五章 海の底


「み、水の中なんて無理よ!溺れちゃう……!」

「大丈夫です!ハロムを信じてください!」



───ドボンッ


………………。


…………。


……。


「……息、できてる……?」

「はい!これを付ければ、水の中もへっちゃらです!」

彼女が指さしたのは、先程付けてと言われたペンダントだ。

「これは……鱗?」

「はい!人魚のお友だちに貰ったんですけど、綺麗ですよね〜!」

ということは、その人魚の鱗だろうか?人魚の鱗にそんな力、あっただろうか?

……でも、それにしても、


「……きれい」


本でしか知らなかった海の世界。

私たちは水中での生活は疎か、呼吸さえままならない。それ故に、より多くの水が集まる所場「海」は罪を犯した者が落ちる場所と言われてきた。

実際、罪を犯した星々が流れ落ち、海の底を這うヒトデになった、という言い伝えもある。

暗く、陽光が届かない場所。罪人の行き着く先……どんなに酷い所なのかと思っていたけれど。

「すっごくきれいですよね!」

「……うん、うん!とってもきれい……!」

見渡す限りの青。でも空の色とは全然違う青色で、魚や海藻も色とりどり、陽光もキラキラと反射して、まるで宝石のように輝いていた。


「あらハロムじゃない!いらっしゃ〜い」

一人の人魚がこちらに向かってきた。

「マーガリット!」

マーガリットと呼ばれる人魚はこちらを見るなりギョッとして、ハロムに何か耳打ちをした。あまり歓迎はされていないのかも。何でハロムがここに連れてきてくれたのかは分からないけど……帰ろう、そう言いかけた時、


「あなたがエリサ?」


と声をかけられた。

「は、はい、私がエリサですが……どうして名前を?」

「やっぱり!ハロムから聞いていたのよ!」

「マーガリット!ちゃんと様を付けて!」

「どうして?私は別に人間なんて崇拝していないし、ノア……だっけ?関係ないもの」

マーガリットの自由気ままな感じが、私にはとても眩しくて新鮮だった。


「私、陸の世界ってあまり好きじゃないの。私たちが住む世界のことを悪く言うし、自分たちのことを神に選ばれた存在だって偉そうにするし、ハロムのこと虐めるし。人間なんて、その諸悪の根源だと思ってた」


───神に選ばれた存在。


そうだ……箱舟に住む獣人たちは、みんな「自分は神に選ばれた」という自負がある。

主神は大洪水から種を生かすために箱舟造りを命じ、そして箱舟に乗せる種を決めた。

主神に生かされた=選ばれたと認識しているのだ。神に選ばれたもの同士、みな手を取り合って生きていこう、と。


……あれ、じゃあ何でうさぎだけ、仲間はずれにするの?


