 恐怖に怯えながらも、ラウルに愛されているのは自分だと主張するガブリエルの自信と強かさが少し羨ましい。掴まれているダグラスの手から伝わる温もりとその大きさは、1人だと決して存在しなかった安心感がある。そっと深呼吸をした。



「行きましょう、お父さん。ラウルが来るまで私の部屋で待っていましょう」

「年頃の娘が父親とは言え初めて会ったばかりの男を部屋に誘うべきではないな」

「そ、そういうものなの?」

「違うのか?」

「さ、さあ……?」



 実際にどうかは分からないが、初めて会ったと言えど、お互いの近況はイヴがまめに話してくれたお陰でよく知っている。実の父親が娘をどうこうする……と信じたくないがダグラスに限って過ちは犯さない。筈。

 近付くと短い悲鳴を上げて密着する母娘に苦笑しつつ、素通りして私室へ案内した。



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