第2話 母と息子と夫
ガライルとヘラヴィーサの息子。
カーライル帝国第一位皇位継承者。
その名をディアライルという。
身分は皇太子。
通常、カーライル帝国の皇太子は該当者が、10才を過ぎてから、任じられるものなのだが、ディアライルの場合は少し、異例だった。
ディアライルは弱冠、三才にして、皇太子の位を与えられたのだ。
これには、ガライルの母、皇太后ジェシカの影がちらつく。
「この子は、皇帝の第一子であり、男児なのですから、皇位を継ぐのは当たり前です。早めに、皇太子に任じましょう」
と、そう言って、ジェシカはディアライルが生まれてすぐに、皇太子にしようと、また貴族院を動かし始めたのだ。
だが、これにはガライルが反対した。
「母上、幾らなんでも、生まれたばかりで、その資質も分からない者を皇太子には、出来ませぬ。もう少し、時間が必要かと…」
「ガライル!!お前は、わが子が可愛くはないのですか!」
声を荒げ、更なる言葉をジェシカが口にする前に、ガライルは一言。
「母上」
と、口にした。
淡々とした声音だったが、その中には皇帝としての威厳と、αの覇気が籠った言葉だった。
ジェシカは一瞬、気圧される。
「っ……」
いくら、生母とはいっても、ジェシカはβ。
αのガライルが少しでも、本気を出せば、我を通す事は出来ない。
「母上。今日のところは、お帰りください」
「…分かったわ」
来た時より、少し萎れて、退室する母親の姿に、ガライルは、出そうになるため息を押し殺す。
βである母からのαである自分や自分の息子への期待の大きさに、ガライルは時に、言い知れぬ疲労を感じていた。
まだ自分は良い。
どれほど、期待されても、構わない。
あの母の子として出来うる限りの孝行はしよう。
だが、まだ意識も定まらない赤子に対するあの母の意気込みや行動はやりすぎでは無いか?と、ガライルは思ってしまう。
しかし、息子の気持ちを全く意に介さない母ジェシカは、あれで引き下がる女ではなかった。
息子がダメならと、自らの夫。先帝ルディライルに、懇願したのだ。
だが、ルディライルも、生まれたばかりでの皇太子任命には、難色を示した。
何せ、前例がないのだ。
資質もはっきりしない者を皇太子に任じるなど、国内外でどんな事を言われるか。
しかし、息子には簡単に引いても、夫相手には、ジェシカは引かなかった。
ルディライルも、こうと決めたら、何があっても、目的を完遂するジェシカの性格を熟知していた。
だから、ルディライルは通常は10才を過ぎてから、皇太子に任じる所を三才でとした。
αならば、3才くらいになれば、その才気を見せ始める。
生まれたばかりよりは、問題は無いだろうと、ジェシカを説得した。
ルディライルは、滅多にαとしての力を妻であるジェシカへ向けない。
だからこそ、ジェシカも、常なら夫に強く出る。
だが、いつも、そうではない。
ルディライルも、簡単にジェシカの望みを叶えたりはしない。
ただ自らの妻の執念深さを誰よりも知っているからこそ、妥協点を探すのだ。
「ジェシカ。納得してくれ」
「ルディライル様、けれど…それでは、あの子は…!!」
「あまり、無理を通そうとするな。慣例とは時に、そうある理由がある。それを完全に曲げてはならぬ。だが、此度はお前の願いを一部叶える。それで納得しなさい」
「ルディライル様…」
ルディライルとて、α。
普段、αとして振る舞う事は少ないが、覇気を持った意味ある言葉を口にしたら、βのジェシカでは、抗えない。
だが、ジェシカの不満は、その目に浮かぶ。
ゆえに、ルディライルは、ジェシカの目を見ながら。
「ジェシカ。お前は…、お前の子が皇帝になっただけでは、不満なのだな…。生まれて間もない孫までも、お前は利用したいか?」
と、問うた。
「…っ!?」
「ジェシカ…、我が妃よ。…これ以上の譲歩はない。分かるな?」
「……ルディライル様」
αとしての圧を強めるルディライルに途端、顔面が蒼白し、怯えを見せるジェシカへ。
「納得したのなら、もう出て行け。これにも納得しないなら、私にも考えがある」
そう言って、ルディライルは手を振りながら、ジェシカから視線を外した。
「…はぁ……、分かりました。失礼します」
到底、納得している表情ではなかったが、ジェシカはそう言って、退室した。
所詮、βはαには勝てない。
ルディライルがジェシカに対して、常からαとして振る舞う事をしないのは、その原則があるからであり、決して、妻であるジェシカを愛しているからという理由ではなかった。
「厄介な女だ…、忌々しい…」
ジェシカの出ていったドアを睨みながら、そうルディライルは吐き捨てるように呟く。
先帝ルディライル。
皇太后ジェシカ。
この二人の間にも、目には見えない深い溝が横たわっている。
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