「エリサ様?」

「あ、ごめんなさい、私ぼうっとしていて」

「無理もないわよ。ここ最近、ずっと調べ物ばかりしていたんでしょう?」

「そうなの!だからエリサ様の気分転換になったらって思って!ここは箱舟よりずっとずっと開けた世界だから、のんびりしてもらいたくて……」

「ありがとうハロム、連れてきてくれて。百聞は一見にしかず、だね!本で得た知識なんか役にに立たないくらいに全然違った!すごくきれいな世界でびっくりしちゃった」

「ふふん、そうでしょうそうでしょう!私がもっと色んな所を案内してあげる!」

そう言うと、マーガリットは私とハロムの手を掴み、スイスイと泳いでいく。


観光名所や穴場スポット、色々案内をしてもらい、他に行きたいところはないか?と聞かれたので、図書館をリクエストした。


「気分転換で来たのに、ここでも調べ物〜?」

「うん、陸の世界と海の世界、伝承も歴史も全然違うでしょ?だから気になっちゃって」

「ハロムもお手伝いします!」

「も〜〜しょうがないなあ」

ハロムとマーガリットに手伝ってもらいながら文献を読んでいると、ふと気になるワードを目にした。

「龍神?」

「え、龍神様を知らないの?!」

マーガリット曰く、龍神様とはこの海の世界の神様で、みんなこの龍神様の加護と恩恵を賜っていると言う。この世界が荒れず美しいのも、そのお陰なんだとか。

主神以外にも神様が存在するなんて、書庫舟にある書物だけでは絶対に知り得なかったことだろう。

「龍神様……聞いたことあります。他の獣人の方々が言ってました。雷がなったり、波が荒くなったりするのは、海底で荒くれ者の龍が悪さをするからだって」

「はあ?!めっちゃ失礼じゃない?天気の善し悪しを龍神様のせいにしないでよね!だいたい、龍神様はすごくお優しい方なんだから!」


……龍神様、もう少し調べてみよう。


「龍神様」について調べている時、一つ気になる文献を見つけた。

かつての海は陽光も届かず、薄暗く、種族間での争いが絶えなかった。しかし龍神様がいらっしゃった。あの方のおかげで、海の世界は生まれ変わった。

という内容だった。


「いらっしゃった……つまり、龍神様は元々は海には住んでいなかった?」


じゃあどこから海に移り住んだのか?気になることは多かったけれど、でも今必要な情報……私たちの世界を救うための手がかりにはならなそう……。

海の世界がどんなところか知ることができたのは大きかったけれど、欲しかった、求めていた情報は得られなかったな……。

肩を落とす私に、「事情はよく分かんないけど、また来たらいいじゃん」とマーガリットは励ましの言葉を掛けてくれる。

「また来てもいいの?」

「当たり前でしょ?ハロムもエリサも私の友だちだもの」


───友だち。


ノアの子孫、神託を告げるもの。肩書きばかり立派で、他の獣人からは一線を引かれていたから、勿論、私に友だちなんていなかった。

ハロム、マーガリット、初めての友だち……。

「うふふ、嬉しいなあ」

そう喜んだのも束の間、目の前に大きな渦潮が現れた。


「エリサ、ハロム!掴まって……!!」


私たちはお互いの手を掴み合うと、そのまま渦潮に呑まれていった。





どれくらい気を失っていただろうか……少しの息苦しさに目を開けると、先程とは打って変わって、一面薄暗く、ゴツゴツとした岩肌が広がっていた。


「ここは、どこ?」


確か渦潮に呑まれて……


「──ッ、ハロム!マーガリット!」

慌てて辺りを見渡すと、少し先に倒れている二人を見つけた。慌てて駆け寄り声をかけるが、返事がない。

「うっ……ケホケホ」

息が苦しい……少し俯いた時、胸元のペンダントが欠けていることに気付いた。

咄嗟にハロムの方を見ると、彼女のペンダントはちぎれていた。


「これを付ければ、水の中もへっちゃらです!」


逆を言えば、あのペンダントが無いと、私たちは呼吸さえままならない。

このままじゃハロムが危ない……!私は咄嗟に、自分のペンダントをハロムに付けた。

ペンダントを外した途端、息苦しさが増す。


「……ッ、だ、れか、助けて!」


力を振り絞るように声を上げるも、返事は無い。

ああ……もうだめだ。苦しい。意識が保てない……。

その場に倒れ込んだ時、大きな影が私を覆った。


「無様だな、人間」


見上げて、一目で解った。

大きな角、鋭い爪、そしてきれいな鱗。


間違いない、文献で読んだ、

「りゅう、じん」

「ほう、人間の貴様がこの我を知るか」

「たす、けて」

「貴様を助ける義理はない」


「ち、がう……ふた、りを、助け、て」


「……………………」


龍神はチラッとどこかを見ると、急に私を小脇に抱えて歩き出した。

「───ッ!」

息苦しさから上手く話せない私は、口をパクパクさせながら必死に抵抗したが、

「黙っていろ、舌を噛むぞ」

その一言に慌てて口を噤む。


応接間のような所に着くと、彼は私を放り投げた。

───ドサッ

「いった……あれ?」

先程までの息苦しさが無くなってることに気付く。

「苦しくない……あの」

「あの二人は別室で寝かせてある」

「あ、ありがとうございます」

「なぜ貴様が礼を言う?」

「二人は、その、大切な友だちだから」

「友だち?人間の貴様が人魚とうさぎを友だちだと?……ふ、ははは!これは傑作だな」


何なんだ、この失礼は男は。


「何がおかしいのですか!」

「愚かよな。己の犯した罪も知らず、のうのうと生き、あまつさえ友だちなどと」


……犯した罪!


「あ、あの!その話、詳しく聞かせてください!!」


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